Back to Main

"相棒"

Act 9

 当然、作戦があるんだろう。
 呂見の台詞は、チームのエースとしての俺への信頼に満ちていた。
 別に不思議なことじゃない。俺達桜樹学院中サッカー部は、県下では中堅ぐらい、地区内では強豪といった程度のレベルだが、俺が加わる前までは地区の中ですら弱小に近い位置にいたんだから。
 チームを引き上げたのが俺一人の力だなんて言うつもりはさらさらない。サッカーというスポーツはそんなにちょろくない。でも最大の原動力が俺で、俺の決定力がチームの核であることもやっぱり事実なんだ。俺が点を取るという前提があるからこそ、チームの連中も自分の役割を果たすべく頑張れる。この信頼に応えなきゃ、嘘だ。
 「大丈夫だ。奴らがどんなディフェンスしてこようが、絶対ぶち抜いて突破してやるさ。俺のスピードについて来られる奴がいないってのは、もう前半で分ったしな」
 「ああ、たぶんそうだろうな」
 「たぶんじゃねえよ。絶対だって」
 「分った。で、おまえがぶち抜いて、その後はどうするんだ?要はボール運ぶ方法だがよ、実際やるのは中か前の奴だとしても、俺らも知っといた方がスムーズにいくだろう。どうやってゴール前でお前にボール持たせたらいい」
 「それはだな、つまり」
 俺は間を置いた。別に勿体をつけるつもりじゃない。ちょっと、前半の展開を思い返してみただけだ。
 俺はいい位置でボールを持つことができなかった。第一にパスが貰えず、第二に、俺は自分でボール持って上がるタイプの選手じゃない。必ずしもドリブルがべらぼうに得意というわけではないというのも理由の一つとしてないわけではないけれど、やっぱりその、タイプが違うってことだ。長所を生かすのが肝心だからさ。つまり。
 「まずは、俺の最大にして最強の武器であるスピードを生かして行く」
 「そうだな。それで?」
 「一気に敵ゴール前まで切れ込む。白山の奴らを引き離してフリーになる」
 「なるほど。それから?」
 「それから、えっと、パスを貰う。で、シュート」
 「……ふうん」
 呂見の声が急に冷えた。もし触れたりしたらたぶん皮膚がはりつく。
 「琴悟、二つほど教えてくれ。まず、どうやってお前までパスを通せばいいのか、その方法だ。そして二つめだけどな、“おふさいど”っていう単語を聞いたことはあるか──おい、どこ行くんだ、てめぇ」
 呂見は乱暴に俺のジャージの襟首を掴んだ。
 「どこってピッチに決まってるじゃないか。もうすぐ後半開始だからさ、ウォームアップしないと、うわよせやめろ服が伸びる」
 呂見は手を放した。俺の身体を気遣ったわけではなく、白山中の監督と何やら話し中の蓑輪がこっちを睨んでいるのに気付いたからだ。風船がしぼむみたいに呂見は深く息をついた。
 「まったく、お前が脳筋だってのが良っく分ったぜ。中学受験組は賢いって説が嘘だってのもな。九條、おまえは?何かいい考えはないのかよ」
 「俺ですか?まあ、無くもないですけど」
 ギャラリーの方ばかり気にしている感じの九條だったが、呂見が水を向けると意外にもいい反応を返してきた。控え目な表現のわりに結構自信ありげだ。
 背ばかり無駄に伸びやがってと今まで思っていたが、少しは頭の中身も成長してるってことか。見直した、というように呂見も目を瞠った。
 「頼もしいじゃねえかよ。とりあえず聞かせてみ。即使えるかはともかく、ヒントぐらいにはなるだろ」
 「北川さんです」
 期待半分という感じの呂見に対し、九條はきっぱりと言い切った。これが現状を打開するための究極的かつ最終的解答であるとでもいうように。
 「悪い、ちょっと意味が分らないんだが……」
 呂見は俺の方を見たが、俺にだって分らない。黙って首を横に振った。だよなと呂見は腕を組む。
 「その北川先輩をどうするんだ?試合にでも出てもらうのか」
 「ははっ、そんな馬鹿な。応援してもらうだけで十分っすよ。やっぱり呂見先輩じゃ駄目だな。琴悟先輩なら分りますよね」
 分らなかったが、そう言うのも癪だ。俺は考えを巡らせる。
 まず確実なのは、バレーに関することだろうってこと。北川先輩について俺が知ってることといえば、元バレー部の副キャプテンってことだけなんだから。なんだろう。呂見には分らない。つまり攻撃に関することか。クイックとか時間差とか。
 いやバックアタックか?後ろからスパイクを打つ。いくら俺でもハーフラインの後ろからシュートして入れるのは無理だ。だけど後ろから一気にっていうのなら、手はある。パスを出せる奴がいれば。俺がパスに合わせられれば。出来るだろうか?俺と──関谷で。
 って、その関谷はどこ行ったんだよ。
 俺は関谷の姿を捜す。いた。ギャラリーのところ。水郡と話し込んでやがる。ったく何やってんだあの野郎は。こんな時によ。
 「琴悟先輩は分ったみたいっすね」
 「ああ、たぶんな。簡単にはいかないだろうけど、試す価値はあると思う」
 「なんだよ、教えろよ、苛々すんな」
 「だからもう言ったじゃないですか。彼女に応援してもらうんですよ。それで勇気百倍、ブラジル相手だって余裕っす。あ、でも琴悟先輩は今うまくいってないんでしたっけ。じゃあ難しいかもしれないな。でも安心してください。ラブラブな俺が愛の力で」
 九條は最後まで言い終えることができなかった。
 「琴悟、まさかお前までたわ言抜かすんじゃないよな?」
 九條のみぞおちに鉄拳を入れた呂見はむしろ落ち着いた様子で、しかし静かなその瞳には強い決意が宿っている。たとえ冗談でも「彼女いないからって僻むなよ」などと口を滑らそうものなら明日の朝日は拝めない。そう悟らせるに十分だった。真実は時に人を凶悪にする。
 「ちょっと、関と話してくるわ」
 「ああん?とか言って、山崎んとこ行くつもりじゃないのか」
 歩き出そうとした俺の腕を呂見が掴む。ぎりぎりと筋肉まで食い込ませてくる指先がわりと痛い。
 「違うって。だいたいかの子は今日来てなんか」
 来てなんか……いた。でも今まで気付かなかったのは絶対俺のせいじゃない。
 まるで、かの子は女の子だった。いやだからその、女の子みたいな格好をしていた。
 そりゃ確かに制服の時はいつもスカートだけど、私服はまた別物だしさ。赤いチェックのミニスカートに、上はゆったりしたモヘアっぽい白いセーター。どこからどう見ても女の子。
 水郡の傍になんだか小っさい子がいるなとは思っていたのだが。もしかして妹かな、なんて。
 だけどこうして俺へと直にぶつけてくる視線を見れば間違いっこない。
 かの子、本当に来たのか。それも水郡と一緒に。
 和解と徹底抗戦どっちの意味に解釈すべきか、俺は真剣に迷う。
 関谷と水郡は話を終えたらしかった。こちらに走ってくる関谷に水郡は手を振り、そして俺が見つめていることに気付くと。
 笑う。
 呼吸が止まった。
 転校生の美少女に笑いかけられて血が上ったとか、かの子とのことを考えて後が怖くなったとか、そんなんじゃない。
 甘い感情からは遥かに遠く、いっそ不敵と形容したくなるような笑い方だった。風が吹きつける。止まっていた時の彼方から。その瞬間そこにいたのは他の誰でもない俺の相棒。
 思わず駆け出そうとした俺を鋭く響いた笛の音が止める。もうすぐにも後半が始まる。ギャラリー席とピッチの間で俺は固まって、走り寄った関谷に引っ張られる。
 「カウンターだ。タイミングは彼女がくれる。おまえは走れ」
 関谷が囁く。
 カウンター。そうだ。俺もその方法しかないと思っていた。バレーのバックアタックみたいな後方からの一撃。ただバレーと違うのは、ロングパスとフォワードのダッシュが一つになって、初めてスパイクを撃つことができるということ。要求されるのは完璧なタイミング。
 さっき、俺は思った。関谷と俺で出来るだろうかって。もしあいつがここにいてくれたらって。そしてあいつはいた。
 行ける。絶対の確信が胸の中に火を点す。無敵だったあの頃の感覚がありありと甦る。どこまでだって行ける。俺達なら。俺と、あいつとなら。
 キックオフはうちからだ。ボールを転がしながらサークルの中に入り、セット。ギャラリーの方を見やる。あいつ、琴は横を向いていた。かの子の方を。何か話し掛けているようだったが、かの子は身体を硬直させたままひたむきに前を睨んでいる。
 「琴悟、始まる」
 「ああ」
 俺は関谷に頷いて、足元のボールに意識を落とした。笛が鳴る。後半開始。
 引き気味にプレイするなんて考えは、俺にはなかった。むしろ突出する。無謀ともいえるような攻めを繰り返す。ディフェンダーに潰され、オフサイドを取られ、それでも前に出ることを止めない。攻撃に回るのは俺と九條と関谷の三人だけ。それも多くて、だ。俺一人で突っ込むこともしばしばだった。
 対して、呂見を中心に守りは堅固だった。俺達の攻めが強引だったこともあり、白山は追加点を狙うより、確実にボールを支配する戦術を取っていた。そのため、うちのディフェンスも無理にボールを奪いにはいかず、隙を作らないことを第一に、抑えに徹していた。どこまでも守備的な守備。呂見の嫌いなやり方。後で盛大に文句を垂れられるだろう。もしこのまま負けたりしたら。
 得点は二─0のまま動かず、時間だけが過ぎていく。息が切れ、足が縺れて、九條からの折り返しに半歩追い付かずボールがこぼれる。池に撒かれた餌に魚が寄せるように、白山の選手がそのボールを拾っていく。追い掛けようと咄嗟に身体の向きを変えることを試みて果たせず、俺は糸に引っ張られるようにたたらを踏んだ。
 下を向いた顔を無理に上げると敵のゴールキーパーと目が合った。俺のことを嘲ったりはしていない。呆れているようでもない。
 最後まで頑張れ、そう言っていた。どうせ結果は一緒だろうから、せめて一生懸命やればいい。無得点に終わっても悔いが残らないように。
 ──上等だ、こん畜生が。
 ハーフラインを超え、自陣に戻る。ギャラリーの前を通り過ぎながら、俺は実際この目で見るより早く気付いていた。ぴんと伸ばした人差指が一本、高く上へと向けて立てられている。一点取れって意味じゃない。一番を目指せ、なんて意味でもない。俺とあいつで決めた合図、「空へ」。青い空を行くように突っ走れ。
 俺のトラップミスから始まった敵の攻めは、ゴール左隅へのシュートをキーパーの倉田がなんとか抑えたところで終わった。
 倉田が投げたボールをペナルティエリアのすぐ外で関谷が受ける。俺はゆっくりと関谷の方へと走った。入れ違うように白山のディフェンスが戻り、交差した。
 まだだ。まだ早い。今はまだ相手も警戒している。あともう少し、白山の連中が息をつくタイミングを見計らえ。関谷にタイミングを知らせる必要はない。俺は自分だけの勘で飛び出せばいい。
 なぜなら。
 俺はこれみよがしに足を緩めた。敵陣に下がった連中とは別に、関谷から俺へのパスをカットしようと選手が一人寄ってくる。俺はそいつの前へ出ようとする素振りで速度を上げ、そしてすかさず急反転。
 文字通り、一秒の狂いすらなかった。
 相手ゴールへ向けて俺が全開ダッシュを始めたのと、透明な刃のような気合いが、グラウンドを一閃したのと。

 「ってぇーーー!!」

 俺のマークに来ようとしていた相手はとっくに後ろに置き去っていた。声を合図に関谷が蹴り出したボールは、戻り途中のディフェンスをわずかに超えた辺りでバウンド、高く上がった分転がり方は鈍い。先行する白山のディフェンスが後を追った。だがいったん気を緩めた分反応が遅れ、十分にスピードが乗っていない。俺の敵じゃない。
 それでもボールに足を掛けたのは向こうが先だった。だがそれだけ。キーパーが叫ぶのに驚き振り返ろうとしたそいつから俺はもうボールを奪い取っていた。
 キーパーが飛び出してくる。遅い。俺はシュート体勢に入る。かわして押し込もうとは考えなかった。狙いすらろくに定めていなかった。完璧に図に当った作戦、最後まで万全を期すのが一流プレイヤーなんだろう。
 だが俺は違った。その時の俺は。

 「っけぇーーー!!」

 理も非もなく流れるまま勢いにまかせてがむしゃらに、一直線に真っ正面に力の限りに、全部を乗っけて蹴り込んだ。かつてあいつと共に過ごした日々と俺自身と、そして──。
 俺はボールがゴールに突き刺さるのを待たず、得点に湧くチームメイトが駆け寄ってくるのも全部無視で、ギャラリーへ向かって突っ込むとそいつの前へ来て止まった。
 俺が反撃に出るタイミングを完全に見切って合図をくれた相棒。
 申し合わせたように、俺達は互いの拳を打ち合わせる。俺は言った。
 「うん、意外と可愛いかな。似合ってる」
 「……『意外』は余計だし」
 かの子は怒ったようにそう言うと、笑った俺にゲンコをくれた。
(続く)
2007/ 1/21
Go to  Next
Back to Main