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"ハーレムエンドシャッフル#1"
未だ明け染めぬ早朝の駅のホームでは雀がサンバを踊っていることもなければ安全確認を行う駅員の姿さえもなく、死体を折りたたんでしまえるぐらいにでかいバッグを足元に置いた男子高校生の姿だけがただぽつんとあった。普段の登校からしてこんな異常な時刻に出て来ているわけではない証拠に、長めの茶髪をうるさげにかき上げた武林昇は、林檎を丸ごと放り込めるほどの大口を開けて欠伸をこいた。腕時計に視線を落とし、さすがに早過ぎだと思う。遅刻するよりましとはいえ、このままいけば集合時間より軽く三十分は先行する。
待つのは別にいい。だが余りに早く来過ぎて、「そんなに楽しみにしてたのか。ガキだなお前」みたいな目で見られるのは少しばかり気恥ずかしい。
だがまあそれも別にいい。他人の目をまるっきり気にしないほど自分を練り上げているわけではなくとも、小さなことでびくびくおどおどするような弱い立ち位置にもいない。むしろクラス内のヒエラルキーは上位である。あんまりしつこく絡んでくるような奴がいたら武力制裁だって辞さない──実際にやるかどうかはともかく、それだけの気概は持っている。だからこそ一目置かれてもいるわけだが。
実際のところ。出身の地元の公立中とは異なり、今通っている県立高校は平和で上品だから、強行手段に訴えるべき機会などほとんどない。これまでの一年と半年余りで三回だけだ。それも武器なしの殴り合いが一度、二発ばかり殴っただけでけりが付いたのが一度、「やるかこら」と調子を上げただけで終わったのが一度。要するに、どれも鼻くそをほじる程度の、もし日記やブログを持っていたとしてもスルーしてしまいそうな些事だ。実質無きに等しい。
「あふぁ」
さっきに比べれば幾分控え目ながら、またもや欠伸が洩れる。
眠い。
暇だ。
とっとと電車来ねえかな。
だがたとえ今すぐ忽然と電車がホームに出現したところで、一人で乗り込んでしまうわけにはいかなかった。そもそも自分の都合ならこんな早くに来たりはしないのだ。
と。
階段を駆け上がってくる音が後ろで聞こえた。腕の時計を見る。三分の遅刻だ。
「おはよう、昇君っ」
と思ったのだが。
「ごめんね、待ったかな?」
待ってない。というかむしろまだ現在進行形で待っている。
昇の隣に立ち、はにかんだような笑顔を向けてきたのは、昇の待ち人ではなく全く見も知らぬ少女、でもなくて、顔と名前は知っていて何回かは話したこともある隣のクラスの女子だった。
「昇君、早いんだね。驚いちゃった。でも嬉しいなっ、先に来て待っててくれるなんて思わなかったから」
子供みたいな小さな手で、片袖をそっと握ってくる。
「旅行の間さ、ずっと一緒にいようね。お風呂も、それから寝る時も……なんちゃって、それは無理か、あはは。だけどね、そうしたいっていうのは、本当だよ?」
真剣っぽい表情でそんなことを言ってくる。超可愛い。アイドルでもちょっといないぐらいだ──なんてことは残念ながらなくて、顔立ちは普通だろう。普通に可愛いぐらい。
もっと言ってしまえば、並だ。良くも悪くも。けれど仔犬が全身で擦りよってくるみたいな、直球な好意をぶつけられれば、理屈抜きに抱き締めたい気にもなってくる。ちょうど周りに人目もないことだし、いっそこのまま、いやいやいや。
「なに、なんかの冗談……?」
「ぶー。違うもん。冗談なんかじゃないもん」
なんとか自制と冷静とを取り戻そうと試みる昇に、その娘はさらに体を寄せてきた。微かにというよりもう少し強く、甘い匂いが届く。リンスなんかの他に、香水みたいなのも付けているらしい。
「えっと、河合、だったよな、あんた」
「うん、みやこだよ。なぁにもう、今さら。ちゃんと名前で呼び合おうって決めたのにー。俺のことは昇って呼べって。あの時、みやこ、すっごい嬉しかったんだよ?昇君、男らしくてかっこよくて」
拗ねたような物言いには、なんだか妙な説得力があって、昇は思わず過去の記憶を探ってしまった。けれど当然思い当ることなどない。悪ふざけや冗談じゃないとしたら、一体なんだ?どういう可能性があるんだろう。
実は自分が二重人格で、裏バージョンの方がこの女とつきあっているとか……ばかばかしい。
「なんのつもりか知らないけどさ、とりあえずひっつくのは止めれ」
「えー?どうしてぇ?」
「どうしてって……」
さも心外だとばかりに目を丸くする京に、昇は軽く戦慄した。なんでって、そんなの決まってる。だってもし万一こんなところを見られでもしたら。
「何してるの」
背筋を悪寒が這い上っていった。それはもちろん良く知っている声で、今朝も当然耳にすることを予期していた声で、そもそも昇がこんな早い時間に来たのも、そいつがそう決めたからで。
「よ、よお麻世、遅かったな」
「ごめんね、ちょっと探し物してたの。で、武林は何をしてるのかしら」
「何ってべべべ別に。麻世が来るのを待ってたんだよ。でも間に合って良かったじゃねえか。電車、もうすぐ来るだろ」
「まだもう少しかな。時刻表通りならあと七分。で、そっちの人は?」
凝固、するしかない。だけどしてる場合じゃあない。
「えっと、ほら、C組の河合。たまたま偶然一緒になってさ……ってのも変か、目的地一緒なんだし、むしろ必然ってやつだな、わははは」
「そうだね。だけど河合さんはこの駅じゃなかったような気がするけど」
麻世の指摘に昇は頬を引き攣らせた。やばい、なんて言い訳しよう?いやちょっと待て。別に俺は言い訳しなけりゃいけないことなんて何もしてない。じゃあこのまま放っておくか?いやそれはそれでまずいだろう。軽くパニクる昇だが、麻世はあっさり角度を変えた。
「まあそれはいいわ。河合さんがどこに住んでようと、どの駅使ってようと、興味ないもの。ただ私が知りたいのは、どうしてその河合さんが、武林と腕を組んでるかなんだけど」
「恋人だから!」
高解像度画像みたくくっきりはっきりきっぱりと、答えたのは無論のこと昇ではなかった。
「だってねぇ、昇君、あたしたち、つき合ってるんだもんねー。最高にラブラブなんだもん、このくらい当然だよ。あ、そうだ、昇君、大変たいへん、今日まだちゅうしてないじゃん、おはよのちゅう。ね、今しよ?」
「あらそうだったの。知らなかった」
目を閉じ顎を上げて唇を突き出す京にびびりながら昇は、麻世の淡々とした口調にさらに一層肝を冷やした。文字通り金玉が縮み上がるというやつだ。
「少しだけ驚いたわ。武林は私とつき合ってるんだと思ってたから。でもきっと私の勘違いね。うっかりしちゃった」
「やだなー、マヨちゃんってばもう、みやこの彼氏取らないでよぉ」
おねだりちゅうのポーズをいったん停止した京が突っ込みを入れる。胸の前ででちんまりと握り締められた拳は冗談ぽくなく麻世のテンプルに狙いを定めていた。
「あさよ、よ。でも私のことは高波って呼んでほしいかな。もしくは話しかけないでくれるともっと嬉しいんだけど」
「うん、分ったよマヨ、もう金輪際話しかけないねっ。あたしもその方が嬉しいもん!」
女の子同士の友情ってのはいいもんだ。そんなふうに感じさせる、明るく溌溂とした声音で、京は絶交を宣言した。麻世も柔らかに笑んで頷く。とりあえず話は納まったらしい。良かった良かったと、昇は胸を撫で下ろした。
「って、そんなわけあるか!河合、まずはその手を離せ。それと麻世、頼むから納得するな。俺と河合はつき合ってなんかない、まともに口きいたのだって今日が初めてだ。だいたいだな、お前がいるってのに、俺が他の女とつき合ったりとかあると思うか?」
「あるかもしれないとは思うかな……あなた達の様子を見てると」
昇の腕を抱え込むようにした京は、まるで糊付けでもされたみたいにぴったりとくっついている。誰がどう見たって「バカップルここにあり!」状態だ。
「だーっ、だから離れろっての!」
「きゃっ」
突き飛ばすようにして力を込める。京はよろよろと膝をついた。
「ひっどーい、なにするのよー。照れ屋さんなのは知ってるけど、度が過ぎると嫌われちゃうんだからー」
「上等だっての。むしろお前に嫌われるんなら本望だ」
さすがに多少ばつが悪い思いをいだきながらも、昇はあえて強気に出た。これで麻世の誤解が解けるのなら、ろくに知りもしないような女子の一人に乱暴者と思われるぐらい、どうということはない。
「分っただろ麻世。俺にはお前だけ──」
麻世のほっとしたようなまなざしを期待していた昇はしかし絶句した。
「…………」
まさしくごみを見る目付きだった。
「えっとー、あさよ、さん?」
もともと感情表現が豊かな方ではなく、どちらかといえば冷たい印象を与える麻世だが、それでも人を見下したような態度は取らないし、とりわけ昇に対しては、表面上はきつそうでも、その奥にはいつも温かい気持ちが通っていたのだ、つき合いだしてからは。
少なくとも、昇はそう感じていたのに。
今の麻世は、昇に一片の親しみも持ってはいなかった。どんな鈍感な人間でも、そのことは分っただろう。
「武林。あなた女の子になんてことするの」
「何って……こいつがあんまりしつこいから。だ、大体お前だってむかついてただろうが、俺ばっかり悪者にする気かよ!?」
「理由にもならないようなことで暴力振るって、しかもそれを私のせいにするの。最低ね。信じられない」
「あたしも。昇君がそんな人だと思わなかった。ちょー幻滅」
なんだよそれ。
昇は茫然とする。確かに少しばかり力を入れ過ぎたかなとは思う。でも加減はしたし、もちろん殴ったりしたわけでもない。それなのに、何でこんなにどん引きされないといけないんだ。
「大丈夫だった、河合さん?」
「うん、なんとか。ありがとう、アサちゃん」
いたわる麻世に、京は感謝のほほえみを返す。麗しい情景だ。仲良きことは美しき哉。
「待てよお前らついさっきもう話しかけるなとかなんとか言い合ってたばっかじゃねえかいきなり友情ごっことかしてんじゃねえよこら」
呪文のように言い募る昇に二人はしゅんとして肩を落とし……たりするわけもなく、はあ?ふざけんなカス、死ね、などと逆ギレするようなこともなく、ただただ何事もなかったように流した。
「あ、アサちゃん、電車来たよ」
「すいてるから一緒に座れるわね。良かった」
「うん!!」
二人は和気藹々と車両に乗り込んだ。昇が呆然と眺めるうちにドアは閉じ、電車は動き出した。
(了)
2009/ 1/31
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