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"ロールプレイ"

1-2


 リディアとは対照的に、竜平は低く言った。
 「俺はもうどっぷりと関わっちまってるんだ。奴らは放っておかないよ。機会さえあればいつだって消そうとするに決まってる。けどな、そんなのは大したことじゃない。肝心なのはな、俺の気が済まないってことだ」
 竜平はリディアの両肩をきつく握り締めた。リディアは抗うように身を固くしたが、やがて力を抜いた。うなだれて瞳を閉じる。どんな批難も罵倒も甘んじて受け入れる。もしも竜平が自分を暴行するだとしたら、それさえもと。そう思い定めたかのようだった。
 「目開けろよ、殿下。リディア」
 「リュ、リューヘ……」
 「お前だけを出て行かせるなんて、できるわけがないだろ?こんなに大切なものをみすみす失うなんて。傍にいるよ。リディア。ずっとお前の傍に。嫌か?」
 リディアは首を振った。
 「わたくしは、わたしは、わたしも、リューヘイどの、リューヘイと、一緒に」
 「リディア」
 ──金属が軋む轟音が響き渡り、足元が揺れた。
 「痛っ」
 隣の乗客が肩から提げた巨大なバッグが脇腹に食い込み、ついでのしかかるように体重を掛けられて、こらえきれず反対側によろめいた。その拍子に。
 「痛えなこの野郎」
 別の男の足を踏んでいた。自分だって被害者だ。反感が先に立つが、強い視線で睨みをくれられ、反射的に頭を下げると「すいません」と口の中だけで呟いた。男は盛大に舌打ちをし、車両が完全に停止してドアが開くと、こちらに肘打ちを食らわすようにして体の向きを変えた。
 「あ……」
 恐らく、いや間違いなくわざとだろう。さっきまで読んでいた文庫本が、払われて飛んだ。床に落ちた本はさらに別の降客の足に蹴られ、踏まれて、ドア一つ分離れた位置にいた少女に拾われる。
 持ち主を捜す様子の少女のもとへ急ぎ近寄り、「どうも」と曖昧な礼で受け取った時にはもう列車は動き出していた。
 自分も降りる駅だった。思わずため息をつく。乗り越してしまったこと自体は別に大したことでもない。せいぜい二十分ぐらい余計にかかるだけのことだ。出勤時だったら多少あせったかもしれないが、帰宅が少しぐらい遅くなったところで困りはしない。
 そんなふうに自分を納得させて。
 取り戻した文庫本を開こうとして、途中で手が止まる。スーツ姿の中年を一人挟んで、本を拾ってくれた少女がいた。何歳ぐらいだろう。さっきは高校生か、もしかすると中学生ぐらいかと思ったが、改めて見てみると、制服を着ていない。もちろん私服の学校だってあるし、制服だとしても常に着用しているわけではないだろう。
 だが薄手のコートにブラウス、ジーンズにパンプス、それにブランドロゴの付いたショルダーバッグという出で立ちは、少女というにはいささか大人び過ぎている。といって社会人にしては纏っている空気が澄んでいる。女子大生、だろうか。
 そう思って眺めれば、幼い印象の一因となっている黒縁の大きな丸眼鏡も、何やら知的な印象を醸し出しているようだ。もっとも大学生と知性とが必ずしもイコールで結ばれないということは、自身のつい数カ月前までの経験から、良く分っていることだったが。
 目が合った。こちらの視線に気付いたらしい。礼儀からも、そして決まりの悪さからも、すぐに外そうとして果たせなかったのは、こちらに興味を感じているような様子を、相手の中に見出したからだ。
 ひょっとして。好意を持たれたのか。
 過去の経験に照らして、あり得ないとは分っている。自分は決して異性に一目惚れされるような容姿を持ってはない。それでももしかしたらという淡い期待が生じるのを止められない。
 好みなど結局人それぞれだ。まして相性の良し悪しにいたっては、姿の良し悪しとはほとんど関係がないだろう。
 運命の出逢い、というのは大袈裟に過ぎる。だが人と人とのえにしが結ばれるきっかけというのは、案外こうした些細な出来事だったりするのではないか?
 そんな都合のいいことを考えていると。
 彼女が笑った。
 確かに自分の方を向いて。
 花が綻ぶように。
 一気に顔が熱くなる。堪え切れず下を向いた。拾ってもらった書店カバー付きの文庫本が目に入る。このせいだ。直観する。
 自分は、笑われた。
2009/12/25
(続く)
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