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"ロールプレイ"

2-1


         2

 最悪だ。
 竜平は低く毒吐いた。敵の間に生じた混乱のどさくさで、やっと包囲から抜け出せたというのに。その後に進行している状況は、竜平にとってまことに不本意なものだった。
 「どうしたのです、リューヘイ?難しい顔をして」
 「そういうあんたはずいぶんと楽しそうだな」
 「いいえ、そんなことは」
 いったんは否定の言葉を口にしかけたリディアだが、またすぐに見解を改めた。
 「そうですね、正直に言いましょう。何だか胸がかくかくします……いえ、ばくばくでしたか?それともわたわただったかしら」
 どれでもいいから早く病院に行け。それは心臓がかなりやばいことになっている。
 「あ、わくわくでした」
 リディアは邪気のない笑顔を浮かべた。まるで子供のようなな素直な愛らしさに、竜平は思わず目を奪われる。
 「リューヘイ?」
 急いで顔を逸らせた。
 「どうもさっきから変ですね。もしかして風邪でも引いたのではないですか?顔も赤いようですし」
 「何でもない」
 「ですが」
 額と額が合わされる。竜平は両手両足の関節をいっぺんに極められたみたいに固まった。
 「どうやら熱はないようですね。きっと疲れているせいでしょう。わたしのためにずいぶん無理をさせてしまっていますから。特に昨晩はひときわ激しかったですものね。せめて今夜はゆっくりと休んで……?」
 「いい加減にしろ」
 竜平は強くリディアを押し退けた。
 自分はプロだ。そこいらの女子高生と年の変わらないような小娘に、いいように鼻面を引き回させるわけにはいかない。
 リディアは戸惑ったような表情を浮かべる。ショックを受けたというより、竜平の意図を測りかねているというふうだった。
 本来の美しい銀髪を今は茶色に染めて、目には黒いカラーコンタクトを入れている。平均的な邦人と比べれば肌が白過ぎるきらいはあるが、一見しただけなら異人種としての特徴は薄れている。
 竜平は一つ呼吸をすると、放したばかりのリディアの手を取って歩き出した。わざとゆっくりめの歩調を取る。リディアの言動のせいで、少しばかり周りの注目を集めてしまっている。逃げ出すようにして場を離れてはかえって関心を呼ぶだろう。
 一般人にまぎれて追手の目をくらませる。提案したのは竜平だ。それだけで逃げおおせると考えるほど楽天的にはなれないが、素のままのリディアはとにかく目立ち過ぎる。自分で居場所を宣伝して回っているようなものだ。しかしリディアは初め異を唱えた。
 「わたしは犯罪者ではありません。自分の存在を恥ずべきいかなる理由もありません。この目も髪も母と父から授かった大切なものです。どうして変えなければいけないのですか?」
 ことさらに感情を昂らせるでもなく、リディアは淡々と反駁した。それがかえって高潔な誇りの存在を感じさせ、竜平は危うく説得されてしまいそうになったが、「危険だからだ。あんたも、俺も」と半ば反射的に答えると、リディアはわずかに逡巡し後に頷いた。
 「そうですか。それでは仕方ありませんね」
 そして一転して楽しそうな面持ちになり。
 「考えてみれば、普通の人として過ごすというのも貴重な経験かもしれません。ホリデイだと思って楽しむことにします。リューヘイ、エスコートしてくれますね?」
 否とは言えなかった。
 しがない雇われ人の身では、自分の自由意思を押し通すことは難しい。
 けれど要は気の持ち様だ。折角の休日に自分だけ働かされていると思うから不愉快なのだ。これも遊びだと思えばいい。自分の頭と体を使い、与えられたミッションをクリアする。ゲームみたいなものではないか。
 休日の電車は、混み具合いこそ大したことはなかったが、これから遊びに行くとおぼしき二人連れや、数人のグループなどがはしゃいだ空気を発散していて、ひどく気を乱された。迷惑なことこの上ない。自分達さえ楽しければいいと思っているのか。違うのだろう。自分達以外の存在など、きっと端から目に入っていないのだ。
 自分達だけが世界の登場人物で、他の人間が存在することや、まして尊重し配慮することなど、ああいう奴らの精神には初めからインプットされていない。
 幸太は本の中の二人に想いを馳せた。
 敵に追われる中、普通の恋人同士の振りをして、人波に紛れようとする竜平とリディアも、傍からすればただの浮かれた馬鹿でしかなかったのか。
 そんな筈はない。優しさの中に強さを、強さの中に優しさを秘め運命に抗おうとする二人が、分不相応なシャネルのバッグをこれみよがしに抱えた女や、顔中にピアスを付け下品に笑う男なんかと、同じであるなんてあり得ない。
 「何見てんだよてめぇ!?」
 突然、席の前に立っていたピアス男が声を荒げた。
2009/12/28
(続く)
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