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"ロールプレイ"

3-2


 「一週間?そんなにかかるんですか」
 「勘弁してくださいよ。これを元通りにするとなると、それなりの素体も要りますし、どうしたってそのくらいは」
 「……仕方がありませんね。成田さんが仰るんなら、そうなんでしょう」
 「恐れ入ります」
 店主は深々と頭を下げた。客とはいえ、孫ほども年の離れていそうな相手に対するには、いささかへりくだり過ぎのように思える。幸太へは異様なほどの迫力を示しているだけに、なおさらだ。
 だが三輪の方はごく当然のものとして受け止めているらしく、ためらいなく新たな要求を告げた。
 「けれど代わりは用意して下さいね。このままだと困りますし」
 「それはもう。どれでもお好きなものをお渡しします」
 「ありがとうございます」
 三輪は鷹揚に頷いた。選んだのは、壊れてしまった前の黒縁とは対照的な、フレームレスのものだった。デザインはともかくとして、視力矯正の具合いがうまくいくのか、他人事ながら気になった。
 「では一週間したらまた来ます。よろしくお願いしますね」
 「承知しました。必ず仕上げておきます」
 「それじゃあ行きましょうか、吉淵さん」
 「はい?」
 幸太は戸惑った声を上げた。てっきり自分の役目はもう済んだものと思っていた。しかし三輪は幸太が答えるのを待っている様子だ。
 「その、どこへですか?」
 「親切にしてもらったお礼です。おいしいお茶を御馳走します」
 「いや、いいですよそんなの」
 社交辞令でなく本気で断ろうとしたのだが、背後に冷気を感じて振り返ると、案の定老店主が黒眼鏡越しに睨みをくれていた。貴様ごときがこの方の申し出を断るなど断じて許されぬ、とでも言わんばかりだ。気のせいだとして流すには些か怖過ぎる。
 「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて……」
 「ええ、是非」
 声を裏返らせる幸太に、三輪はにこやかに頷いてみせた。


 彼女には以前、会っている。
 それは気のせいでもなければ朧げな記憶の所産でもなく、ごく近い過去にある事実だった。
 もちろん幸太は最初から気付いていた。ただあえて切り出すつもりになれなかっただけだ。
 一週間前の夜、幸太の落とした本を拾った相手。二度と逢うこともないと思っていた人が今、自分の隣りを歩いている。
 向こうは覚えていないのか。
 疑問が顔に出ていたらしく。三輪が問うように首を傾げた。
 「結構、遠いんですね。どの辺まで行くんですか」
 咄嗟に別のことを尋ねるが、疑問に思っていたのも本当だ。あの眼鏡屋は店構えこそ地味でも繁華な通りにあったから、お茶を飲むなら全国チェーンのコーヒーショップから本格派の専門店まで、近くにいくらでもありそうだった。
 しかし三輪はどんどん人通りの少ない方へと向かっており、今や周囲はすっかり住宅地といった様相だ。
 こうした所にも知る人ぞ知る的な名店があったりするのだろうけれど、ほぼ初対面の男をわざわざ人気の少ない方へ引っ張っていこうという神経は、幸太には少々理解しづらい。
 しかし三輪は全く別のことを気にしたようだ。
 「すいません。まだもう少し歩くんです。お疲れになりました?それとも時間がそんなにないとかでしょうか」
 「それは大丈夫ですけど」
 「でしたら頑張っていただかないと。絶対おいしい筈ですから!」
 「……期待してます」
 そう答えるほかなかった。
 幸太は流されるままに、三輪の後をついて歩く。彼女に自分のことを思い出してほしいのか、それともあの夜のことは永遠に忘れていてほしいのか、自分でも判然としない。ただ一つ確実だと思えることは。
 オタクを好きな女なんか、いない。
 自分が実際にオタクであるかはさておき、客観的にそうみなされ得る趣味は持っている。そして三輪はそれを見て笑った。
 幸太の足取りは明らかに重かったが、三輪は気にする素振りもなかった。実は宗教か何かの勧誘なのではという一抹の不安がよぎる。しかし今さら帰りますなどとも言い出せない。
 やがて三輪は足を止め、幸太を振り返って言った。
 「着きました。ここです」
 「魔女の家……?」
 幸太は唖然と呟いた。
 家というよりいっそ廃屋といった方が近いだろう。住宅街をさらに外れ、雑木や雑草が伸び放題に茂る薄暗い敷地の奥に、煉瓦造りの小さな館が建っていた。
 建物までは草を踏み分けた跡が続いており、門柱に据え付けられたポストには使われている形跡があったから、一応何者かが住んでいるらしいことは察せられる。しかし百歩譲って住居として使われていることは認めても、ここが喫茶店の類であるということは間違ってもあるまい。ということは。
 ──この人の家、なのか?
 「あはは。よく言われます」
 三輪は屈託なく、むしろ面白そうに笑った。
 「ですけど私は魔女とは違いますよ。ここは私のお家で、中でおいしいお茶が吉淵さんを待っています。私の心を込めたおもてなしです。受けていただけますよね?」
 三輪の瞳が幸太を直視した。
 「喜んで」
 自分の唇が動いて答えるのを、幸太は聞いた。
2010/ 1/ 9
(続く)
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