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"ロールプレイ"
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家の中は外から想像されるのとはだいぶ違っていた。案内されたのはリビングで、洋風の間取りという点では外観通りだったが、比較的最近にリフォームでも行ったのか、床の木板もクリーム色の壁紙も真新しく、新築住宅と錯覚してしまいそうなほどだった。
掃除も隅々まで行き届き、塵一つとまでは言わないが、紙屑一つ落ちてはいない。もちろん魔女の館めいた怪しげな道具類なども見当らなかった。
冷静に考えれば当り前だ。若い女性が住んでいるのだから。
建物の外側や庭にまではなかなか手をかけられなくとも、実際に居住する空間は快適に整えようとするに決まっている。家を見た時に受けた不吉な印象を、幸太は苦笑とともに吹き払った。
「すみません。お待たせしました」
キッチンに通じていると思われる引き戸を開けて、片手に丸盆を載せた三輪が現れる。テーブルの上に白いティーポットとカップが二つ置かれる。ティーポットの先端からは湯気が白く立ち上っている。
「お砂糖かミルクも要りますか?できれば素のままで味わっていただきたいんですけど、好みもありますし」
「大丈夫です」
むしろ茶菓子の一つも出さないか普通と思ったが口には出さない。とりあえずカップを手に取る。
喉が鳴った。
純白の磁器に湛えられた澄んだ琥珀色から、芳醇な香りがたゆたっている。それだけで口の中が甘くなってくるようだ。
「どうぞ召し上がってくださいな。私のあなた」
「い、いただきます」
怪しげな三輪の口上に促されて、幸太は茶を口に含んだ。
何だこれ。
思わずカップから口を離し、中に入った液体を凝視する。
とてつもなく甘い。
けれど砂糖や蜂蜜のような、舌に絡んでくる甘さとは全く違う。初めに濃厚でしっとりとした感触が鮮やかに広がり、やがて砂が崩れるようにほどけていく。だが跡形もなく消えてしまうのではなく、胃の腑に落ちてしまった後も、口の中にはなお香気が豊かに満ちている。まさしく甘露の味わいだった。
「いかがですか?」
三輪が問う。幸太は答えられない。言葉にしたら、全部嘘になってしまいそうな気がした。
結局、グルメ漫画に出てくるような大仰で修飾過多な口上をひねくり回した挙句、こう言うことしかできなかった。
「おいしいです」
駄目だ。
幸太は失望した。
これでは何の誠意も実感も伝わらない。おざなりな社交辞令以下である。長年の読書で培ってきた言語データバンクを今こそフル活用して、ふさわしい一句を探す。
「こんなにおいしい紅茶は生まれて初めて飲みました」
もっと駄目だ。月並にして凡庸、しかも中身がない。下手をすれば嫌味か悪い冗談としか受け取られないだろう。
されど三輪は微笑する。
嬉しそうにでなく。哀しそうにでなく。
苦々しげにでなく。空疎にでなく。
世界一有名な肖像画を彷彿させる、事象の彼方を見はるかすような、絶対他者の微笑み。
「〈グレイシャス・モーメント〉」
「え……」
今この人は何と言った?
耳に入り、頭に届いていながら、言葉が意味を作さなかった。むしろ、言葉の持つ質量が余りに大きかったゆえに、意味として切り取られることを許さなかった。
それは既に一個の世界だった。
幸太の精神は〈グレイシャス・モーメント〉に占拠され、他の一切の心的活動が停止した。
「ふふっ」
吐息のような笑いが洩れる。モノクロームの静止画に薄紅の花片が舞い下りてきたかのように、世界が常の流れを取り戻す。
少なくとも、幸太にはそう感じられた。
「何をそんなにびっくりした顔をしてるんです?そのお茶の葉、〈グレイシャス・モーメント〉っていうんです。凄く高価で貴重なものなんですよ。それ一杯で人の命が贖えてしまうぐらい」
幸太は危うくカップを取り落とすところだった。
汗で滑らないように最大限の注意を払いながら、テーブルの上へ戻す。たったそれだけのことをするために三日三晩徹夜したみたいな疲労を覚えていた。
「冗談ですよね?」
声が震えるのを止められない。
高価なものであるのは確かだろう。普通なら自分のような庶民が一生口にする機会のないような、とんでもない値段であるには違いない。
それでも人が買えるはあり得ない。たとえ本当にそんな破格の品があったとしても、会ったばかりの素性も知れない相手に供する筈もない。
「そう思います?」
2010/ 1/10
(続く)
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