Back to
Main
"ロールプレイ"
4-3
たとえばプロ同士の間にも違いはある。話題のベストセラーや読書好きの間で評価の高い作品など、幸太も手を出してみたりすることがある。そして多くの場合は感心する。巧妙な伏線が張られていたり、息もつかせぬストーリー展開だったり、分りやすく感情移入しやすいセンチメンタリズムに溢れていたり。
どの作品も皆それなりに、こういう部分が受けたんだろうなと、評価できる点を持っている。
だけど違うのだ。
幸太の書いたものとプロの作品との間に隔たりがあるように、世に数多ある凡作(その中にはベストセラーも古典的名作も含まれる)と、大神すくなのような一握りの特別な作家の生みなす作品の間にも、絶対的な違いがある。
それは一言で表すなら〈リアル〉の差だ。
現実に即した記述がされているかどうかといった表面的な意味ではない。その小説世界が存在していることを、どれだけリアルなものとして感じさせてくれるか、だ。
それはたとえば竜平の拳であり、リディアの瞳だ。そして二人の間を流れる風の熱さ。そうしたものたちを、幸太は「本当に」知っている。
「本当の小説には、魂が宿っているんです」
それが真相。どれだけ技巧が凝らされていようと、人の興味を引くようなアイテムが詰め込まれていようと、魂が存在しないなら、そこは平板な書割と薄っぺらい紙人形があるだけの虚ろな場所だ。
血の熱さも肉の温かさも骨の冷たさもないところに心は宿れない。
「どうすれば……どうすれば、魂を宿すことができるんですか?」
「知りたいですか?」
「知りたいです」
「本当に?」
もちろん、と幸太は即答することができなかった。正体の分らない戦慄が身裡を這い登り背筋を震わせた。
三輪が眼鏡を外す。その印象は強烈だった。素通しの透明なレンズがなくなっただけの筈なのに、まるで遮られていた光が一遍に溢れ出してきたような気がした。それも尋常の光ではない。
心を闇色に灼き焦がす、黒く冷たい光。
宇宙の一番深い場所から降り来たるかのような。
「それを知ってしまえばあなたはもう元の世界へは還れない。物語の下僕となって、永遠に奉仕を続ける定めとなる。小説に魂を込めるというのはそういうことです。私はそうやって『グレイシャス・モーメント』を書いている。あなたにその覚悟がありますか?」
「僕は……」
幸太は言葉を失った。自分の浅はかさを、瞭然と突き付けられた気がした。
その通りなのだろう。現実ならざるもう一つの現実、本物の虚構世界を創造するためには、己の全てを捧げ尽くさなければならないのだ。半端な覚悟で臨んだところで、片手の指を掛けることすらできないままに、あっけなくも失敗し、消えた夢の名残りを追いながら、空っぽの余生を送って果てる。
やらずに後悔するよりはやって後悔した方がいい。よく聞かれるフレーズだ。頑張って取り組んだ結果なら、たとえ失敗に終わっても、きっと人生のプラスになるだろう。
だけど本当に?自分には不可能な業だったのだと、骨の髄まで思い知らされることが、その気にさえなればやれる、と思い続けることに較べて、本当にましなんだろうか?
「恐ろしいと思いますか?でもそれでいいんです」
三輪は口調を和らげた。
「出来るかどうかも考えずに猪突するのは愚者のすること。時にはそういう蛮勇が必要となることもあります。けれど大抵はうまくいかない。──ホモ・サピエンス、人とは即ち考える者のことです。だからあなたはまごうことなき人間なんですよ、幸太さん。何も恥じる必要はありません。人には向き不向きがあるんですから」
「だったら僕は」
「はい」
「何になら向いているんでしょう?何をしたら、もっとましな人間になれるんだろう。どうしたらこんなにつまらない、意味のない人生から脱け出せるんですか?」
「勘違いをしてはいけません」
三輪はテーブルを回り込むと幸太の隣に座った。体温が感じられるほどの至近だ。
「特別な何かをすることが、充実した生を手に入れられることにつながるわけではないのです。その証拠にほら」
「あ……」
「感じるでしょう?私の魂が高鳴っているのが」
三輪に導かれた掌から、驚くほどに強い拍動が伝わってくる。まるで鋼の杭を打ち込まれているかのような衝撃で、手の真ん中に穴が穿たれ血が零れ出していないことが、いっそ不思議だった。
「あなたも、ほら」
声を上げることさえできない。いつの間に滑り込んだのか、三輪の右手が幸太の左胸の上にあてがわれていた。
「こんなにも昂っている。特別なことなんて何もしてないのに。感じられますか?」
「はっきりと」
幸太は答えた。だが本当に感じているのは自分の鼓動などではなく。心臓を握り締められる、冷たい痛み。
自分の生命が、文字通り一手に握られている。もし三輪がその気になれば、一瞬で潰される。
それでもいい。幸太は思った。今まで生きてきた全部を合わせたよりも、今この瞬間の方がはるかに価値がある。この高みの中で絶え逝くことができるなら、自分は幸福だと断言できる。
ああ。これが。
「そう。〈グレイシャス・モーメント〉」
2010/ 1/20
(続く)
Back to
Main