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"ロールプレイ"

4-4


 まるで幸太の思考を読んだかのように、三輪が言った。いや、実際に読んだのだ。幸太の魂はもう三輪の中に取り込まれている。伝わるのは当然だった。
 その一方で三輪の心の内は幸太にはまったく闇の彼方にあったのだが、その矛盾にはわずかも思い到っていない。
 「高められた時間へと至るためには、自らが創造手にならなくてもいいのです。そちらの途は険しく至難、選ぶのは賢明なことではありません。ですが幸太さん、あなたにはもう一つの道があります」
 「それは……」
 幸太は心の底から答えを欲した。自らの存在を肯定してくれる言葉を、三輪ならば与えてくれる。
 それとも、真の作家である大神すくなが。
 「僕でも行けるんでしょうか?特別に選ばれた才能を持たない僕なんかでも、進むことが出来るんですね?」
 「もちろん。それにあなたには素晴らしい才能がありますよ。共感能力というね」
 「共感能力……。僕にそんな力が」
 「あります。あるいは投影能力と言い換えてもいいでしょう。──私の『グレイシャス・モーメント』は傑作です。自画自賛が過ぎると笑われるかもしれませんが、人の手に為るもので、あれに匹敵する作品は数えるほどしかない」
 「僕もそう思います。あれは本当に特別だ」
 「ありがとう。そう言っていただけて光栄です」
 三輪は優雅に微笑んだ。
 この人は確かにリディアの創造主なのだ。そう感じさせるような、魅力と高貴さに満ちていた。
 「しかし広く世に知られているというわけではないし、実際に読んだ人達においてすら、皆が皆高い評価を与えるわけではない」
 「世の中の連中なんて馬鹿ばっかりなんですよ。下らないことしか考えてないから本当に良いものが分らないんだ」
 「そうですね。そういう面があることは否定しません。けれど、物事には別の見方というものがあるんですよ」
 三輪は幸太をみつめた。信頼と親愛が込められたまなざしだと、幸太は思った。自分が三輪の味方であり、同志ともなれる人間だと、きっと確信し始めているんだ。
 さっきから彼女が語ってきたことは、普通の常識的な大人からすれば「何をわけの分らないことを言ってるんだ」とにべもなく切り捨てられてしまうような内容だ。
 でも僕は違う。
 三輪の言葉を十全に理解しているし、それ以上に共感できる。それはつまり。
 「幸太さん、あなたが特別なんです。私と同じ。日常の現実を越え、想像の壁を破り、もう一つの〈現実〉へと入っていくことができる人です。それは魂で感じる世界、真に心が生きる場所。そうした心と魂を、あなたは本当に持っている。それがあなたの才能。だからお願い」
 三輪は己の胸にあてがった幸太の手を、きつく握り締めた。
 「あなたの魂を私にください。私の創造する世界のマナとするために」
 心臓が震えた。雷に打たれたような衝撃に、ばらばらに破れて身体から飛び出してしまうのではないかと半ば本気で恐怖した。
 だがそれが杞憂であるということもまた同時に分っていた。
 幸太の手を導いているのとは反対の手で、三輪が幸太の心臓を掴み締めている。この拘束がある限り、絶対に流れ散ってしまうことはない。幸太の中で脈打つ情動は全て三輪の内へと流れ込む。
 幸太は至福の境にいた。特別の作家、世界を創造する魔術師の生成の御業に、自分が力を分かち与えることができるのだ。
 「喜んで。僕の魂を、あなたに捧げます」
 「ありがとう」
 三輪は笑った。幸太は笑い返した。三輪が顔を寄せ、闇よりも深い漆黒の瞳が視界を覆う。幸太は目を閉じた。ひっそりと唇が重ねられ、火の塊のような吐息が吹き込まれ、閉じた口の間を舌が割り、幸太の五感は侵食される。何一つ考えられない。考えようという気さえ起こらない。世界は白一色に塗り潰され、幸太の精神を形作っていた骨格は、湯に浸された砂糖のように溶け崩れていく。ただほんのわずかに残った心の片隅で、騙されるな、自分を見失うな、としきりに警告する声があった。
 目を開け、現実を見据えろ、このままでは取り返しのつかないことになるぞ。
 うるさい。折角の素晴らしいひとときを邪魔するな。俺はこのままでいい。このままがいいんだ。夢のあわいの中に永遠にたゆたっていたい。疲れるのも鬱陶しいのももうごめんだ。全部消えてしまえばいい。
 現実なんて、いらない。
 「しゃんとしろ、馬鹿者」
 厳しく冷たい声音に、ふらふらと漂っていた意識が強引に現実へ引き戻された。しかし自分がどこで何をしていたのかすぐには思い出せず、広太はエレベーターの底が抜けたみたいな浮遊感と不安感に捉われる。
2010/ 1/23
(続く)
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