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"ロールプレイ"
4-5
「今連絡が入った。目標は既に店を出ている。恐らく厨房を抜けたのだろうと推測される。意味は分るな」
「は、はい、えっと、つまり」
精神が恐慌を来しかけるが、ふいに頭の中で何かが切り替わった。急速に世界が在りて有る形相へ収束する。今ここに、意識がはっきりと焦点を結んだ。
「つまり、こちらに来る可能性が高いということですか」
「そうだ。居眠りしてる場合じゃないということだ」
「俺、いえ自分はそんな」
咄嗟に抗弁しかけるが、突き刺すような眼光に阻まれて沈黙する。
「……申し訳ありません。気が緩んでいました」
「謝ってる暇があったら集中しろ。正念場だ」
「はっ」
言葉はあくまで厳しかったが、咎めるという以上に励ます色調が強いように感じられた。
決して甘い人ではない。怠慢があれば容赦なく鉄拳が飛んでくる。無論嬉しくはないが、一つ間違えればたやすく命を失う任務に従事する者として、己を厳しく律するのは必要不可欠のことだ。そう納得させてくれる公正さを持っていた。
それに自分のような新米とは違い、二十年来のキャリアを誇るプロ中のプロだ。尊敬や忠誠心といった青臭い感情を抜きにしても、死にたくないなら素直に従っておくべきだった。
「確認する。対象は二人、女の方は全くの素人で、男の方は腕利きだが銃器は所持していない。お前の役目は牽制並びに援護。二人が姿を現したら女に向けて発砲しろ。狙うのは肘から先、膝から下。危険な部位は避けろ」
「はい」
「銃撃を受ければ男は必ず女を庇う動きを取る。そこを衝く。タイミングだけは絶対に間違えるな。発砲するのは、必ず二人両方が出て来てからだ。それが狂うと全てが崩れる。俺もお前もまず無事では済まないと思え」
「大丈夫です。必ずトクサさんの役に立ってみせます」
「思い上がるな!お前は自分の役割を果たすことだけ考えていればいいんだ。そうすれば上手くいく。いいな。男と女、両方が出てからだぞ」
トクサは念を押すと、広太の肩を強く二回叩いて、扉の脇で待ち伏せるべく動き出した。影が滑るようなひそやかな身ごなしだ。
広太はジャケットの内側に忍ばせた拳銃を握り締めた。特殊樹脂製のフレームは軽量で、取り回しは楽だがどうにも頼りない。射出されるのも重い鉛弾ではなく、硬質ゴムだ。標的を無力化させるのに十分な威力を備えていると、頭では分っているが、やはり不安は拭えない。
だがこれはまぎれもなく本物の銃だ。これから始まるのも映画や小説の中の出来事ではない、本物の殺し合い。撃たれれば血の流れる、痛みと緊張に満ちた現実だ。
毎日決められた通りに出勤し、言われるままに働いて疲れて帰って寝るだけの薄ぼけた世界とはまるで違う。自分の意志を持たず、自分の行動の意味も知らず、生きているのに死んでいるような空疎な日々とは縁を切った。死と隣り合わせにあってこそ、人は本当に生きることができる。
だから俺は恐れない。緊張はしているが水のように冷静だ。もうすぐあの扉から男が姿を現すだろう。きっと針鼠みたいに警戒している。だけど大丈夫、安心しろよ。周りにあんたの敵はいない。だから女も外に出して安全だ。ほら。早く出て来い。扉を開けろ。
開いた。
「うわぁぁーーっ」
広太は雄叫びを上げて隠れ場所から飛び出した。段取りを完全無視した暴挙に、不意打ちの機を窺っていたトクサが唖然として振り返ったが、まるで気付きもしなかった。ただわずかに開いた隙間だけを凝視し、ろくに狙いも定めないまま、闇雲に引き金を絞り続けた。
あるいはドアに当って鈍い音を立て、あるいは壁に当ってむなしく地面に転がり、一つとして有効な打撃を与えることなく、弾倉はすぐに空になる。
半秒と間を置かず。扉が隙間を広げた。
一人の男がそこにいた。恐らく年の頃は広太とさほど変わらない。背丈も体の厚みも標準の枠に収まるだろう。しかし。
眼は違った。
鋼のように強靭で、晴れ渡った空のように澄んでいる。己が何者であり、何を為すべきなのかと常に問い続け、見定めようとする者の持つ輝き。惰弱であることを排し、守るべき人のため全てを捧げることを自身に誓約した者の、意志の光。
広太の身は竦んだ。覚悟の違いを思い知らされたというより、ただ単純に恐怖した。
彼我の力量の差を、冷静に分析した上でのことではない。小さな子供が大型犬を前にした時のような、理も非もない情動だった。
だがそれも長くは続かない。文字通り瞬き一つする間の出来事だった。男が手首を閃かせた、と認識し終わるよりも先に、広太は眉間に衝撃を受け、そのまま意識を失った。
2010/ 1/24
(続く)
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