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「おっとこまえ!!」

「おっとこまえ!!」

第7回


 表情には一切の動きなく、なのに空恐ろしいほどの意志がそこにはあった。
 哲平の背筋は凍りつき、指一本さえ自由にならない。まるで青白い炎に絡め取られてしまったかのようだ。
 おかしい。火なら熱いはずなのに、なぜこんなに冷たく感じるんだ。埒もない思いが浮かぶ。
 だが絶対零度の恐怖に呪縛されたのは、直巳とのつき合いの長い哲平だけだったらしい。
 あ、この野郎っ。
 柾は巨体に似合わぬ身軽さで、体を反転させ間を置かずに離脱を図る。
 直巳の視線が逸れ、そのおかげで哲平も圧力から解放されたものの、咄嗟には追いかけられない。もしこのまま逃げられたら、哀れ哲平一人が犠牲の祭壇に載せられる。
「こら!今さら責任逃れする気!?」
 しかし実咲人の反応が意外にも敏速だった。
 細くしなやかな腕を伸ばして柾の襟首を引っ掴んだ。死角から掛けられた急制動に柾の上体は思い切り後ろに仰け反って、とは遺憾ながらいかなかった。
「うわっ」
 実咲人の踵が浮いた。
 まるで等身大フィギュアストラップか何かみたいに実咲人は吊り下げられたまま、柾がトイレの外へ踏み出した。


 駄目だ、もう間に合わない。
 哲平はがっくりと項垂れた。
 直巳がこのまま済ますことはないだろう。必要なら白瀬家の力に訴えてでも柾に制裁を加えようとするはずだ。
 しかしそれは全部後の事、今この場で直巳の怒りを引き受けるのは哲平しかいない。切腹を控えた武士の気分で、哲平は介錯人たる直巳を盗み見た。
 ぎょっとする。
 直巳は紫の布に包まれた棒を構えていた。いやむしろ振りかぶっていた。
 その先にいるのは哲平でない。それはいい。しかし。
 まさか投げ付けるつもりか!?
 それはさすがにまずい。
 布の中身が何か定かでないが、たぶん小太刀の類だろう。鍔に当る部分が無いようだから鉢割りとかか。
 いずれにしろ鉄の塊には違いない。いくら抜身ではないといっても(ないよな?)直撃したらただでは済まない。手の内にある場合とは違って、ひとたび放してしまえばもはや寸止めも加減もできない。
 そのまさかだった。
 直巳は流麗なフォームで棒を投擲、紫色の包みは流星みたいに柾の後頭部へ飛んでいく。
 少しでも狙いが逸れたら実咲人に当りかねないというのに、さすがの思い切りの良さだ。人として褒めていいのかは相当に微妙だが。
 棒の先端が柾を捉えた。哲平は唾を呑み拳を握った。金属と骨とがぶつかる、鈍く重い致死の音がここまで聞こえ。
 ぽくっ。
 あれ、意外と軽い響き?
 力が抜ける。なんか大したことなさそうだ。
 それでも痛かったことは痛かったらしい。「ぐがっ」と珍妙な呻き声を上げ、柾は頭を押えてしゃがみ込んだ。


 急にうずくまった柾につられて実咲人も体勢を崩しかけたがどうにか転倒することは免れた。見事に獲物を仕留めた直巳は即座に実咲人の傍らへ急行する。
 柾はこれ以上の逃走をあきらめたらしい。後頭部をさすりながら不貞腐れた猿みたいに尻を落とす。
「柾くん、そこに正座」
 だが実咲人に言われ、すぐに座り直した。まるで叱られたペットだ。
 哲平は息をついた。良かった。この世に正義はあった。
 不幸な誤解こそあったものの今となっては裁かれるべき罪人が誰なのかは明らかだ。あとは当事者同士で心置きなく決着をつけてもらおう。
「テッペイ、きみもだよ。柾くんの隣に」
 俺もかよ。
 固い床板の感触よりも、時折向けられる他の生徒からの視線が痛かった。正座する学ラン男二人の前にセーラー服の少女が二人仁王立ちしているという絵面は男子高においてはかなりシュールなものだろう(セーラー服の片割れは自称男だけど)。関わり合いになるのを恐れてか誰も近くまでは寄って来ない。
「それじゃあ約束通り、二人には一緒に責任取ってもらうからね」
 実咲人はきっぱりと通告した。


 はたして何をどうしろと言うつもりなのか。哲平は表面大人しく畏まりながらも頭の中では激しく警戒を募らせた。
「嫁に貰え」的な何かでないことはもはや確実な状勢だ。まさか「チン○もぐ」的な何かではないだろうな。もし余りに余りにもな内容だったらなんとしてでも離脱を図る。たとえばこの野郎を上手く楯か囮に使えば。
 哲平は横目で柾の様子を探った。思い切り視線がかち合う。
 こいつ。同じ事考えてやがったな。
 再び同時に顔を背け合った。
「あなた達、きちんとなさい。これから実咲人が自ら手討ちにしてくれるのよ。立場を弁えなさい」
 何やらひどく不穏な単語が聞こえた気がしたがまずは従う。たとえ実咲人の思考は読み切れなくても、直巳ならば分る。もしここで逆らったりしたら物凄く痛いことになる。文字通りの意味で。
 実咲人は改めて二人に相対した。
「柾くん」
「はい」
「テッペイ」
「なんだよ」
 直後、脳天に雷が落とされる。直巳の持つ紫の包みが振り下ろされていた。
「……はい」
 呻くのをこらえて哲平は返事をし直す。
 実咲人が少し困ったような顔を直巳に向けた。
「直巳、ぼくのためを思ってくれるのは嬉しいけど。すぐに暴力に訴えるのはよくないよ」
「…………。あなたがそう言うのなら」
 直巳は不本意そうだったが同意した。
「ありがと、直巳。──それで、きみたちがぼくにしたことだけど」
 実咲人の声が低くなる。一見すると不機嫌そうだったが。
「やっぱりその、失礼だよね。……おトイレしてるとこを覗くなんて」
 桜の花弁が色づくみたいに、薄く頬が赤らむ。隣で柾が鼻の穴を膨らませるのが見なくても分った。
「いくらオトコのコ同士だからって、さ」
2012/ 2/12
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