民主主義の基本は話し合いです。
表現規制に賛成の人も反対の人も、自分の論点、そして相手の論点をきちんと理解した上で、実りある議論を行いましょう。
(
この例にある誰かのようなサル以下の態度は慎むべきです。少なくともサルは人が真面目に話しているのを悪意を持って妨害したりはしません)
なお、上から下へのフローチャートという形を取ってはいますが、これは必ずしも一個人が一つの主義のみにあてはまるということを意味しません。
あくまで議論の立脚点を明確にするための参考図だとお考えください。
翻訳家の兼光ダニエル真の
ウェブ上での発言に、日本のオタク系作品とアメリカの娯楽作品とでは”虚構の種類が違う”といった趣旨のものがあった。
興味深い指摘だが、これはオタク的文脈に属する作品と一般向けの作品についてもある程度当てはまる区分ではないかと思う。
つまり、一般向けの作品が「現実に準じたものとして成立している虚構」であるのに対し、オタク系作品は「虚構の素材によって成立している虚構」だということだ(詳しくは東浩紀の『ゲーム的リアリズムの誕生』を参照。ある種の作品群には、現実とは別種の「リアリティ」があるのだと言えば分る人には感覚的に分るだろう。”○○は俺の嫁”、というのもその類)。
この成立の仕方の違いが認識されないために、治安担当者や児童ポルノ撲滅に邁進している人々が躍起になって「虚構の」作品を攻撃するのに対して、反対するオタク層からは”規制派の連中は現実と虚構の区別がつかない”といった皮肉に満ちた批判が飛び出すことになる。
そしてこの両者の間にある意識の齟齬は原理的に決して解消されない。
なぜなら、規制派がオタク系作品に好意を持って親しむことは無いだろうし、もし仮にそうなったとしたら、その時にはもはや彼らは規制派ではなく反規制派のオタクになっているであろうから。