さて、世界を客観的に見たとき、現在の物語の中心は日本ではなく、アメリカであり、ヨーロッパであった。
ドイツのネルフ第三支部には、現在ギリシャの双子とフランスのエリーヌ、三人の新規メンバーを加えて総勢七名のランクA適格者が存在している。
だがもちろん、このドイツにおける主人公は彼ら三人ではないし、ましてやセカンドチルドレンたる惣流・アスカ・ラングレーですらない。
「拾捌号機、オールグリーン」
「シンクロ率三六.五二九%」
「シンクログラフ、パルスパターン共に異常ありません」
オペレーターとランクA適格者たちが見守っていたのはたった一人。
愛機、拾捌号機に乗り込んだ、紀瀬木アルトであった。
第弐佰漆話
心の概念
六月十二日(金)。
この日、ドイツではようやく修理が完了したエヴァを一体ずつ試運転していた。
六日の戦いでダメージがほとんどなかったのはアスカの弐号機とエレニの弐拾肆号機くらいで、あとはどこかしらの損傷があった。それをわずか数日で修復。一番重傷だったルーカスの弐拾参号機がようやく最後、昨日ほぼ完璧な状態で修理が完了していた。
機体が無事ならあとはパイロットの問題だけ。全員が一度シンクロを行い、問題ないかどうかのチェックを行った。そこで紀瀬木アルトは上記のような数値を出したのだ。
「どう思う、クライン?」
アスカがモニターから目を逸らさずに隣にいたクラインに尋ねる。
「特筆することのない、いつものアルトですね」
「そうね。この間の戦闘記録を考えなければ、直前に出したアルトの数値が三五%だったはず。一%の上昇ならよくあることよね」
「この数値が継続できるなら十分戦力として計算できます。それに、アルトが意識を失ったときは──」
「今以上の数値を出すことができるし『もう一人のアルト』はこちらの考えをくみ取って行動してくれる」
「過去のデータだけを見ればそうなんですけどね。どうも気まぐれな相手のようですから、期待はできませんね」
無論、誰もが『もう一人のアルト』を計算して作戦を立てるつもりはない。ただ、アルトが意識を失った方が高い作戦遂行能力が得られる。それもまた、過去数回の状況から判断できる。
そのアルトは、エヴァンゲリオンの中でさらに意識を内へともぐらせている。
きっと自分の中にいるのだ。もう一人の誰かが。その正体をつきとめたい。自分の体を操っている者の正体が知りたい。
(お願い)
シンクロしながらアルトは語りかける。
(私の中の誰か──いえ)
ここまでくれば、さすがに予測はできる。
きっと、自分の中にいるのは、
(お姉ちゃん)
紀瀬木、ノア。
(お姉ちゃんなんでしょ。私の中に、いてくれるんだよね)
だが、返事はない。
(私を守ってくれそうな人で、私の中にいる人なんて、お姉ちゃんしかいない)
何度も、何度も語りかける。
(お願い、答えて、お姉ちゃん)
だが、もう一人のアルトは答えない。
「浮かない表情ですね」
シンクロテストが終わったアルトにエリーヌが声をかける。
まだマリーが生きていたころから、アルトはエリーヌともマリーとも仲が良かった。それは間に同じ日本人であるサヤカの存在があったことも大きい。
「エリーヌも知ってるでしょ。私の中にもう一人いるんだって」
「そうは聞きましたが、私はその『もう一人』に会ったことがありませんから、私にとってアルトはアルトです」
「エリーヌはいつでも優しいよね」
彼女はいつも誰かを心配している。自分よりも他人を優先して行動している。少なくともアルトにはそう見えた。
「そんなものではありません。私には、誰よりも優しい、ジャンヌ・ダルクのような友人がいた。少しでも彼女のようになりたいと思っているだけです。本当の私はもっと、他人に冷たく、無関心な人間です」
「そう」
エリーヌの言葉に、しばしマリーを思い出す。考えてみれば、彼女が亡くなってからまだ二か月。それなのに、あまりにも多くの出来事がありすぎて、ひどく遠い過去のように感じる。
「アルトは自分を過小評価しすぎです」
「え?」
「現段階ですでに三十%台後半を出している。それだけで十分戦力として計算できます。もし意識がなくなって『もう一人』が出てきたとしても、それは戦力アップであってダウンすることにはならない。もし『もう一人』が出たなら、それはあなたにとってラッキーだと考えればいいのではないですか」
一方のエリーヌはぎりぎり二十%に到達したところだ。これでは戦力どころか弾除けにしかならない。もし犠牲が必要な作戦を立てたとしたら、間違いなくエリーヌがその担当となるだろう。
「あなたはここに集まった七人の適格者の中で、アスカに次ぐ二番目のシンクロ率なんです。それを忘れないで」
「うん。ありがとう、エリーヌ。でも私、七人の中で──ううん」
アルトは首を振った。
「すべてのランクA適格者の中で、一人だけ使徒との戦闘経験がないんだ。だから、不安しかない。私が戦ってどうなるのか、何の役にも立たないんじゃないかって」
「あなたで役に立てないなら、他の五人は不要物でしょう」
その会話は最近、日本でも似たようなものがあったが、もちろん彼女たちがそれを知るはずがない。
「あなたが『もう一人』を気にするのはわかります。自分の中にいる何かを無視して日常を過ごすことはできないでしょう。でも、今は緊急時です。分からないものは分からないと割り切って、今できることを考えるべきではないですか」
「うん。それはわかってる」
少なくとも使徒戦以前よりはずっと前向きだ。シンクロテストを行ったのも『もう一人』に会える可能性を考えたことと、自分自身のレベルアップを考えてのことだ。
「でも、その『もう一人』は私にとって、とても大切な人だと思うから」
「なるほど。浮かない顔をしていたのは、会いたいのに会えないからですか」
「そんなところ。もう、どうやったら会えるのかなあ」
渇望したところで相手からの返事は全くない。答を知っている人はヒントすら教えてくれない。これでどうすればいいというのか。
「手伝いましょうか?」
「え?」
「今まであなたが記憶を失ったというデータ、全部を検証すれば少しは見えてくるものがあるかもしれません」
それこそアスカやクラインはあれこれとアドバイスをくれたが、結局他人から見ても真実に至ることはできなかった。だからエリーヌが見たところで何かが分かるわけではない。
だが、初めから『もう一人』が『そう』だとしてみたらどうなるだろうか?
アルトは頷いて答えた。
「お願いしてもいい?」
「友人のためになることなら大歓迎ですよ」
「じゃあ、これはアスカさんや他の人にも伝えたことはないんだけどね」
前置きしてから伝えた。
「多分、私の中にいるのはお姉ちゃん。紀瀬木ノア」
「紀瀬木ノア」
「お姉ちゃんとのことを話すと少し長くなるけど、いいかな」
それからアルトは自分の身の上話を始めた。
第一東京であった悲劇と、双子の姉妹に一人のガードの話。
それらがすべて話し終わるまでには、三十分ほどの時間がかかった。
エリーヌはずっと黙って聞いていた。姉との話が全て終わってから尋ねた。
「あなたの姉は、六歳のときに亡くなった。それは、間違いないことなのですね」
「うん」
「でも、あなたは姉が亡くなったときのことを覚えていない。確かに幼い頃の話ですし、記憶があやふやなのは仕方がないと思います。でも、第一東京のシェルターでの最後の日に限って記憶を失っているのは、今の状況に酷似してはいませんか?」
「あ……」
「気を害してはすみません。その、紀瀬木ノア、という人物は実在したのですか?」
「それは、間違いない。私はずっとお姉ちゃんと一緒だった。そして三人であのシェルターに入ったのは間違いない。私はいつも守られてばかりで、二人に迷惑をかけっぱなしだった」
エリーヌはそれを聞いてもなお疑問が解消できなかった。
紀瀬木ノアという人物が本当に実在したのか。話を聞く限りでは、ノアに会ったことがあるというのはアルトともう一人の少年、古城エンだけだ。そして、エンという人物はアルトに真実を隠しているという。その真実が『紀瀬木ノアが存在しない』というものではないのか。
もし存在しないというのなら話は早い。最初からアルトは二重人格だったのだ。それだけの話。
だがもし存在したというのならどうだろう。もともと二人だった人間が一人になる。そんなことが可能なのだろうか。
「あなたがいた研究施設というのは、何をしていたところなのですか?」
「私はほとんど何も知らないんだけど、双子の研究をしているところだった」
「ご両親は?」
「いなかった。研究所の人たちは優しくしてくれたけど」
それがアルトにとっての普通だったということなのだろう。
(どちらでも大丈夫なように考えた方がいいわね)
真実へ至る道は一つではない。間違えた考えからも何かが分かることがある。
「ノアはどんな人だったのですか?」
「何でも知ってて、大人びてて、かっこよかった」
当時まだ六歳。さすがに評価が高すぎる。いや、六歳にして大人三人を相手に軽々勝ってしまったという古城エンという人物も並ではないが。
(でも、そんな子供離れした二人と一緒にいたアルトは──)
アルトには特別な力はなかったのだろうか。
研究施設にいたというが、双子の何を研究していたのか。わざわざ同い年のガードまでつけて。いや、研究施設は破壊されてしまったが、最終的には古城エンがこの年になるまでずっとガードをし続けていたのかもしれない。
(そして結局、アルトは適格者の最高峰であるランクAになった)
そう考えていくと、その研究施設は適格者を作るためのものではないのだろうか。実際、何が起こっているのかは分からないが、意識がなくなったときのアルトは最大六十%までシンクロ率が上がっている──
「なるほど。まず、事象だけ追いかけると、アルトの意識がなくなったときにシンクロ率が上がっているのは、研究施設での何らかの成果だとみるべきでしょうね」
「研究……成果?」
「そうでしょう? 何を目的にした組織かはわかりませんが、その後の足跡を見れば明らかでしょう。あなたはネルフに入り、ランクA適格者となり、意識をなくしたときにシンクロ率六十%を出した。あなたは通常だと三十%台なのですから、それはあなたの体の不調と考えるより、成果と考えた方がいいのではないですか?」
今までとは全く異なる考え方。それだけでもアルトにとっては相談した甲斐があったというもの。
(まあ、結局問題の解決には至らない)
知りたい情報はたった一つ。『もう一人』が誰なのかということだ。
「じゃあ、実際の映像を見せてもらいましょうか」
「ええ。記録は残してあるから見に行きましょう」
そうして二人は記録室へやってきて映像を流す。
MAGIとは無関係に設置された監視カメラの映像。
そしてアルトが乗り込んだときの二回のエヴァ内部の映像。
「MAGIの映像が切られたのは『もう一人』の仕業じゃないかって言ってた」
「その意見に同意です。『もう一人』は自分が行動しているところをよほど見られたくないみたいですね。たとえば『もう一人』がよくしている仕草が映像に残るのはよくないとか」
「うーん……お姉ちゃんに特有の仕草なんてあったかなあ」
「はっきりしてなくてもいいのでしょう。『もう一人』のことを知っている人が見れば、一瞬でそれだとわかってしまうくらいの存在感があるのでは」
「それはもう間違いないわ。お姉ちゃんは誰が見ても魅力的で、目を止めずにはいられなかったと思う」
「六歳の評価とは思えないですね」
「あのまま私たちと同い年になっていたら間違いなくそうなってた。それだけ人を引き付ける魅力にあふれていた」
「でも、それならアルトもそうですね。一卵性双生児なのでしょう?」
「双子でも違うんです。もしもあそこにいたのが二人ともお姉ちゃんだったとしたら、間違いなくみんな助かっていたはず。それくらい私とお姉ちゃんとでは違う」
「なるほど」
エリーヌが頷いたのは、アルトの姉に対する尊敬の念についてだ。見た目が変わらないアルトとノアとで魅力が異なるなどということはありえないだろう。だが、アルトはそれ以上に姉を崇敬している。
「ところで、話は変わりますが」
「うん」
「紀瀬木ノアの、遺体も見てはいないのですね?」
「うん。気が付いたときは、エンが私を助けて別の場所にいたから」
「紀瀬木ノアは置き去りにされた」
「うん」
「ではやはり、死んだかどうかは確認できないですね」
「でも、死んでいるのは間違いない」
「その場を見ていないのに、遺体すら確認していないのに?」
「そうなんだけど──それは間違いないって、私自身が分かってる。ごめん、意味わかんないよね。でも、お姉ちゃんが死んだことはなぜか分かるの」
「それって──」
似ている。今回の件と。
意識がなかったのになぜかメッツァのことだけは覚えているということと。
(この記憶の混乱、もしかして六歳のときからずっとあったのかしら)
だがいったいなぜそんんあことが起こったのか。
アルトの言うように、彼女の中に『もう一人』がいたとする。
そのもう一人が体を動かしていても、大切な人間が亡くなったことだけは脳に焼きついたということだろうか。
もっとも、そうなると今度はまた別の問題が起こる。
(そうなると姉が死んだのを目の前で見たことになるのだから、やはり彼女の中にいる『もう一人』は姉ではないことになるのだけれど)
それとも姉が死んで、その魂がアルトの中に入り込んだ、などというのか。ばかばかしい。
もちろんエリーヌはそんな非科学的なことは信じない。そして、アルトの現象は必ず科学的に説明可能なものであると半ば確信している。
(誰かがアルトの体を操作した結果なんだ。だからこそその原因を見つけなければ)
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