聖人図鑑

 ローマ・カトリックには聖人を崇め、奉る習慣がある。彼ら聖人とはキリスト教の布教に尽力した司祭や信徒、王族で、キリスト教を布教したが故に迫害にあい、殉教していった者たちや奇跡を起こした人たちが聖人、あるいは福者として教会に認定されている。

 聖人たちの奇跡や伝説の半分以上は、ギリシア神話やゲルマン神話、ケルト神話、スラブ神話などの「異教」の神々の伝説を取り入れている節があり、布教していくうちに、ヨーロッパ各地の民話や神話を取り入れて異教徒たちを受け入れやすくしているケースもあるという。

 ★聖ユリアヌス 記念日 8/28(オーベルニュ) 1/27(ル・マン)

 聖ユリアヌスは同名の名前の聖人が多く、それらの伝説が長い歴史の中で混同されて新たな架空の聖人を生む一因となった。中でも有名なのはオーベルニュの聖ユリアヌスと、ル・マンの聖ユリアヌスの二人である。
 オーベルニュの聖ユリアヌスはフランスの聖人であり、三世紀後半の人物である。ローマ帝国の軍人だったが、キリスト教徒だった。しかし、帝国がキリスト教を迫害すると軍人を辞めて、布教活動を行うようになった。
 彼は迫害の末、斬首されてその首はオーベルニュのブリウドという街に、身体は出身地のビエンヌに埋葬された。オーベルニュの聖ユリアヌスは熱病に御利益のある聖人と言われている。

 ル・マンの聖ユリアヌスはル・マンの司教で、旅人や旅芸人、巡礼者の守護聖人である。二人の聖ユリアヌス、あるいは他のユリアヌスの逸話は混同されていることもあり、ル・マンの聖ユリアヌスは、もう一人の聖ユリアヌスのエピソードと混同されている。この聖ユリアヌスは生年月日が不祥で、実在の人物かも定かではない。

 ユリアヌスの名は、元々はローマ神話の主神ユピテル(ギリシア神話のゼウスに当たる神)がその由来で、ラテン語で「栄光」という意味を持つ。

 ★聖ゲオルギウス 記念日 4/23 

 聖ゲオルギウスはドラゴン退治の伝説を持つ聖人で、後世のファンタジー物語の原形と呼ばれている。この逸話は後から付け加えられた創作だが、それ故人気は高く、ヨーロッパ各地で尊敬されている。そのエピソードを紹介しよう。

 昔、あるところに悪龍に悩まされていた町があった。住民は武器を持って退治に出たが失敗してしまう。龍は街まで出向いて、毒の息を吹き付け、病を蔓延させた。
 困った住民たちは龍に羊を生贄として差し出し、龍の機嫌を取ったが、羊はいなくなり、ついに町の若者を捧げることにした。それも限りがあり、ついには町を治める王の一人娘だけとなった。
 王は示しをつけるために、姫を龍に差し出して、町の外れに置いてきたが、そこへ旅をしていた騎士ゲオルギウスがたまたま通りかかった。ゲオルギウスは嘆いている姫に事情を聞くと、そこへ龍が現れた。
 ゲオルギウスは十字を切りながら、龍を槍を突き立てて倒した。姫が救われて、王は喜んだ。ゲオルギウスはそこで、キリスト教の使者であることを明かし、王や住民たちに改宗することを勧めると王は真っ先に洗礼を受けた。
 王は感謝の印として、ゲオルギウスのために教会を建立した。そして、教会から泉が湧き、その水を飲んだ病人たちはたちまち癒された。王はさらに感謝してゲオルギウスに褒美を与えたが、彼はそれを受け取るや町の貧しい者たちに全て配ってしまった。
 そして王に教会を保護し、貧しい者を救うように伝えると、彼は旅を続けるために町を後にしたという。

 このエピソードは、今のファンタジーの原形とも言われている。聖ゲオルギウスが農民や家畜の守護聖人であるのは、この中のエピソードで羊を悪龍に平らげられてしまうことから由来していると思われる。カトリックでは龍は邪悪の化身であり、家畜を野犬や伝染病から守ってくれるのが聖騎士ゲオルギウスというわけである。
 狂牛病や口てい疫で混乱の続くヨーロッパは、もしかしたら聖ゲオルギウスのご加護が必要なのかもしれない。

 ゲオルギウスは、ギリシア語で「農民or耕す」の意味を持つ。農民や酪農、あるいはイングランド全域を守護し、上のエピソードから傭兵や戦士、馬具師や甲冑職人、養老施設、毒蛇に噛まれた時やペストなどの伝染病予防を守護している。

 ★聖マルティヌス 記念日 11/11

 聖マルティヌスはハンガリー生まれのローマ軍人であった。聖ユリアヌスや聖ゲオルギウス、聖セバスティアヌスなどの聖人たちもローマ帝国の軍人であり、中には迫害されて殉教された者もいたが、帝国非公認の当時にも多くの体制側の人間、しかも迫害する側の人間の中にまでキリスト教が広がっていたことが分かる。

 マルティヌスの治世にはローマ帝国でもキリスト教が公認されており、迫害も終わっていた。彼も広く布教していたキリスト教を目の当たりにして、信仰を持ち始めたのだ。

 マルティヌスは帝国でも名門の一家に生まれ、将来の帝国軍人として期待も大きかった。彼がフランスのアミアンで任務についていた時、アミアン城の門前で物乞いをしている乞食と出会った。
 マルティヌスは施しをしようと懐を見たが、持ち合わせのお金がなかった。彼はお金の代わりにつけていたマントを半分に裂いてその半分を乞食に与えた。それを見ていた人たちは馬鹿にしていたが、マルティヌスは恥じることなくもう半分のマントをつけて去っていった。

 その夜、マルティヌスの夢にキリストが現れた。キリストは彼が乞食に分け与えた半分のマントを纏っている。この時、マルティヌスは厚い信仰を持ちながらまだ洗礼を済ませていなかった。
 マルティヌスはこの時、キリスト教徒として生きていく決心をした。後に洗礼を受けて、軍人を辞めて修道士として生きる道を辿った。

 彼はカトリックの聖人の中で、最初の「殉教」しない聖人となった。当時の世相がキリスト教公認という中で、マルティヌスは比較的恵まれた環境で信徒になれたわけだ。
 彼のエピソードの中に動物と心を通わせる物がいくつかあり、動物と会話できる能力があったと伝えられている。動物の守護聖人と呼ばれているのは、このためだ。

 主にマルティヌスは動物、織物職人(ファッションデザイナーや布屋)、武具などに御利益があり、フランスを守護地域としている。ラテン語で「尚武」を意味し、ローマ神話の軍神マルスがその由来である。
 聖マルティヌスは、聖ゲオルギウス、聖ニコラウス、聖クリストフォルスと並んで人気のある聖人で、サンタ・クロースの原形となった聖ニコラウスと並んで、聖マルティヌスは子供に人気のある聖人でもある。
 フランス、イタリア、スペイン、ユナイテッド・キングダム内のウェールズ地方では、洗礼名だけでなく、姓名としても広まっている。
 
 ★聖ミカエル 記念日 9/29

 神に仕える天使たちを束ねる天使軍団の長、アークエンジェルが聖ミカエルである。彼(?)のもっとも有名なエピソードは、やはり天界での覇権を巡る抗争で反乱軍を見事鎮圧したことだろう。
 天界で一部の天使が自分たちの力を過信し、神に対して反乱を起こした。ミカエルはその時、討伐部隊を率いて反乱軍を撃破し、天界から追放した。地獄へ亡命した彼らは堕天使と呼ばれ、以降、天界と対立することになる。

 このエピソードから分かるように、聖ミカエルは軍人や警察官の守護聖人である。チンギス汗のヨーロッパ侵攻時には、ヨーロッパの各国の軍が聖ミカエルの旗の元で連合した。ヨーロッパがアジアやイスラムの異民族に蹂躪され、危機に陥るごとに、聖ミカエルの旗が翻り、ヨーロッパが団結したのである。
 
 主な守護対象は、騎士、警察官、軍人。特に落下傘兵(特殊部隊)を守護するという。やはり、ミカエルの経歴からみると、軍人たちがあやかりたいものなのかも知れない。

 ミカエルはヘブライ語で「神を愛する者は誰ぞ」という意味を持つ。

 ★聖女ウルスラ 記念日 10/21

 四世紀頃の英国出身の聖女。英国内のキリスト教国の王女で、イングランド国王から求婚されていた。しかし、当時の英国はまだキリスト教が少数派で、大半は異教徒(ケルトやローマの神を崇めていた)であった。
 父親は異教徒であるイングランド国王に娘を渡したくなく、熱心な信徒であったウルスラも結婚に応じるはずはなかったが、意外にもウルスラは求婚に応じた。父の国は小さく、ケルト系やローマ系の異教徒の多いイングランド勢に対抗できなかったのだ。
 その条件として、ウルスラに十人の乙女を付き添わせる。そしてその十人に千人の侍女をつけること。ウルスラは一万一千人の乙女を率いて、キリスト教の聖地であるローマへ赴くことをイングランド王に要求したのだ。
 この無理難題にイングランド王は折れると思われたが、王はそれを承諾した。王はそれ程までにウルスラに入れ込んでいたのだ。かくして、ヨーロッパ各地から乙女たちが集められたのである。異教徒だった乙女も洗礼を受け、全員教徒となり、大陸へ上陸した。彼女たちはローマを目指した。滞在先のドイツのケルンで天使の訪問を受け、天使から「あなたはもう一度ケルンに戻り、殉職の栄光を受けることになります」と宣告された。

 ウルスラたちがローマに到着すると大歓迎を受けた。法王や信徒たちも勇気づけられた。しかし、ローマ帝国軍が彼女たちを快く思わなかった。一万一千人ものキリスト教徒が大挙してローマを巡礼したのだ。脅威に思った帝国軍は、時同じくライン河近くまで侵入していたモンゴル系のフン族の騎馬民族に親書を送り、帰途につくウルスラ一行を殺害するよう依頼したのだ。フン族とローマ帝国軍は宿敵同士であったが、ローマは野蛮なフン族を利用し、キリスト教徒の排除を計画したのだ。

 ケルンに到着すると、周囲はすでにフン族に包囲されていた。彼らは街へ突撃し、蹂躪し尽くした。付き添いの乙女たちは容赦なく斬首され、残るはウルスラ一人となった。フン族の長がやってくると、ウルスラの美しさに心を奪われて、求婚した。しかし、ウルスラは拒否し、侮辱された長は弓矢で彼女を射抜いたのだった。天使の宣告通り、ウルスラと一万一千の乙女たちは殉教した。

 聖女ウルスラは、これまで架空の聖人とされてきたが、12世紀、1106年にケルンの聖ウルスラ教会のある場所を発掘したところ、大量の遺骨が発見されたことによって実在の人物であり、ケルンでの大虐殺も事実であったことが証明されたのである。

 多くの乙女たちを率いた聖女ウルスラの能力から、女学校教師や女子教員の守護聖人として崇められることになった。守護地域はドイツのケルン。ウルスラとはラテン語で「熊」という意味を持つ。

 ★聖女バルバラ 記念日 12/4

 三世紀頃の守護聖人。バルバラが生きた時代のローマ帝国でのキリスト教弾圧が最高潮に達していた時であり、彼女もまた、その犠牲となった一人である。
 彼女は小アジア、今のトルコで生まれた。父は有数な資産家で、その中でも類まれな美少女だったバルバラは父親に溺愛されていた。そして、貴族たちから度々求婚を受けており、父は気がきでなかった。
 そこで、父は塔を建てて、そこにバルバラを住まわせたのである。豪華な部屋と侍女をあてがわれても、事実上の幽閉状態であった。まだ十代だった彼女にとって、そんな生活が楽しいはずもない。しかし、バルバラお付きの侍女が熱心なキリスト教徒であった。侍女の影響を受けてバルバラはいつしかキリスト教の教義に溶け込み、一つの光を見つけたのである。

 そんなある日、父が長旅に出ることになり、愛娘が住む塔に新たに窓と浴室を作るように職人に命じた。旅でいない間、娘が不自由しないようにである。
 しかし、バルバラは職人に窓を三つ作ることと、浴室に十字の印を刻むように頼んだ。礼拝ができるようにしたのである。

 父が旅から戻るとこの異変に気づき、娘に問いただした。三つの窓はキリスト教の基本的な教義である「三位一体」を意味する。娘がキリスト教徒になったことを父は怒り、娘を剣で切りつけようとした。
 この当時はキリスト教徒の抑圧が最高潮に達しており、父の怒りも無理もなかった。バルバラは父の元から逃げ出し、イエスに祈りを捧げると、目の前にあった岩が二つに裂け、彼女を包み込んで、そのまま遠くの山へ連れ去ったのである。
 しかし、山にいた羊飼いの通報で父に発見され、バルバラは連れ戻されて閉じ込められてしまう。そして、ローマ帝国の領主にこのことを相談すると、領主は生け贄を捧げ、邪教を捨てるようにバルバラを説得したが、彼女は応じなかった。
 彼女は領主の怒りを買い、拷問を受ける。全身を鞭で打たれたが、翌日にはその傷が癒えていた。彼女はイエスの奇跡だと信じ、領主はさらに怒った。どんなに激しい拷問を加えても、彼女は傷一つつかなかったのだ。
 怒った領主は剣を抜き、バルバラの胸を突いたが、それでも彼女は傷つかなかった。領主は彼女を裸にむき、民衆の前で引きずり出して、鞭打ちにしたが、突然彼女の身体を雲が覆い包んだ。

 どんな拷問でも屈せず、それどころか傷一つつけられなったバルバラは斬首にされることになった。バルバラはすでに殉教することを覚悟していた。そして、その斬首役に父を指名した。享年16歳だった。

 実の娘の首をはねた父はその直後、雷に打たれて死んだ。雷は神の怒りの象徴であり、雷に打たれて死ぬことはキリスト教では不名誉なことである。

 聖女バルバラは数々の拷問や恐怖を克服し、殉教したことから危険に晒される仕事に対して御利益がある。炭坑夫や消防士、砲兵、火薬庫など、火や火薬、燃料に関わる職業や、彼女の境遇から囚人なども守護対象である。

 バルバラはギリシア語で「内気」「内向」あるいは「余所者」を意味する。

 ★聖セバスティアヌス 記念日 1/20

 聖セバスティアヌスは、三世紀末から四世紀頃の聖人で、ローマ帝国軍の兵士だった。彼は昇進して、ローマ皇帝の親衛隊長まで昇り詰めた人物である。
 しかし、セバスティアヌスは密かにキリスト教に入信していた。彼は弾圧され、拷問を受ける信徒や司祭たちを密かに励ますために、軍に入隊したのである。
 
 しかし、彼の秘密も発覚してしまう。同僚がキリスト教徒として拷問を受けていた時、信仰を捨てるよりも神に召されることを選ぶよう説得していたところを咎められたのだ。
 セバスティアヌスは皇帝の面前に引き出され、皇帝の怒りを買った。皇帝は彼を射殺することにした。いくつもの矢に身体を射抜かれたが、奇跡的に生きていた。彼に励まされてながら、殉教していった信徒の母が彼を看護し、傷が癒えると再び皇帝の前に赴いた。
 彼は皇帝に迫害を諌めたが、さらに怒りを買い、兵士たちに棍棒で何度も殴打され、殉職した。遺体がキリスト教徒に渡らないように、ローマの下水道に捨てられた。 
 しかし、彼の遺体は後に発見され、信徒たちによって手厚く葬られた。

 彼は矢に射抜かれても死ななかったことから、弓兵(狙撃兵)や兵士の守護聖人となった。そして、ペスト予防に対しても御利益がある。当時、ローマの人たちの間では、ペストはギリシア神話のアポロンが矢を放つと発病すると信じられていた。セバスティアヌスは矢に射抜かれても死ななかったことから、当然のことながら、あやかられたのである。
 この伝説は、キリスト教がローマやギリシアの神々の信仰を追放するために利用されたのかもしれない。

 セバスティアヌスは、ギリシア語で「尊き人」という意味を持つ。

 ★聖女ゲノウェーファ 記念日 1/3

 五世紀頃の聖人で、パリの修道院長を務めていた人物である。彼女はフランスの守護聖人、聖ディオニシウスを崇拝していた。この当時はすでにローマ帝国でキリスト教が公認され、信徒や司祭たちにとっては平穏な世の中になったものの、ヨーロッパは度々モンゴル・トルコ系の騎馬民族であるフン族の侵入を許してしまっていた。
 フン族はヨーロッパに侵入しては、各地を荒らしまわり、ついにパリまで迫っていた。パリがフン族に包囲され、危機に陥った時、ゲノウェーファは、神に祈ってフン族をオルレアンへ向けた。
 このことが由来となって、聖女ゲノウェーファはパリの守護聖人となったのである。

 ゲノウェーファはケルト語で「民族」を意味する。