権力本能説
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■ T. 暴力と権力、それに伴う防衛機制(暴力を振るう相手への暴力や批判不可の場合)
暴力→
×←対象→ 第三者への暴力
↑変化する可能性あり
→ 心の中での他人への転嫁
→ 自分(自分が悪いから怒られるのだ等)これは、自分が悪くなくても原因をそこに求める場合(
幼年期の子供に多い)
暴力や叱責を他人から受けた場合、対象者のフラストレーション発散活動には色々なパターンが考えられる。
@ 心の中での直接批判
これが一番多いパターンの防御機制だと思われる。直接言葉で言わない変わりに、心の中で叱責や暴力を行う相手を批
判するのである。これは暴力、叱責を行う相手への形を変えた直接行動である。しかし、これでも発散が収まらない場
合は、次にC第三者への暴力の形を取る事も多い。また、@心の中での直接批判+A自己批判、または@心の中での直
接批判→A自己批判状況になる場合も多々ある。この場合は、基本的にA自己批判と判断する。
@心の中での直接批判→A自己批判の状況を取ることで心を平静に保つのに使用しているものと思われる。(注:人に
よって多少変化あり)
@心の中での直接批判→(A自己批判を抑圧)→C第三者への暴力の場合。自分自身の間違いを認めない場合など。A
自己批判を抑圧によって忘却させる。自分自身の間違いを認めず、その理由を第三者に求め、自分を正当化する傾向が
大きい場合。(注:人によって多少変化あり)
A 自己批判(自分への叱責)
自分が悪いから怒られるのだと言う自分に責任を求めることにより、フラストレーションを昇華しようと考える方法。
児童期や幼児期には、自分が悪くなくても原因をそこに求める傾向がある。つまり、親に対する絶対的信頼がそれを
招くものだと考えらる事。また、自分の他に昇華する対象者が居ない場合はその傾向が大きい。しかし、この事は、
完全なる欲求の昇華には役立たないために、フラストレーションの発散率は低いものだと考えられる。(立場心理の
影響大)
B 他人への心の中での転嫁
周りのみんなが悪いから、私が怒られるのだと言ったもの。
仕事が忙しいからしょうがないと言った暴力を振るう相手を批判することなく、他の物事に原因を求める場合もこれに
あたる。しかし、この事は、自分も忙しくなれば他人に暴力(叱責)を行っていいのだという観念的正当化を心の中で
作る原因にもなりやすい事からその置き換えを原因とした第三者への暴力に繋がりやすい(虐待の連鎖に関係?)
今起こっている状態が正しい(暴力を振るう相手、周囲の環境)のだと思い込む事で、自己の不安を消し去り観念的正
当化に置き変える場合である。合理化(転嫁+正当化)+置き換えであり、暴力を振るわれた相手を正当化する。心理
学的に言う同一視にあたる。原因を他者や物事に転嫁することから、忘却の理念(抑圧、逃避、置き換え)が働き忘却
率が高くなる。そのために、フラストレーションの発散率は中程度、観念的正当化への置き換えに成功すれば大程度と
予測される。
※自己の利益(考え)と一致する為に他者を正当化する動きは、自己正当化でここで述べているものとは違う。
C 第三者への暴力(第三者への叱責)
言葉の通り他人への直接の暴力や叱責である。暴力が権力の押さえつけに非常に強く作用することから、その権力獲得
行動として他者への暴力を振るうことで権力を獲得しているように思うこと。権力の押さえつけとは、負けたという自
己批判もそれにあたる場合が多い。B他人への心の中での転嫁に共通するものもあるが、暴力(叱責)を振るうのは、
相手が悪く自分が正しいのだと思い込む事で、自己の不安を消し去り観念的正当化に置き変える事はしばしば起こる現
象である。この事は、合理化(転嫁+正当化)であり、育った環境や自己思想による影響が大きく、自分が叱責や暴力
を行いたい事に起因する行動と言える。直接の原因である権力の押さえつけを発散する効率がいいために、フラストレ
ーションの発散効率は格段に高いものと思われる。また、暴力などを伴うことで、アドレナリンが発生し、一種の高揚
感をもたらす事もこの発散効率の高さを押し上げている。
ただ、これらの事が、単体のA自己批判で終わることは少なく、A自己批判→B他人への心の中での転嫁→C第三者へ
の暴力へと段階を踏んで変化することが多い。A自己批判が弱くB他人への心の中での転嫁→C第三者への暴力(B、
Cのみ)へと変化しているように思える事もあるが、これが観念的正当化または転嫁(自己都合)でA自己批判の部分
が押さえ込まれて忘却していることによるものが多い。
暴力が権力の置き換えであり、それに伴うフラストレーションを溜め込むのだという事は、暴力や叱責を行う人が認め
られる人であった場合に、フラストレーションの溜め込み具合が少ないことからも想像は容易である。
つまり、親と幼年期の子供との関係は上記の認められる人との関係に近いもの(実際には、本能的なものを加味する為
に?)である。
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■ U. 犬への愛着と権力の関係
人 犬へ食べ物を与える行為→ 犬
←代償としての権力
←仲間関係の強化(愛着?)→
その他、あいさつ行動や毛づくろいなどで仲間関係(意識)を強化
犬にえさを与える代償として、人が暗に権力を求めている事は、あれだけ世話をしているのになつかないと言った事や
自分の思い道理に動かしたいと言う行動や言葉や思いなどでも分かる。その他の関係として、毛づくろいやあいさつ行
動などでの仲間意識の強化が上げられる。これも、犬側に取っては暗に権力を認めている行動の置き換えでもある。ま
た、これも暗に人間側も求めていてその行動を取られると癒されると言った表現で表されるのである。それらの行動を
通じて愛着が形成されていく事も考えられる。
※犬への愛着と権力の関係で分かる事は、人が犬に対して権力を振るう事で満足しているのだと言う事だけではない。
なぜならば、犬に欲情する人間など存在しないのである。つまり、権力に関わる事が性欲に関係する事なく、ストレス
や欲求に繋がっていることが明確に分かるのである。
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■ V.総括
『暴力と権力』『犬への愛着と権力の関係』で見られるように、権力の低下や権力の獲得に関してストレスや欲求が発
生しすることから、 攻撃する事が本能ではなく、攻撃は権力獲得行動(競争意識)の一形態として攻撃を行うのだと
考えている。
また、『犬への愛着と権力の関係』で見られるように、性欲と権力獲得行動は切り離せるものとして考えている。
この章にある考えは、防御規制以外すべて私の考えである。
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2008/02/01記載