2 テレビで見ていた首相のこと
行政の最高責任者である首相は社会の一大事の発生と同時に国家装置の指揮をとるポジションにある。首相以外にはその任に当たる者はいない。彼がさしあたりとった行動はどんなものか。
地震発生当日の朝、首相は事の重大さを認識していなかった。彼は東京のふつうの市民と同様、テレビ局が流す震災特別番組を視ていた。「うれしいような、情けないような。複雑な気持ちです」とはあるテレビ関係者の感想。
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【余 談】
Z■この国の総理大臣氏はテレビを見ていた。それは当事者能力の欠如を示すものだが、その根底にはリアリティの欠如がある。地震発生後、4時間たってもテレビは、警察庁公式発表の「死者22、負傷者200、倒壊家屋数百」という被害レポートを流していた。消防庁発表では死者1名だった。
X■むろんこれが、震災の規模を示すものだとすれば、明らかに誤報である。これが警察機構が確認できた死傷者数、しかも公式に発表してよいという数字であるとしても、あまりにも現実とはかけ離れていた。すでに倒壊建物は十数万棟に達していた。負傷者十万人近く、死者はすでに数千に及んでいた。空撮映像が示す建物の被害状況を見れば、おそらく地震発生後5分以内に数千人が死んだと推定できるし、実際その後の検視でも死亡推定時刻はそのようだった。
Y■地震後4時間経っても死者数十とは、最も被害の大きい現場ほど状況報告ができないということだ。そういう被災地の状況を勘定に入れないから、誤報を怖れる臆病さを示す数字になる。災害情報ならば、推定死者何人・負傷者何人等々と推定値がなければ、正しい情報だとは言えない。だが誤報を怖れて推定値を排除したために、誤報を流したのだよ。だから警察庁が推定値を示せないなら、防災専門家の署名つきの推定値でよい。どの程度の災害かが初期動員を決定するとすれば、推定によって動く必要がある。確実な情報というものは結果であってプロセスではない。
X■高速道路やRC造建物など、堅牢と思われていた建物の倒壊は、空中からの視認で確認できていたし、自衛隊機は無線で基地へも通報していた。それよりもテレビ映像だね。NHK神戸放送局の地震襲来時の映像は、比較的早く流れた。多少、地震や建築構造に知識のある者なら、これが尋常ではない地震だという事はただちに解る。テレビ等のマスメディアは千載一遇の大ニュースに興奮して、くだらない盛り上げ方をしていたが、それでもライブの映像で惨状を映していた。少なくとも現場は、災害の甚大さを通報し続けていたはずだ。
Z■ところで一方、国家装置にはマスメディアの情報とは異なる筋の情報網があったはずだな。つまり政府の組織する専用情報システムが。ところが報告が組織の階梯を上に上がるうちに、災害現場のリアリティは希薄化し、最後には臆病な数字だけになった。見かけほどの被害はないようじゃないか、という印象もあった。このとき「死者22人、負傷者数百」という数字は、誰が意図したわけでもないが、数字それ自体が欺きであり騙しだった。
Y■たとえライブとはいえ、映像というものは決して正直ではない。それはコメント次第でどうにでもなるからだ。同じ映像でも背景の音楽一つで意味づけは正反対にもなる。悲しい音楽を背景にした映像は、そっくりそのまま楽しい音楽を背景にすれば、意味を一変する。同様に映像の文脈が映像の意味を規定する。見たこともないような光景を示す映像のそばで、スーパーインポーズの「死者20人…」という文字が流れると、それが映像の注釈になる。「阪神地区はこのような惨状だが、実際には被害は死者20人…で、あまり大したことはない」という意味になる。画面の端に現れては消えるつかの間の、あくまでも補足的な属性のものが全体の意味を決定する。
X■重要なことは、その映像は何も隠していないということだ。事態はそこに露出していた。ところがそれを意味解釈の回路に引き渡そうとするから、意味不明の像となった。
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