震災異聞

阪神大震災逸話集
【第4集】 被災地救援/支援活動
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   1 弱き者死にやすきこと
 震災の死者には貧しい者や高齢者が多かった。貧しい者は粗末な住宅やこみ入った未整理地区に住み、あるいは高齢者は古い家に住む者が多かったからである。

【余 談】
X震災は誰もを平等に襲ったわけではない。災害のアイロニーは、とくに弱き者を粉砕することだ。


   2 盲人震災により援助無きこと
 盲目のため日常ボランティアの支援を受けて生活していたが、地震で被災して家も壊れたようす。誰も助けてくれず、数日壊れた家の中で食べ物も水もなく、じっとしていた。
 ボランティアで来てくれていた人も、きっと被災して来れないのだろう。もう死ぬかと思っていたところ助けが来て、この避難所に運ばれた。
 避難所では何がなにやらさっぱり分からず、ほとんど食事にもありつけない。まわりの人は誰も助けてくれないので、飲まず食わずで寝ているだけだ。身体がひどく衰弱している。

【余 談】
X家が壊れ町が壊れると、盲人にはまったく身動きがつかない。身体で知っていた空間図式も崩壊する。この人は幸運の部類だろう。


   3 二次的な死のこと
 避難所は「避難」の場所ではない。避難所は難民キャンプの有様で、次々に容態が悪化する病人が出ている。医師も看護婦もいない避難所の片隅で寝たきりになっていて、病院に搬送されたときにはすでに手遅れだという患者が多い。
 そんな実態なので、「避難所は危ない」と言って半壊の家に戻って、瓦礫の中にテントを張る人もいる。


   4 入れ歯紛失のため死亡のこと
 生き埋めになったが救出された老人は避難所へ運ばれた。一週間ほどして衰弱がひどくなったので病院へ運ばれたが、死亡した。
 彼は暖房のない寒い避難所で風邪を引き肺炎にかかっていた。ところがさらに分かったことは、震災後彼は何も食べていなかったことである。入れ歯をなくしていたので、握り飯や弁当しか出ない避難所では、何ものどを通らなかったらしい。

【余 談】
Y地震後、生き延びて避難所へまず収容されるのだが、そこで死んだ人も多かった。みんな、「それどころではない」という意識で、上の空だから、瀕死者が足元にいることに気づかない。生き延びても、避難所で見捨てられた状態で手遅れになってしまう。


   5 清水の舞台より投身のこと
 京都の清水寺の舞台から、投身して自殺した老人があった。彼は神戸の人で、被災して同じ兵庫県の龍野市にある老人ホームに移された。その後1週間もしないうちに、施設を抜け出して京都へ行き、清水の舞台から飛び降りたのである。「字義通り」とはこのことである、とのこと。

【余 談】
Z言うべき言葉もないね。助かっても自殺する人が少なくない。  


   6 医者に医者が必要なこと
 被災地の医療関係者は過酷な状況におかれた。不眠不休は比喩ではなく字義通り、日を追って倒れるものが出る始末である。現場では「いつまで(自分が)もつかなあ」と言っている医者が多い。

【余 談】
Y膨大な数の負傷者と決定的に不足する医療器具薬品という状況下で、救援活動は医師にとって過酷な作業である。自分のクリニックが地震で潰れた開業医も、最寄りの医療機関で治療活動に参加している。
Zあるいは、十分な手当ができないまま、みすみす患者を死なせている状況では、医師にとって倫理的な面での心的な傷が大きい。医者に医者が必要になってきた。


   7 死亡診断書のこと
 あまりの死亡者の多さに、ある医師は、
 「もう一生分の死亡診断書を書いてしまったよ」
と嘆く。
 リタイアした元教授は、震災被災地にかり出され、もっぱら死亡診断書を発行する役まわりである。彼は、
 「来世の分まで書いてしまったよ」
と言っているそうな。

【余 談】
Zベテランの医者でも、それまで何十年間書いた死亡診断書の数より、何倍も多い死亡診断書を書くはめになっている。この数量の多さにたじろがない者はいない。
Y被災遺体は、置き場所がなくて、道路に布団を敷いて、たくさん並べていたな。その遺体に、名が知れなくても、死亡と診断するわけだ。こういう屍体が並ぶのを見るほど情けないことはない。


   8 被災地調査研究のこと
 地震後被災地に多くの研究調査チームが乗り込んできた。まるで競争のようにして、めいめい勝手にやっているので、中には同じようなアンケート調査を入れ替わり立ち替わり十回も受けた人もあるそうな。ハゲタカ、ハイエナのような、という評言あり。

【余 談】
X被災者を食い物にする連中だね。データの搾取だ。
Z地震後被災者の弱みにつけこんで商売する連中が現れた。倒壊した家の貼り紙を見て避難所にやってきて、早速土地の売買交渉をはじめる者やら、地上権を買いあさる者が出てきた。屋根が壊れた者には修理工事をすすめ法外な値段をふっかける。こういう震災商売は、弱みにつけ込み利を漁るビジネスである。同様のことが被災地の調査にもある。
Y被災地の現場にはメタ言語は存在しない。


   9 診療拒否のこと
 精神医療関係の調査チームが避難所に来て、アンケートを取り始めたので、心の不調を訴えたところ、
 「それどころではない。我々は治療に来たのではなく、調査に来たのだから」
と言って診療拒否をされた。「それどころではない」というのは、どっちのことだ、という話。

【余 談】
Xこれも、よく聞く話だ。医者が被災地に入って何をしているかというと、治療ではなく、調査。いったいこれはどういうつもりなんだ。
Y連中の意識は、マスコミの取材と同じなんだよ。くりかえして言えば、被災地の現場には、中立的なメタ言語のポジションは存在しない。救うか救わないか、助けるか助けないか、だけなんだ。


   10 土産お断りのこと
 メンタルケアには継続的な看護が必要である。二泊三日の気まぐれな診療では責任をとれない。収容する医療施設が地震で不足しているので、患者を連れて帰って預かってくれないか、と持ち出したところ、
 「土産はいらない」
とあっさり断られたそうな。
 「あいつら、飲み食いにだけ来やがった」
と怒っている連中もいるそうな。

【余 談】
Zたしかに「飲み食い」だけで、土産は持って帰らなかったわけだ。
Xアリバイづくりのために来ている、という感じの連中も多い。見かけだけの形式的な支援活動。連中はすぐ帰ってしまう。
Zそして何度もやってくる。腰が落ち着かないので、すぐわかる。


   11 救援食糧廃棄のこと
 地震によって家を失った人々の多くは学校等臨時の避難所で生き延びている。一時は30万人をこえた。無事だった近隣地域からは救援食糧が被災地に運び込まれ、それで飢えをしのいでいる。
 食糧に関する問題の一つは、避難所の全員に同じものが行き渡らないことである。担当の市役所職員たちはそれで頭を悩ます。給食は全員に同じものが行き渡らなければならない、と彼らは考える。もし全員に同じものが提供できなければ不公平になる、それはよくないことであると。何より、もし不公平を理由に被災者からクレームがつくと責任のとりようがない。それが厄介である。
 そうして彼らは、全員に行き渡らない数が不足している食糧を廃棄処分にすることに決め、実際にその貴重な食糧を捨てているそうな。

【余 談】
Z飢えよりも平等という正義。不公平より公平を。こういう役人の強迫観念、秩序意識が、貴重な食料を捨てさせる。
X避難所は、実は管理責任者はいないことになっている。小学校の教員や市役所の職員が交代で、24時間詰めているが、彼らは避難所の管理者ではない。連絡サービス要員のようなものだから、彼らに避難所を仕切る権限は与えられていない。では誰が管理決定するのか、というところで、空白が生じている。被災者の集団の自主管理・自己決定に任せれば済むものを、仕切のまずさが露呈したというケースだ。
Y役所は人民を信用しない、ということになっている。


   12 物資流通停滞のこと
 避難所の数に合わない救援物資はお断りである。だから、せっかく救援物資をある避難所に運び込んでも、配給する数が不足していると担当職員が、その全部をもって帰れという。逆に、過剰な場合は必要な分だけ置いて、残りは持っていけという。
 ある避難所では物資が有り余って山積みになっているし、ある避難所では全く物資が届いておらず困っているという事態である。
 阪神地区から離れた物資保管所では膨大な量の物資が野ざらしになっている。あちこちで処理しきれない物資が滞留している。それなのに公園空き地などでつくっているテント村や、在宅の市民たちなど、非公認の場所で難民生活を送っている者には配給が全くこない。避難所まで物資を取りに来いというそうな。

【余 談】
X物資の流通に関しては不都合な話ばかりが多い。物の流れはスムースで当然と思っていたのだが、震災で露呈したのは物流基盤の脆弱さだ。それと同時に、ふだん人々が気がつかないところで、物の流れのためにどれほど多くの努力がなされてきたかということだね。
Z被災地ですらコンビニエンス・ストアで物を調達しなければならなかった。震災時の生命線は、小売流通業界が掌握している。大手スーパーや地元生協の活躍については自慢話めいているが、都市生活の生命線はもはや流通業者が掌握しているということだ。


   13 外国救援隊空振りのこと
 英国の災害救援チームは、阪神大地震発生のニュースが流れた直後、日本国外務省に対し、救援派遣の用意ありとFAXで伝えた。しかし日本政府外務省は、その後要請決定を先送りし、来てくれてもいいとなって彼らが日本に到着したのは、地震発生後一週間も経ってからである。
 英国チームが現地入りしたとき、すでに救出活動はほとんど終わっていて、彼らの善意はコケにされたも同然だそうな。

【余 談】
Zこれは日本人が島国根性で、外人を受け入れるのに抵抗する、ということではない。日頃、変化球ばかりのキャッチボールをしているから、ストレートな善意を受け入れるのが下手なのだよ。その上、官僚機構は上から下まで、前例がないと初動に時間がかかる習性である。今回外務省は被災地の県・市から正式の要請がないので、来いとは言えなかったという。地元の役所の方も受け入れとなると人手が足りず、あいまいな返事しかしていない。
Y似たような話は他にいくらでもある。ノースウエスト航空は、地震後、即刻災害支援を決定し、その旨日本の関係企業および旅行代理店に通知したが、何と日本側はそれに対し否定的だったという。つまり私企業の売名だと誤解される、間に合っているというのだね。それでもノースウエストは、100トン(数百万ドル相当)の物資を関西新空港に搬入してきた。JALはまだ何もしていない。民間でさえこういうことである。民間企業も大きいところでは「官僚的」に動く。
X阪神大震災の一年前に、海の向こうのLA(ロサンゼルス)で震災があった。これと今回の震災を比較しての議論が多い。ようするにアメリカではこんなに上手にやったのに、日本人はこんなに下手だったという話である。だが、たしかに不手際・不都合はあまりにも多く、そういう啓蒙的な言説の余地はあるにしても、やはりそれには少々疑問があるね。
Z阪神とLAの場合とは震災規模がまったく違う。LAではたとえば、災害は都心ではなく郊外を中心とするもので、被災者の避難所は数百、数万人だったが、阪神では一桁違う。被災した市民は100万以上、避難所に一時避難した者だけでも30万以上だ。これだけの規模の災害だったとしたら、LAでは事態は違っていただろう。


   14 救援お断りのこと
 全国各地から救援の申し出が相次いだ。なかには外国からの申し出も多くあった。役所はそれには明確に対応せず、あるいは丁重に断っている。
 要するに、受け入れ体制が整わない、間に合っている、という理由らしい。

【余 談】
X地元でも、県は早々と被災地周辺の地域に救援無用を通知している。ところが、被災地には医療をはじめ、救援活動の必要とする事態はまったく解消されてはいない。誰が何を根拠にそういう判断をしたのか、と現場は怒っている。
Y勝手に救援活動をやってくれとは言えない。要するに、海外からの支援お断りというのは、客を受け入れる態勢がないからという理由だ。何でも接待しなければ、という強迫があるね。接待できなければ、来ないで欲しい、となる。話が倒錯している。
Zそれに、だ。外国から医者を出そうというのに、日本の医師免許がないから患者を診るのは違法行為になる、それでは困る、というバカげた理由。事ここに極まれりだ。


   15 無料理髪店禁止のこと
 店も潰れたし、せめて散髪・洗髪でもしてあげて、ささやかな人助けになろうかと思って、道具を持ち出し野外で無料理髪店を開いたところ、法律違反だと役所が言ってきて禁止を宣告された。

【余 談】
Yこういう「弱きを挫く」ところは、役所は素早い。弱い者には強いのである。権力の行使は、どさくさの被災地でさえも行われた。


   16 人道羞恥のこと
 ボランティアに行きたいとは思うが、何とも恥ずかしいような気がして、という人がある。社会はここまでひねくれてしまっているのか、という話。

【余 談】
X今回の震災で「ボランティア」という言葉が社会的に定着した感がある。いても立ってもいられない気がして被災地に駆けつけた人は少なくない。善意の共同体、といってしまうと身もふたもないが、そういう「何とかしなければ」という気持ちは大切にしたい。これだけ社会がひねくれてシニカルになってくると、いつのまにか善意はナイーヴなもの、恥ずかしいものという空気が蔓延してしまった。そんな折、今回の震災である。自分は売名とか何とか自分の利益のために・自分のためにやっているんだ、あるいは趣味でやっているんだ、といわねばならないとは、何とも殺伐として寒々しい話であるね。
Y善意は恥ずかしいことではない。そんなことを言わなければならないのは情けないことだ。ボランティアは自発的な行為、志願である。もちろんそれは、義をみてせざるは勇なきなり、ということであって、助太刀の論理でもある。助太刀は「義」によってするものである。義は倫理的な次元だが、どうもそれが美的な次元で回遊している。ナイーヴで不格好だということだな。しかしそれは違う。仁義欠くべからず、である。
 ようするに他者の視線をつねに意識する構造である。自身の欲望を他者の欲望としてしか正当化できない。
Z社会的超自我というべきものがあって、それは中立的で残酷な視線である。本当は、仁愛の行為をしたからといってこの超自我が愛してくれるわけではない。それが分からなければ、慈悲・善意は恥ずかしいままである。人道羞恥の心、シニカルな心は、まだこのマターナルな超自我(maternal superego)との「分離」ができていない証拠だ。
Xマスメディアはこぞってボランティア活動の美談を採りあげ、大いに善意の共同体をうたった。そういうことは周知のことだから、ここではその裏面を採りあげよう。


   17 行き場のないボランティアのこと
 TVを視て居ても立ってもいられず、それなりの準備をしてボランティアに行ったが、市役所では十分な情報が得られず、どこへ行っていいのか分からず、結局、二、三日野宿して、被災地をうろうろして帰ってきただけだった。

【余 談】
X実は、こういう人が少なくなかった。彼らは平時のボランティアは出来ても、災害時のボランティアに不向きなのかもしれない。
Yこういう災害時はどこも大混乱である。役所でさえ被災しているので機能不全に陥っている。本当に救援活動をしたかったら、避難所になっている学校だろうが公園のテント村だろうが、どこへでも飛び込めばいい。そうすれば何らかの手がかりができて活動できるようになる。
Z受け皿を紹介してくれないと不平を言っているうちは横着である。自分で勝手にやるのがボランティアである。


   18 災厄歓喜のこと
 ボランティアが全国から集まった。若者を中心に熱心に救援活動をした。中には変な者もいて、どうも行動がおかしい。仕事ぶりは非常に熱心で、はじめ皆の評価を受けていたが、次第にその過剰ぶりが目立ってきた。彼は一見はつらつとしているのだが、何か変である。どうも災厄に歓喜しているのである。そのうちマニー(躁)の発症と知れて、親に引き取ってもらった。

【余 談】
Y震災は人や街を物理的に破壊しただけではなく、人の心をも壊乱した。心因反応を起こしブレークダウンする者は後を絶たない。抑鬱的な気分が蔓延した。ところが一方で震災は、程度の差はあれ人の気分をハイにしてしまっている。
Z災害時の反応は心のディスオーダー一般であって、必ずしも抑鬱的な形態ばかりではない。躁転して騒々しくなるのも症候の一つである。
Yひとりお祭り騒ぎなのだね。マニックディフェンス(躁的防衛)という読み方もある。被災地では、そういう病人の世話までしなければならない。


   19 生き甲斐発見のこと
 自分勝手な連中がいる。最初は熱心にやっているが、簡単にあきてしまって、ある日不意にいなくなって帰ってしまうのもいる。何か事故があったのかと心配して皆で探したのに。
 あるいは自分のためにボランティアをしているのもいる。バブルがはじけてフリーターという立場が怪しくなってしまい、いい歳をして親のすねをかじってプー(タロー)をしていたが、生き甲斐を被災地に見つけてしまったらしい。
 そういう連中ほど一向に帰ろうとはせず、彼らを養う現場は迷惑している。

【余 談】
Y被災地に生き甲斐を発見すること、それ自体は悪くはない。むしろ美談に連なる話である。つまらない日常に厭きていたところ、地震で本物の非日常的空間が開いた。「これだっ」というわけで、その裂け目に人が殺到してきた。
Zボランティアは他人のためではなく自分のためにすることである。だから善意が恥ずかしければ、「自分のためにやっているんだ」と言い切ればいい。「がんばっているね」と通りすがりに褒める奴がいたら、照れたりせずに、反対に一つでも用を頼めばいい。
X何事も飽きっぽい連中はさっさと姿を消した。残っているのは本物のボランティアと、もう一つは、どうしても止められない者とである。地震が開いた非日常的な空間はやがて閉じる。喧嘩と同様、ボランティアは引き際が肝心である。始めるのは衝動的でもいいのだが、止めるにはそれなりの意志が必要である。


   20 善意無化のこと
 公園にテント村をつくって避難している人々に入浴してもらおうと、ドラム缶を運んで風呂をこしらえた。
 みんなに喜ばれて大いに満足していたが、自衛隊が来て本格的な浴槽を作ってくれたところ、こんどは皆がそちらの新しい風呂ばかり利用するようになって、最初の風呂は見向きもされなくなった。
 最後にはこの風呂のドラム缶にゴミを捨てる者まで出てきた。腹が立ったが、もう仕方がない。複雑な心境である、とのこと。

【余 談】
Zお役御免というところか。少しさびしい話であるが。


   21 ボランティア受難のこと
 ボランティアに来て被災地で活動していた女子学生がレイプされた。
 彼女は使いで夜道を自転車で走っていて、数人の男に捕まり輪姦されて性器に裂傷を負った。病院に運ばれたが、心因反応を起こしていて、男性医師を怖がってパニック状態になるので、治療ができない。縫合できる女医がいなかったので、助産婦が彼女の傷を縫った。
 その後も恐怖がやまず、男性の姿を見ればパニック状態になるので、病室においておけず、看護婦更衣室に収容している。彼女の話では、
 「夜道の使いは怖い」
と言ったが、リーダーが、
 「被災地だから、そんなことはありえない」
と主張して譲らず、彼女を使いに出した結果がこれだという。

【余 談】
Z善意に対して必ずしも感謝が返ってくるわけではない。災難に遭った人々を救助しに行って自分が災難に遭ってしまった。このリアルなものとの遭遇体験は、彼女が一生忘れられないトラウマティックな記憶となろう。こまったことに、レイプの心的後遺症で男性恐怖があって、男の医者では話にならないケースがある。かといって、デキる女医はほとんどいない。
Yボランティアの若い女性がレイプされたという話は、少なくない。自殺者も出たという話もあった。被災地はマスメディアによって聖地のようなイメージづくりがされてしまった。被災地は特別で、しかも善意が支配する聖域であるというように。けれどもこの廃墟の都市には、死と暴力による悦楽の顔もないではない。それをみて見ぬふりをして、麗しい善意の共同体のユートピア的なファンタジーが構成されている。


   22 返事に倦むこと
 被災していろいろな人に声をかけられるようになった。はじめは見知らぬ人が、
 「がんばってね」
と声をかけてくれるのがありがたく、いちいち答えていたが、しだいに煩わしくなった。
 「がんばってね」
と言ってくれるのはいいが、もっと他の言葉はないのか。
 「ほっといてんか」という話。

【余 談】
Xなにごとも反復されているうちに、劣化する。被災当初は特別な状況が生まれていた。たとえばそれまで挨拶もしなかった近所の人と話をするようになった。隣の人がどんな人かも知らないで暮らしてきたが、震災を契機に言葉を交わし助け合うようになり、思いがけず親しくなった。それまでは、コミュニティ形成の煩わしさがなく相互に干渉しない暗黙のルールによって、思い思い勝手に生きている都市住民の気楽さがあった。けれども震災で相互扶助の必要が発生して、新たなコミュニティが生まれたようだった。
Yそこではだれもが平等に自身の善意を交換するユートピア。それまで見知らぬ人に自分から声をかけたことのない人も、声をかけるようになった。たしかに被災地ではそれまで交換されなかった交換が発生していたね。
X震災は既成の秩序空間も破壊した。そのとき、ウルウルとわき出す涙のようにコミュニティが出現した。この共同体は失われたものの代理物(substitute)である。しかしそのような共同体はいわば瞬時のものだった。地震で生じた亀裂の間から一瞬のぞいた特異な時間。やがて「がんばってね」という激励の言葉が煩わしくなる。
Z反復は物事の意味を変形する。交換は非対称な形態に変化して最初の意味は劣化する。好意は押しつけと受け取られるようになる。そこで放っておいてくれ、ということになる。コミュニケーションの煩わしさが復興する。





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