《 「しんさ」とは? 》

こんちは!「しんちゃ」じゃなくて、「しんさ」です。

●団塊の世代のどまんなかです。東京は板橋区の在。
マンション暮らしで、目の前には石神井川があり、春は何キロも桜が続きます。
旧中山道のそばです。最寄駅の埼京線十条には、旅芸人専門の常設小屋(篠原劇場)などもあります。
趣味は多種多様ですが、飽きやすい性格でながつづきしない。
人に聞かれると、「温泉とウクレレと俳句」と答えています。

●俳句は、2001年の5月ころから始めました。まだ、ほんの初心者です。
尊敬する俳人は、芭蕉(当たり前)と鈴木真砂女さんです。
目指している俳句は、
普通の言葉で書かれた共感性の高い句です。例えば小沢信男さんの句。
(と言うほどの句はなく、まだまだ道が遠い)

この「伸茶の俳句部屋」は、2002年の2月5日にスタートしました。
毎日更新をめざしているのは、飽きやすい自分を叱咤激励するためです。
  駄句ばかりで、恥をさらけ出してお見苦しい限りではあります。

一日一句、三日で三句。一年たてば365句になる。
一年たてば、一句くらいはいい句もできるだろう〜と思って、これからもつづけます。

カウンターの数字が増えるのが、気持ちの支えです。
これからも、プラウザの「お気に入り」に保存して、
時々は見てやってください&いつでも投句大歓迎です。
「しんさの俳句部屋」をよろしくお引き立てのほど〜!
(これを書いたのは、2001年5月。それからずいぶん時は過ぎたが、
初心忘れべからずなので、このままにしておきます)

【明日は変わるしんさ・映画ベスト10】
 天井桟敷の人々
 初恋の来た道
 東京物語
 ローマの休日
 隠し砦の三悪人
 パリの屋根の下
 ガス燈
 カサブランカ
 マイフェアレディ
 街の灯


 < 明日は変わる好きな俳句ベスト10 >

海に出て木枯帰るところなし  山口誓子
 
俳句になじまない頃に見て、なんとかっこいい俳句なんだろうかと思った句。
  潔い虚無感というようなものだろう。当然、山口誓子も知らなかった。

こときれてなお邯鄲のうすみどり  富安風生
 
 邯鄲はコオロギに似た虫だそうだ。俳人が実感として詠んだミクロの視点の句
  だが、この17文字は、生き物ならず自然界全体に対する畏敬の念が充ちてい
  る。環境問題が叫ばれる現代に、もっと注目されても良い句だと思う。

ラガー等のそのかちうたのみじかけれ 横山白虹
 
なぜ、「けり」ではなく「けれ」なのか。これは、「みじかし」の已然形であり、
「みじかかれども」の「ども」が隠れていると知った。
しかし、 喜舟さんの「の」が係助詞の「こそ」の役割をしていて「こそ〜けれ」の詠嘆
になっているという説にひかれてしまう。この「かちうた」とは、試合を終え
  たあとの、例えば校歌などとも考えられるが、栄光とか栄華という風に考えるのだと思う。

愁ひつつ岡に上れば花茨   蕪村
 
この句が江戸時代の俳句であったと知った時の驚き。どう見えも現代の一行詩
  としか思えない。同じ思いは「山路来て何やらゆかしすみれ草/芭蕉」にもある。

行く春やとりなき魚の目に涙  芭蕉
  
芭蕉の俳句は分かりやすい。正確に言うとやさしい言葉で書いてあるが意味が
  深い。しかも詩情にあふれている。この句のミステリーは「魚の目に涙」で、
  動物が陸にあがる前からの永遠の真理(または心理)を表現している事にある。
  人間もまた自然の一部なのだということを芭蕉は見抜いていた。すごい。

突き抜けて天上の紺曼珠沙華  山口誓子
  
山口誓子って人は写真を見ると背の高い人だった。男っぽさの中に芯の強さを
  感じてしまう。突き抜けるのは「曼珠沙華」であり、曼珠沙華が伸びる「紺の
  空」である。文句なしにかっこいい。

銀杏散るまっただなかに法科あり 山口青邨
法科の横に銀杏の木があって、散っているというだけの句。主客を転倒し表現
  すると、かくも新鮮な俳句になるという、俳句のお勉強のお手本のような句。
  前の句もそうだが、どうやらこういう断定的にものを言ってる句に惹かれるようだ。

しんしんと肺青きまで海の旅  篠原鳳作
 
無季の句。船の旅をしていたら肺まで青くなった、それほど海が蒼かった。ナ
  ルシズムの句だと思う。比較される句に「秋の航一大紺円盤の中/中村草田男」
  がある。こっちは、人間探求派とは関係なくウンウン唸って考えたテクニック
  俳句。もちろん、すごい俳句であることには間違いないけど。テクニック俳句
  ですごいのが、「滝落ちて群青世界とどろけり/秋櫻子」「滝の上水現れて落ち
  にけり/後藤夜半」だと思う。

向日葵の大声で立つ枯れて尚  秋元不死男
  
この句も詠嘆調だな〜。どうやら、断定調、詠嘆調がわたしの好みかも知れな
  い。この句も難しい言葉は一切なし。弁慶の仁王立ち。

冬菊のまとふはおのが光のみ  水原秋櫻子
 これで10句目。この句にするか「南国に死して御恩の南風/摂津幸彦」にする
  か迷ったけど、詠嘆調のこの句にした。この冬菊も、前の句のヒマワリ同様に
  ある種の孤高感を漂わせている。

こうやって10句にしてみると「孤高」「詠嘆」「哀愁」「虚無」が好きで、これは
演歌の世界と紙一重なのかも。最後に好きな和歌もひとつ。これも「哀愁」「虚無」。

   マッチ擦るつかのま海に霧深し
       身捨つるほどの 祖国はありや  寺山修司

              有名な俳句ばかりでオハズカシイこってす〜(^_^;)ゞ



 < しんさ・俳句年史 >
平成もとうとう23年になる。俳句をはじめてからの10年間の日記です。

●2010年(平成22年)

会社をやめ丸6年がたったらしいが、もう完全に実感がなくなっている。
家人の障害手帳があって、美術館がタダになるケースが多くなった。
それもあって、美術館、動物園は無制限にいっている。
横浜美術館でみた、ドガのエトワールは感激
ただし、この日に母が脳血栓で倒れたと弟から連絡があったのだった。


 1)マンションが12年目の大メインテナンス、6ヶ月、ベランダに出られず。
 
2)母が脳血栓で倒れる。不幸中の幸い、子は認識できリハビリ中。
 3)なにかと、物いり。冷蔵庫に始まり、Mac、テレビ、カメラ、買うはめに。
 4)テレビは、32型を返品して、40型に変えた。結果、良かった。
 5)旅行がいっぱい。北海道・旭川と九州(博多〜長崎熊本)、ハワイ、

関西、伊勢、水戸、会津、仙台、伊勢など
 
6)毎月診てもらっていた主治医・くわこ先生の死。わたしと同世代だったのでショック。
 7)ベビーフットで長年の足の裏の悩み解決。写真はみんなには公開できない。
 
8)夫、いびきがひどく妻と別の部屋で寝ることに。悲しくもあり気楽でもあり。
 9)マンションの理事になり、課題山積と知る。俳句の会と重なり1年欠席。
10)江戸検は届かず。でも仲畑・万能川柳が、12月29日で、めでたく50点に。

旅行三昧であったが、割と平板な年だったのかも知れないな〜。今思えば。
でも、元気にすごせてよかった。

●2009年(平成21年)

会社をやめ丸5年がたち、もう何年前か実感がなくなっている。
この年は、病院と縁の多い年で、積年の問題が表面化した年とも言える。
ぼくは、8月に築地の慶友クリニックで、鼻のレーザー手術をした。
確かに鼻の通りが良くなったが、結局いびきは治っていない事が判明。
それでも、息がラクになっている。口呼吸が減れば、いい事が多い。
有効期間2〜3年でその間に手術をすれば、効果が高まるそうなので、また来年やる。

 なんと言っても、家人の大腿骨の置換手術が大変だった。
5月頃に、くわこで手術をすすめられ、帝京の中村茂先生に見てもらったのが5月。
8月は、手術用の血液にするために鉄錠を飲み、貯血を2回。
9月7日入院、9日手術、26日退院。
術後は、順調。12月8日で、3ヵ月経ち、公式に杖も取れた。

旅行は、1月末からハワイ10日程度。2月は函館格安パック2泊。
2月は千石寮に2泊。やっと尾形光琳「紅白梅図屏風」を見ることができた。
5月は、広島〜岡山〜鳴門美術館〜徳島と廻る。
ただし、家人の入院が決まってからは、
ほあぐらさんたちと3泊程度で岐阜まで行き、京都も2泊だけ。
家人は、母親や、母親の妹、その娘などにも会う。
ぼくも、広島の従兄弟と久々に会う事ができた。

ことしの大事件は、夏のMac破損だ。
i-MacG4が壊れて、Mac倶楽部という所で、中古のi-MacG5を買ったのだが、
これが大外れ。取り替えてもらった機種も調子がわるい。
何回も、アップルにMacを持って相談に行き、おかげで少しMacに強くなった。
ただし、写真や、音楽が消えてしまった。
新澤くんに相談電話で迷惑をかけた。
借りたOSXレパードで、バックアップができるようになった。

株は低迷のまま。グロソブの配当が下がったので、一部、USハイに替える。
今んとこ、株価もあがり、配当も満足している。そうそう、9月、
民主党政権誕生。期待は大きかったが、だんだん失望が大きくなっている。

コンサートは、結構行った。クラシックもなじんできた感じ。
郡上は家人がうなずくまでは、5年目の今年でしばらく休み。
船団夏の集いは、新型(鳥ウイルスによる)インフルで、日程変更。不参加。
ドクターも3年目。俳句は停滞してるな〜。
「万柳川柳」は、13句入選。秀逸も1句!。「柳友に惜しまれつつ去る麻生くん」。
そうだ、江戸検は3年目にして合格。実力がわかる75点だけど〜

@江戸検の仲間もできた。でも、来年は、1級だ。

なにもない年だったと思っていたが、こう書いてみるといろいろあった。
12月30日には、胃痛で帝京に紹介され、あやうく盲腸で入院になるとこだった。
あれこれ心配事も消えたので、来年は実りのある年にしたいもんだ。


●2008年(平成20年)

会会社をやめたのが、04年なので丸4年たった。
電通の社友になったので、いろいろ特典ができた。千石寮に泊まった。
健保の法人会員を利用すことにして10年入っていたティップネスをやめた。
フラダンスは、セントラルときわ台と、新宿ティップネスの両方で教わる。
習い事は、他に家政大のケビンの英語。日大の「徳川」も秀忠が終わった。
夏の旅行は、妻有〜オリさんと会い、三省小泊。渋の金具屋、嬬恋の松代屋。
中嶋屋は確か5年目。京都に5泊。6月に角館〜岩手〜平泉に(UAのマイレージで)。
ドルが高騰。海外旅行は一休み。ところが年末には、対ドルで円が89円まで強くなる。

8月ころからサブプライムが表面化して、株が下がり出す。
10月には、リーマンショックでとうとう7千円台まで下がった。
この年の下落は、戦後最大42%。当然、資産のダメージ大きい。

正月にたまたま見た「のだめ」にはまる。クラシックが急に面白くなった。
コンサートにしょっちゅう行く。iPodに音楽を入れて持ち運ぶ。
年末は、松山バレー団の「くるみ割り人形」も楽しんだ。

船団夏の集いは、京都。ドクターも2年目。俳句は停滞してるな〜。
「万柳川柳」は、11句入選。秀逸はなし。「漢検のイメージキャラに麻生くん」。
江戸検は、くやしい68点(あと2点)で、2度目の不合格。江戸検の会に入る。
会社を辞めるときにひとつの区切りの北京五輪の08年が終わった。
時間がどんどん過ぎるな〜。気をひきしめて、いい年にするぞ〜。

●2007年(平成19年)

会社をやめたのが、04年なので丸3年たったが、何年たったか
感覚的には分からなくなっている。すこしダレかけているのかも。
9月に60才になった。12月にやっと年金がもらえるようになった。
電通健保に復帰した。

哲ちゃんの水彩教室が1年たったので、とりあえず止めた。
習い事は、フラがふたつ。家政大のケビンの英語(秋は人数不足で休校)。

日大の「徳川家康」にも通ったっけ。

夏の旅行は、妻有〜オリさんと会い、能登半島と金沢、中嶋屋は確か4年目。
京都に5泊。6月に高知に(UAのマイレージで)。
海外旅行は、カンボジア。シュリムアップで、日本語教師の愛さんと
会う。アンコールワットの流れで、ベトナムも行き、ミーソン遺跡を見る。


「船団」で9〜10月のドクターをやる。たぶん、この年は船団に毎回選ばれる
ようになった(思い出してみると、すごいことだ!)。
「夏の集い」は諏訪。
池田澄子さんたちと、弥生美術館で句会をやったのも記念すべきことか。

「万柳川柳」は、10句入選。秀逸はなし。自信の句は選ばれず。「辞書をひき勃起したころ懐かしく」。


検定は江戸歴史検定2級チャレンジ。60点で失格(ほあぐらさんは66点)。
来年の目標は、まずこれの合格だな。

前半、中国株を売って大きく利益がでた。夏に米のサブプライムローンが破綻
した余波で、日本株に大きな損がでた。後半は中国株の利益もだいぶはき出した。
トータルでは、なんとかプラスだが、波乱。


●2006年(平成18年)

やりたい事をやろうと思って始まった年。
まず英会話。早稲田のエクステンションセンターへ通い出す。
次に伊藤哲の水彩教室(西武カルチャー)へ。

3月のスペイン旅行の後に、エルグレコの宗教画を理解したいと思い、
朝日カルチャーセンター「西洋美術と聖書」(秦剛平)へ。
4月からは東板橋体育館で、フラダンス教室(林真理子さん)。
フラは拡大して11月からは新宿ティップネスにも通い出す。
早稲田の英語は西村先生の教え方に納得がいかず、夏から家政大のケビンの教室へ鞍替え。
その他、区の江戸講座10回も通ったっけ。
哲の教室は第二第四日だが、基本的に(木)(金)にまとめたので、まあコントロールできる範囲だった。

ついでながら、この年の検定は、第一回江戸文化歴史検定(江戸検)3
級合格。喜んでいたら実は86%の人が合格。来年は2級を受ける。
2級はことし44%の合格率。

旅行は、3月にスペイン。7月にトルコ。両方ともトラピックスのパック旅行。
トルコの旅は白木みのるが一緒だった。
それぞれ素晴らしかったが、パックはあわただしい。二度目は個人旅行にしたい。
家人の胃腸が絶不調で、オリーブ油を受け付けない。
これも改善できるといいのだが(こう書いてる現在は、絶好調)。

国内旅行は、初の2週間の旅。初めての佐渡。オリさんとも落ち合って
黒部の鐘釣温泉泊、高岡に一泊して、越中おわら風の盆へ。

ここで、新入社員の時以来の時田勇二とばったり。
彼も俳人。メル友となる。今後の再会が楽しみ。

4年目の郡上は中嶋屋2泊。岐阜〜京都といつものコース。
その他は、スパリリゾートハワイアンに2回。この年、ここを
テーマにした「フラガール」が上映。これが予想外のでき。
この年見た映画では「Always三丁目の夕日」「かもめ食堂」がおもしろかった。

株は、1月のライブドア事件で大きくソンした。10月の確定後の電力株の空売りも予想外のこと
(米中間選挙、石油高75ドルなど)で裏目に。ラッキーなことに、
中国株は年末にかけ、それ以上の上昇で穴をうめてくれた。今は、いつ売るかと虎視眈々の日々。
また、ある不祥事にからみ人に金を貸さねばならぬ事態になるなど、金銭的には波乱の年。


俳句は「船団」3年目にしてついに2句掲載。

NHKは「手花火のわたしが母になつてをり」が秀作(惜しかった〜)。
毎日新聞「中畑万流川柳」で「サバを読む年もだんだん年を取り」が大晦日に初掲載。

年末に熱海の来宮神社に行ったら、後厄だったことが判明。
エッ、そうだったの〜という事を考えると、元気でいろいろできたから良い年だった。


●2005年(平成17年)
この年最大の収穫は、大学生になって以来の喫煙をやめたことかもしれない。
6月7日のこと。3年たって禁煙が続いているのは30%というデータもあるので、油断しないこと。

○日本語教師の勉強で頭がいっぱいで、ファイナンシャルプランナーの勉強が遅れてしまった。
そこで池袋のヒューマンアカデミーのビデオコースに入学。

池袋の校舎(UFJ銀行の上)の視聴覚室で勉強する身となった。
5月の試験前に模擬テストがあったが、2回ともひどい成績だった。
こりゃあかんと、山手線に乗ってぐるぐる周りながら暗記を繰り返した。
結果は、法規と技能とも、ぎりぎりのギリで目出度く合格。非常にうれしかった。

○「船団」の吟行がお台場であった。岡野泰輔さんと共に参加。
船団は会誌だけのつきあいなので、やめようかと思っていたところだったのだ。
ここで、坪内稔典さん、池田澄子さんと会う。一緒の句会で、
「姑娘のざくと刻めり春キャベツ」が天となり、大いに面目をほどこした。
また、2次回も大いに盛りあがる。知り合った三宅やよいさんが、「ここに句会」に
さそってくれて、ここで知り合った鳥居まりこさんが「門」の人の句会に誘ってくれた。
ということで、「四合目句会」「船団」「ここに」「門」と4つの句会に参加することとなる。

○4月の人間ドックで、中性脂肪が1000を突破。普通なら150くらいまで
なのだ。しかも、糖尿の数字もぎりぎりに迫っていた。板橋区役所の側にある
「くわこ医院」で相談。勉強の運動不足と、頭の栄養チョコレートを食べ過ぎによるものと判断。
それからは、毎日、野菜を300グラムは食べた。ほうれん草や小松菜は
買ってきた一束を全部食べてしまう。また、テイップネスに毎日通うことにした。
毎日歩き、泳ぎ、汗を流した。この結果、次の検査ではめでたく正常に戻った。
糖尿も消えていた。このことから用心をしないと数値が上がってしまう体質だが、
野菜とトレーニングで修正できる事がわかり、ある種の自信となった。
くわこさんを、かかりつけ医者と決めた。

○夏は、ほあぐら&とりゅふさん夫婦と4人で、2年振りに新潟のオリさんちに
泊まりに出かける。オリさんの心臓病のハナシを中心に大いに盛りあがる。
その後、4年目の郡上踊りに。全10曲の6割がだいぶ上手く踊れるようになった(8月末)。
○また、日本語教師のスキルアップと、早稲田大学院のコネさがしを求め、
早稲田大学院の日本語教育公開講座に通い出す。なんとグリークラブ後輩の
川口義一くんが教授だった。これは合格間違いなしと、9月に多少の課題を書き願書提出。
発表の日に大学院に見にいったら見事不合格。(11月)
自由人になって始めての挫折。ただ「受かったらすごいと思っていたけど、落ちてほっとした」
という妻の言葉に肩の荷が降りたというか、ツキモノが落ちた感じとなった。
なにしろ、合格したら毎月100万はかかる上に、安い時期に好きに旅行もできなくなるから。
○また受験する手もあるが、なにしろ勉強ばかりやってきたので、そろそろ次の目標に
切り替えることにした。

○「現実可能なホラを吹き、小さな達成感を積み重ねること」という
三浦雄一郎さんの言葉に励まされ、来年は、日本語のスキルの持続、FPの東京支部での活動、
俳句の上達、電通の後輩・伊藤哲がやってる西武カルチャースクールの水彩画教室、
ETOCで930点取った宮下祐介くんに触発された英語、カンタンな映画くらいなら
字幕なしで見れるようになりたいもんだと早稲田のエクステンションセンターに申込など。


●2004年
「NHK俳句大会」で特選という快挙で始まった。
2003年末に山下達郎コンサートを見たNHKホールのステージに上る。
PC俳句会のみなさんが、わが事のように喜んでくれて、ほんとに嬉しかった。
まったくのマグレであることは明らかだが、気持ちの弾みとなった。

○4月に、33年勤めた電通を早期停年制度で退社。自由人となる。
  日本人は何もしないと不安になる国民であると金田一春彦さんも言っている(金田一さんはこの年没)。
そこで、外国で暮らす事を目指して外国人に日本語を教える資格(日本語教師資格)を取ることにする。
日本語を勉強するのは、俳句にも役立つだろうという事もあった。授業は、興味深いことばかりだった。
授業は週に3〜4回。夏の受験対策講座も受講。

「日本語教師資格」の試験が10月にあった。自己採点では、ほぼ絶望だったのだが、
なんと12月のクリスマスのちょっと前に合格の知らせ。
書留を届けてくれた郵便局の人に「ありがとう!」と、礼を言ってしまった。
●また、5月に板橋区のファイナンシャルプランナー資格(FP資格)の講座が
あることを知り、これの受講も始める。FPとは、つまり「財産よろず相談所」なり。
金曜は朝から夕方までアークアカデミーで日本語、夜がFPの勉強で充実(&疲労)の日々だった。
FP資格試験は、2005年の5月なので勉強はまだまだ続く。
○「火星句会」は、創設者の徒怒さんが退会したので、
「四合目句会」と名を改め
乙人さん、淳さん、羊羽さん、菜々さんを加え再スタート。
○こう書いてみると2004年は、自分に取っても大きな転換の年だったようだ。

●2003年
○「PC俳句会」と「火星句会」の活動が続く。
また、盛んに俳句雑誌や入門書などを読む。HPも毎日更新。どんどん季語も覚えた頃だ。
1月の「NHK俳句大会」。春の伊香保オフに参加。
12月に「NHK俳句大会」から特選の報があり、まさに驚愕。
その句は、「子を抱けば入水のごとし海開き」で、特選に取っていただいたのは鍵和田袖子さん。
また、伊丹三樹彦さんの秀作でもあった。○この年の暮れに、
「火星句会」の怠助さんと坪内捻典さんの
「船団」に入会。

●2002年
○「PC俳句会」と「火星句会」の活動が続く。
「PC俳句会」の恒例の集まりが、新年の「NHK俳句大会」だ。わたしも投句。幸い佳作に一句入った。
1月に「NHK俳句大会」に参加し、その後に原宿の東郷記念館「水交会」での2次回に参加。
始めてむ三四さん始め、メンバーのみなさんに会う。
みなさん、熱心で、楽しい方ですっかり気に入ってしまった。この年の「琵琶湖オフ」に妻ともども参加。

●2001年
○会社の先輩の鈴木冨士夫さんが、停年で退社。岡山美術大学の教授になった。
鈴木さんが参加していた
「火星句会」は、東京なので当然参加できない。
ということで、鈴木さんの推薦で「火星句会」に入れてもらった。
始めての句会参加は、楽しかったが非常に疲れた。
その日の席題が、「線」で、「舞い上がるドッジボールの白い線」を主宰の夏城さんが取ってくれた。
  その上で、「季語はないんだけど〜(笑い)」と言われたのを良く覚えている。
○む三四さんのアドバイスも心に残っており、6月に
「PC俳句会」の会員となる。
●また、この年にHP「伸茶の俳句部屋」をスタート。
あきやすい性格の自分を叱咤したいという気持ちでした。

●9.11の年だ。この時、鷺沼のスタジオにいたっけ。


●2000年
この年に俳句をスタート。会社の先輩の鈴木冨士夫さんという方が、当直日誌に一句書いていたので、
真似て一句書いたら、添削してくれたのがそもそものきっかけで、心から感謝しています。
  その一句は、「枯れてなお赤く咲くのか曼珠沙華」(うろ覚え)というようなもので、
「曼珠沙華は赤いのがあたりまえ。赤く咲くの5文字を他の言葉で表現するのが俳句だよ」
というようなアドバイスで、なるほどと思った。
  ●また、この年にPC俳句会に「手と手と手と赤く染まって渡り鳥」を投句してみたところ、
会の代表のむ三四さんから、「俳句は575なので、手と手と手赤く染まって渡り鳥、がいい」
とアドバイスをもらい、これまた目からウロコの感でした。

さて、2009年は?09年もいい年にするぞ!