
元々旅行は好きだったのですがもっぱら国内ばかりで、特別行ってみたい国もないし、言葉が通じないし、 習慣の違う海外旅行にはあまり関心がありませんでした。しかしひょんなきっかけで生まれて初めて海外に行くことになり、 長くても半年で戻ってくる予定が 10ヶ月に及ぶ放浪になってしまいました
バブル絶頂期の1990年代のはじめの頃、東京の肉体労働の職場は3K(キツイ、キタナイ、キケン)と呼ばれ、慢性的な人手不足。 どこの工事現場とかでも、あきらかに日本人じゃない労働者の姿がよく見られ、銭湯に行くと英語、ハングル語、アラビア語、中国語 などで風呂場で洗濯をするなとか、パンツを脱いでから湯船に入るようにというような注意書きが貼ってありました。 私がアルバイトをしてた東京のとある仕出し弁当屋さんもキケンではなかったがやはり人手不足で多くの海外からの出稼ぎ労働者 を雇用していました。バングラデシュ、ネパール、中国、日系ブラジル人など様々な国の人達がいて中でも一時期イラン人が 多く、入れ替わりがあるものの常時10人前後は在職していました。年齢も若く(20〜30代)、厳しい戒律の国から来たというわりには 気さくで陽気なイラン人と仲良くなってしまい、 彼らの寮でご馳走をうけたり、休日には弁当屋さんの営業車(弁当配達用のワゴン車)で箱根へドライブに行ったり、時には通ってた大学の授業に連れてっ たりしてるうちに、「今度はイランに遊びに来い」と言われ旅立ったのがきっかけです。最初の海外旅行だったわけですが、その頃私にとって海外は未知の世界で言葉もわからんし不安が先に立ちあんまり行きたい
とは思わなかったのですが、滞在中はイラン人 が面倒を見てくれるというので海外旅行というより友達の家に遊びに行くよう
な感じでした。「知り合いのいないハワイより友人のいるイランの方が安心」というような感覚ですね。
この弁当屋さんで仲良くなったのがたまたまイラン人だっ ただけで仲良くなったのが鹿児島の人だったら九州に行ってたかもしれませんね。
それと親戚がパリに住んでたのを思い出し、イランとフランスは陸続きだし、当時読んでた沢木耕太郎氏の旅行記「深夜特急」の影響
もあり、どうせならという事でイランの後、陸路ヨーロッパを目指す計画を立てました。しかし旅の途中で次々と予定を変更し
フランスとは逆のインドや北京まで行ってしまいました。でも結果的にはパリまで辿り着き無事に帰って来る事ができました。












