盛岡市 75年前
昭和15年頃
スナップ写真
盛岡の散歩道
三石付近、遠く岩手山が見える、一面真冬の田圃
昭和15年頃の上の橋上流河原と文化橋(左) 上の橋(右)
上の橋と銀杏の樹 現在と比較
60年以上前の写真
左側
の写真は中津川 上の橋下流の大銀杏(今でも残っている)旧丸竹餅店跡地
から盛岡病院(中央病院)屋上を見る。
右側
の写真は同じ場所から上の橋方向、銀杏の葉っぱが少し見える。
真冬の一般的なカクマキ姿の女性。バックは雪深い上の橋と愛宕山。
上の橋と大銀杏 (現在)
何故道路の真ん中にあるのか? 何故伐採しなかったのか?
今から130年以上前、明治初期この近くに丸竹茶屋が創業しました。後の丸竹餅店となりますが、明治、大正、と昭和30年代(1955年)までこの地で営業を続けてまいりました。その敷地内にあったのがこの「銀杏の樹」です。県市の都市緑地化計画、県民会館建設で丸竹餅店も移転する事になりましたが、この100年近い年輪の「銀杏の樹」を記念に残すのが条件であったと思います。県立中央病院の跡地ではなく丸竹餅店内敷地にあった銀杏の樹であることは古い写真でもお解りと思います。
上の橋界隈 当時の盛岡市内丸・本町
工事中
盛岡病院明治時代 昭和初期2階建て木造 朱(赤)色塗りの病棟が印象に残る
もりおか物語(9)熊谷印刷出版部より
天神町通り 今昔
病のごと 思郷のこころ湧く日なり 目にあおぞらの煙かなしも 啄木
中津川の上の橋対岸からと 毘沙門橋(グッチカメラ)
現在の交差点 下小路方面を眺む
下小路から見た盛岡病院の高い煙突
次の写真は昭和18年の盛岡駅
啄木の碑そして岩手公園の銅像