座敷童  本当のお話

座敷童をインターネットで検索しますと800件以上の項目が出て来ます。
座敷童の概略をインターネットから引用し紹介させて頂きます。


【座敷童子】 ざしき‐わらし
 一般的には[座敷童]と書くことが多い。 東北地方の家に住むと言い伝えられている、家の守り神・精霊。子どもの姿をしているという。 これが居なくなると、その家が衰えるという。

 座敷童子は、岩手県を中心とした東北地方では、座敷童子がいる家は繁栄するといわれている。 座敷童子の類は精霊が子供の姿をして現れるものといわれ、その精霊は、2〜3歳あるいは5〜6歳くらいの子供であるといわれることが多い。顔は赤みを帯びており、透き通るような色白で、いつもにこにこと白い歯を輝かせて笑っている。
 姿は、着物をきている姿が多く、色は赤色を好んで着るようである。

新辞林
⇒ ざしきわらし【座敷童】
岩手県を中心に東北地方でいわれる家の精霊,およびそれに関する俗信。童形で顔が赤く,おかっぱ頭をしているという。旧家の奥座敷に出現し,家の繁栄を守るといわれる。ざしきぼっこ。くらわらし。

座敷童子は女の子の姿をしているという話のほうがよく伝わっているが
男の子の座敷童子もいるらしい。

彼らは遊んでいる子供の中に混じり込むことがあり、すると、みんな見知った顔なのになぜか一人多いという現象が起こるとされています。また彼らを見ることが出来ると幸せになるとも言います。                              

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私の見た座敷童と栄華盛衰

5才〜6才位の男の子、小坊主のような姿で丸顔、色白で下の床の間に正座しておりました

(全て75年以上前の写真再生とイメージ)


    

小学校5年生の頃、早朝の話です。間違いなく座敷童でした
私の見た座敷童は男の子でした

 この家は明治の初期に建てられ何回も移動や修理をしておりました。
明治時代のある日の事、お告げがありました。 @地震か A洪水か B火災か C主の死亡に遭遇するから、神仏を祭り供養しなさいと。その時、洪水はどうしても考えられなかったそうです。
このお告げは誰のお告げか不明ですが
無視した結果、明治43年9月3日中津川の氾濫による大洪水で莫大な損害を被ったと云われます。当時、座敷童が存在してたかどうかは不明です。

流出する前の上の橋

 その結果神仏の集会の行われると云われる裏庭に「八幡宮」「不動尊」「地蔵尊」をお祀りし神殿等を建立しました、その後は商売繁盛、事故もなく順調に発展の一途を辿ります。


                裏庭と蔵                

 
それから数十年後に、私が子供のとき友達のような座敷童と会いました

そして昭和16年12月、太平洋戦争が始まったこの月に、ここの女主が脳溢血で急病死しました。
更に跡取りの長男も昭和19年、ルソン島で紙切れ一通の戦死で、遺骨も戻りません。

 この家の百数十年前の伝統文化を伝承してきたのですが、その後昭和中期以降は神仏にとり誠に不遇な時期が訪れます。
神仏や先祖を粗末にしますと、この家では必ず祟りがあると云われます。
座敷童の存在とその関係は分かりませんが誠に寂しく人間的にも哀れなものです。
平成に入り神々や仏の集会場の裏庭や
座敷童と会った建物も今は無く、この家にとって平成が終末の訪れだったのです。時代の流れとは云え恐ろしい世の中の変化です。今は駐車場になっておりますが、神木や庭の石燈籠は今でも残っております。

    

この写真の場所が昔々、神々の集会所でした。


生きている者が真剣に神々や仏、先祖を祭り、真実を正確に伝えない限り、再び怖い事態を引き起こすことになるでしょう。
神仏、座敷童の存在価値は別としても正確な真実を敢えて世の人々に知ってもらいたいのです。

この世に、この近くに奇怪な噂が沢山あります。

座敷童と会えた頃は本当に平和で楽しい時代でした。  


         盛岡市 中津川・上の橋近辺、 県・市の緑地帯に纏わ                                    る奇怪な恐ろしい噂をインターネットより引用し補筆しました。


上の橋
Aさんのお話  噂話15より
盛岡市は、母の出身地です。その母が言うには…。
「中津川の上の橋には、絶対行っちゃだめよ」
あそこはね、擬宝珠(ぎぼし)が有ってとても綺麗なんだけれど、江戸時代に橋を架けるときに人柱としてね。宮古市鍬ヶ崎(遊郭地帯)のお女郎さんの、梅毒で鼻が欠けた人を買ってきて、泣き叫ぶのを埋めたの。
私が若い頃は、あの橋を渡ると、鼻の欠けた女の人に追いかけられるとか、結構評判だったそうです。

(註)昭和の初期、子供の頃、私は上の橋で鼻のない年老いた女性とよく会いました。
この女性は、別人でした。



白髭水(しらひげみず
  盛岡市 伝説物語
【あらすじ】
 むかし、盛岡の中津川のほとりに木こりが住んでいました。
川の奥に木を切りに行くと、白い頭、白い髭のおじいさんに出会いました。「おなかがすいた」と言うのでお弁当を差し出すと、ペロリと食べてしまいました。
 翌日もまたおじいさんが現れ、今度は挨拶もなしにお弁当を食べてしまいます。このおじいさんをおかしいと思った木こりの奥さんは、川原で拾った石を熱くして、ふくべにはお酒の替わりに油を入れて木こりに持たせました。
 するとまた現れたおじいさんはそれを食べてビックリ。口から火を噴いたおじいさんが「雨よ降れ」と念じると、たちまち大雨が振りました。雨は七日七晩降り続け、とうとう中津川が氾濫してしましました。
 それから盛岡では、中津川が氾濫すると「白髭水が出た」と言うようになりました。


人が浮かんで見える Bさんのお話  Bさんのお話 地域別の七不思議より
盛岡市の繁華街を流れる中津川沿い、丁度、県民会館の裏手から第一勧銀盛岡支店にかけて、小さな公園緑地帯があります。
川面の涼しい風を受けながら、散歩するにはピッタリといった公園です。
昼の爽やかさに反して、夜のこの公園には、一種の重苦しい空気が満ちています。
特に四阿(あずまや)近辺には、奇怪な目撃談が後を絶ちません。
                                            現在の緑地帯、ベンチの有る場


曰く「真夜中なのに、四阿で子供が遊んでいた」とか「何人かの人影が、闇の中に浮かんで見えた」等々…。
ちなみに、この公園は数年前に移転した県立中央病院の跡地で、現在の四阿あたりが、霊安室だったという噂でした。[ソロ@ntt]
病院は霊の溜まり場だと良く言われますが…。皆さん、霊に助けられたという話は有りませんか?

(註)此のあたりの写真は60年前の盛岡市
、下記をクリックして下さい。詳しく記載されてあります。

  幽霊か幻人か何かの祟りか呪いか

子供の頃、これも本当のお話です。(10歳前後、1935年頃)
座敷童とは時々会ったのですが、幽霊?は最初で最後の1回だけでした。
幽霊と定義して良いのか今でも疑問ですが状況をお話しましょう。                      
全く恐怖感のなかったのも不思議でした。

         

大きい屋根の建物の2階が座敷童の出た部屋で1階が幽霊?の出た所です。

場所 この左の建物は2階ですが、その下の1階の暗い廊下の奥です。
時期 春か秋の午後の事です。
時間 この家には子供部屋があり、料亭の部屋に行く事は殆どありません。
    どんな理由で問題の茶室に通じる廊下に行ったのか不明です。
    見た瞬間、驚きのあまり他人に話す事もできなくなりました。
容姿 女性で30才位、色白で痩せ形で正座しておりました。
     手にお寺の和尚さんの使う払子をもっております。
    髪は肩の下まで長くしております。真っ黒な髪ではありません。
    きつい顔ですが、現代風の美人。
着物 スカイブルーの暗い感じの色です。
言葉 勿論交わしません。

よくよく考えますと、実際の人間がその場所に存在して居たであろうと考えるようになりました。
子供心に何故どこの人か分からない幻人が座っているのか非常に不思議であった。

火事を予言した

 この時代の火事の発生件数は極めて多く、有名な建物や官公庁や町工場の火災が多かったように思います。
子供にとって火事は恐ろしい事でした。
記憶に残るみちのく「杜の都」の大火事は「裁判所」「川口荷札」「三田火薬庫」等々。
更に台風の襲来で見る西方の空は、異様な色に変化しながら北に向かって行きます。多分昭和9年の室戸台風かと思います。
そしてその前年は三陸沖大津波がありました。そして東北の冷害も続いてる時期でした。

 夜中、目が冴えています。暫くすると半鐘が鳴りサイレンが鳴る。やっぱり火事か!方向は南だな!
何故か火事の発生と方向が事前に解った。
必ず前日の夜、夢にハッキリと火事現場が出て来るのです。
自分の住んでいる家を中心とした範囲内から見える火炎や煙が夢に出て来ます。そして火事現場を近くから眺められます。
今でしたら貴重な「心霊現象」として持て囃された事でしよう。
何故か火事とか、災難に対して微妙な感受性を持って居たか不明ですが、少年期後半からはこの能力も徐々に衰えて来ました。


70年前の盛岡市 関連リンク

   大正時代から昭和初期盛岡市内丸本町

           「物語」---なぜ「座敷童」は去ったのか
                   そして、終末に陥った理由
                  詳しく説明・・・工事中(準備)この物語は当分続きます。
   
         北東北の旅



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