|
神々と人間の間に取り決められた「約束」 ~奈良県「三輪山」の登拝から考える(なぜ古来の「禁」を破ったか)
|
|
2015,04,03 生霊を祓い鎮める神のご出現 三輪山の媛神「天美倭媛大神」と、 「天静倉媛大神・天滴媛大神・綾古大神」
|
|
アチメ オオオ オオオ オオオ 美倭山ニ 天美倭媛ノ命ヤ 静倉ヤ 滴垂セヤ 綾古帰ラム (平成27年4月4日 於:正神之会大阪祈祷所 神璽により)
|
日本の文化文明の、発祥の地といっても、過言ではありません。
九州人の私が、「祈祷師・審神者(さにわ)」の仕事をさせていただくようになって、日本人の信仰心の礎をつくり、先導してきたこの地域に、ご縁を賜りましたのは、きっと、私の「導きの神」の、お仕組みに違いありません。 また、関西近畿圏への進出は、私の前世に絡んでいると、私の導きの神より、教えてもらいました。
私が、今世にて、関西・近畿の土地に縁ができたのは、神霊や不可視な世界を、より正しくとらえ、解明して、たくさんの人に、「正神界」に在る神様の「御神意」を、わかりやすくご説明することを、今世の私の「使命」として使わされているのだと、思います。 毎回毎回、意味深な「テーマ」にそっていて、私の魂の「霊的成長」に則しており、しかもそれは、以前より、このタイミングで行くようになっており、実に用意周到に仕組まれたものであります。 ですから、事前にそれらを調べ把握した上で詣でますと、現地の神々や霊魂などを、魂(心)で捉えるために駆使する私の霊的感覚に、何かと支障を及ぼすのです。
世の中の人達には、どこからか聞いたことや、他から知り得た知識を、さも自分の霊感で知り得たものであるようにおっしゃる方も、多いですね。 あろうことか、ご相談者にアドバイスする、霊感者や霊能者さえも、自分自身に、本当の霊感があるのかどうか理解できないまま、「妄想」を「霊感」だと勘違いして、悩み苦しんでいる人に、霊的なアドバイスを行っている者も多くおりますから、大変怖いものです。
テレビや雑誌で有名な、ある女性霊能者は、面談時間はわずか数分で、「それは霊障じゃないから病院に行きなさい」と言って、終わるのだそうです。 助かるためのきっかけを求めに、遠路からはるばる、北のはずれまで来たのに、これでは、納得いかない・・・と、正神之会にいらっしゃった、ある女性のご相談者が、漏らしておられました。 また、あるご夫妻は、相談に行った先の霊能者から、大変強い霊体が憑りついているから、除霊にお金がかかる、と言われ、家が一軒建つ程の大金を払わされたそうです。 残念ながら、いずれのケースも、その霊能者の元ではお悩みの改善には至らなく、私のところへ、ご相談にいらしたのです。
人間の側に立って作られた、それらの神話や伝説や由緒書きを、安に信用して、それらを基本にして考えるのではなく、 当地にお座します、神々や精霊などの「意思」に、素直な「心」で向かい合い、人間の思考を超えた存在である、神々の御意志に添い奉ることを、信条として、目や耳や肌などの「五感」で感じることだけに心囚われないよう、日々の心掛けが、大事なのです。 「祝詞」や「秘術」・「霊術」というような「形式」に頼るのではなく、神様など、目に見えない存在には、「心」で交わり通うように、勤めるのです。 そのために、人間の都合の良いように書き換えられた、それらのものに心を支配されないように、「心の眼」で、捉えるように努めるのです。
どなたも、全てが重い悩みを持った方々ばかりです。 私は、そんな方達のお悩みの解消にあたりたいと、一生懸命、真摯に取り組んでまいりました。 どなたのお悩みも、解決は簡単ではありません。 確かに、これまで紆余曲折あって、中には、改善しなかったと、途中で諦めた方もいらっしゃいました。 その度に、私は心潰しておりました。 「どうすれば良いのだろう」 「どのような方法を取れば、この方は救われたのだろう」 そんな思いの連続でした。 その当時の私も、御多分に洩れず、聞きかじった「宗教家」の教えや、神道や仏教などの既成宗教が教える、「心霊の捉え方」を基本にして、祝詞を奏上したり、お経を唱えたり、霊術を施したりしておりました。 しかし、それらを必死でやっても、思ったような効果はありませんでした。 本当に、いろいろと悩み考えました。 時には、挫折しそうでしたし、願いとは全く違う、真逆な結果に至った時には、真っ逆さまに谷底へ落ちてしまうような感覚を覚え、私自身の失墜の念にかられて、辛い経験も致しました。 しかし、私は、決して諦めることはありませんでした。 きっと、かならず、私の願いが叶う日が来るに違いない と、必死になりました。
そうしますと、私の心の扉が、音を立てて開いたように思い、扉の向こうから、朝日が燦々と差し込んで照りだしたように感じられて、途端に気持ちが楽になりました。 そこで、堰を切ったかのように、私の「導きの神」が、次々にお出ましになり、様々な教えごとをいただくようになりました。 そして、次第に、御神事の精度が上がってきたのです。 以前よりも、祈願祈祷の内容が、現実化するようになりました。 これまでの神事との違いを、実感するようになりました。 神道や仏教などの、既成宗教の教えから、全ての呪縛を外して、心が解放されますと、目に見えないものを捉える私の心が、とても「自由」な感覚へと変化致しました。 現代に伝わる既成宗教が、いかにして、私達の心の自由を奪って来たか、が、実感で捉えられるようになりました。
前述で説明しました、「王道」と、「邪道」。 「王道に沿っていないから、だからそういった人物は信用できない」
そんな中、先日(4月3日)に、奈良県「三輪山」にあります「大神神社」と「狭井神社」に、詣でてまいりました。 ~事前におことわりです~ 以下の内容は、三輪山を熱心にご信奉なさる方や、神社ご関係者の方には、大変不愉快な内容であるかもしれません。 あらかじめ、おことわりいたします。 私は、私の、信条信念として、日頃から真摯な気持ちをもって、ご神仏に向かい、各種の神事に取り組んでおります。 もしも、ご不快なお気持ちになった方がいらっしゃいましたら、謹んでお詫び申し上げます。
そもそも、この時、なぜ三輪山に参ろうかと思ったかと申しますと、正神之会大阪祈祷所にお見えになる方のうち、どういうわけか、三輪山を日頃から信仰なさる方が、集中的に多くいらっしゃいまして、 しかし、やはり、懸案の生霊は、ずいぶん影響力は薄まったとはいえ、まだ、我が身に憑依をしてきておりましたので、「仏魔」の完全な鎮め祓いについて、仏式に続き、まだ違った方法が、あるのではないかと、考えていたのです。
雨のお陰でしょうか、ご参拝者もまばらで、私には大変助かりました。 続けて、サニワを行い、この後どうしたら良いか、をお尋ねしましたところ、「これより、西の方へ向かいなさい」との、ご神示が下りました。
ご神木の前で、さらに詳しくお尋ねしますと、 「この神木は、朽ちて倒れたが、これより伸びる根は、この一帯の地中を、しっかりと包み込んで、この根より「神気」を放って、様々な邪気より、この大地を守っておられる」 との神示が下りました。 このご神木宿りし神のご神名は、なんといわれるや?と、お尋ねすると、 「神名はなし、三輪山の門番の神である」 と、お伺いしました。 よって、三輪山の大地をお守りくださる門番の神に、まずはご挨拶申し上げまして、神々の穢れを清めるための「三種神器」の祝詞を、導き神のご指導により奏上いたしました。
※「三種神器の祝詞」とは、「清め・鎮め・祓い」の三種類の神事を行うことです。 清め・・・穢れた神霊を清める祝詞 鎮め・・・荒ぶる神を鎮める祝詞 祓い・・・邪気を祓う祝詞 導きの神であります「天宮媛大神・布都主大神」の神々よりご指導いただいたものです。
ご本殿前まで戻ると、ふと、私の導き神より、お呼び掛けがありまして 「三輪山の大神がお出ましである」とのこと。
それで、ふーっと脳裏に広がった漢字が 「また、「三輪山」にあらず「美倭山」ぞ、改めよ」との神示が下りました。 「その通り」
生霊の活力源である「仏魔」の祓いをお得意となさる神様が、いよいよ、ご出現なさったのです。 さて、そうしますと、同行いただいた方から「この先に、狭井神社がありますよ」と、お聞きしましたので、導き神に、サニワを施してみると、 「参りなさい」との神示が下りました。 その足で、さっそく「狭井神社」へ、参ることにいたしました。
私が思いますに、こんなに気持ちの良い自然環境の中に、こんなにも多くの妖怪が住み付くということは、「邪気」が、三輪山を覆っているのは、間違いないでしょう。 しかも、この妖怪は、元は自然界に住む、恵みの「精霊」でありましたが、何者かが発した邪気を吸って、妖怪に変化したものと思われます。 ですから、この美倭山の、自然豊かで気持ち良く思える「気(エネルギー)」は、百鬼夜行が、総力を結集して作り上げたもので、「見せかけの気(エネルギー)」と、思えます。 それらの百鬼夜行は、巧みに自然界と重なり合っていて、最初は探し出すことが困難でした。 元々彼らは、夜暗くなってから、姿を現します。 昼間のうちは、生い茂った緑の中に、姿を消すのでしょう。 狭井神社に延びる道すがら、樹木や野草などの恵みによって、とても澄んだ空気感が漂って、大変気持ち良いところでしたが、一方で、なんとなく覚えた違和感の答えは、狭井神社のご神殿が見えてきたころで、判明しました。
それは、私たち「人間」のせいです。 私たちは、念力で物体は動かせませんが、念を発することで、目に見えないエネルギーの形を変えたり、動かしたりすることは、造作もないことなのです。
私たちの発する、「邪な念」によって、自然界のエネルギーである「神様の形(姿)」が、異質なものに「変化」するのです。 神道ではこれを「穢れ(ケガレ)」と、呼ぶのです。 三輪山の神は、御山が御神体であり、御山が、神様そのものでありますが、神様の御意志は、奈良県の当地に鎮まって、大きな自然界の中の一部として、それこそ、重要なお役目に勤めておられます。
代表的な例が「神は全知全能である」という、思考です。 神は「全知全能」である…という思考は、西洋から伝わった「キリスト教」や、インドや中国から伝わった「仏教」など、哲学や倫理など、人の生きる道を説くための「精神論」を中心とした教えから、解釈され、広まったものです。
これはもう、キリスト教と、仏教が、ごちゃまぜになっていて、整理がつかない状態です。 また、「この世に神や仏などない!」という言葉、よく聞く言葉ですが、人生の苦難苦境は、そうならなければならない「因縁」「因果応報」「魂の試練」という要素を含んでおりますから、苦しいことが起こった、悲しいことが起こったとしても、それは、神仏の「ご加護」の「枠の外」であるのです。 これはもう、信仰のあり方そのものが、根本的に間違っているのです。 テレビで「スピリチュアル」という言葉を流行らせた、有名な「タレント」さん、 パワースポットブームを仕掛けた「お笑い芸人さん」、 神様仏様を、いたずらに恐怖感を盛り立てて、面白おかしくして漫画にする「作家さん」、 悩んでいる人に、あっちの神社、こっちの神社に参拝を勧める「他力本願思考」の霊能者、 集団で、全国の神社を練り歩く「宗教団体」、 神社の境内で一日何時間も滞在する、不審な行動をとる「若者」、 生活困窮者に、賽銭箱に一万円札を投じさせる「心理カウンセラー」など、 一般の人達を、あからさまに「ご利益信仰」に走らせるような、人心を惑わす情報は、全て、間違っています。
「ご利益信仰」の根っこは、人の「邪気」です。 人の発する「邪気」が、神社の神様に、穢れを負わせるのです。 これは、重大な「今世因縁」となって、後々災いをもたらせます。 以上のような、ご利益信仰でもって、「御神意」を無視した行いは、神様と、私たち人間の間に、ますます深い溝を作ってしまいます。 「人が、神々に願い事を申すのは、道理でしょう。 決して、悪いことではありません。 しかし、願いが叶うか叶わないかということ、 それは、日々日頃より、いかに正しく神々と向き合っているかに、掛かっています。 新年初詣と申して、晴れやかに着飾った出で立ちで、神前にお参りに来られますが、いくら神前で良い格好をしていらっしゃっても、日頃、どう生きているかが、重要です。 日頃の思いを改めなさい。 ※心眼を納める神のお話しは別項でご説明します 常識にとらわれないで「新しきを知る努力」が、「神観」を整えるための、最低条件なのです。
さて、狭井神社では、ご本殿の裏手にありました、井戸のたもとで、更に、この地にお鎮まりの神様の御名前を、教えていただくことができました。
一、天静倉媛大神(あまのしずくらひめのおおかみ)
二、天滴媛大神(あまのしずくひめのおおかみ)
三、綾古大神(あやこのおおかみ)
前述の「天美倭媛大神」にお仕えなさる、三柱の女神です。
天美倭媛大神は、美倭山の上空にある「天空の御社」に座しておられ、天静倉媛大神・天滴媛大神・綾古大神は、美倭山の大地に座しておられ、地下から沸きいずる水や、大地の緑豊かな自然を、古来から今日まで、育みおられた由。
それらの行いは、すでに、数億年からの仕組みでありまして、これらの神は、美倭山の土地が豊かであるとともに、日本国土の中央に座して、日本の大地がより豊かで、神々の栄える国土であるように、私たち人間の、気が遠くなるような、はるか昔から、美倭山にお鎮まりになっておられるそうです。
ですから、三輪山というお山の真の名称は「美倭山」という名でありまして、まさに、「美しい倭国(日本)」を表す名称には、重大な意味が宿っていたのです。
「倭国」という国は、「神代」と云われる時代のころの、かつての日本国の名称です。 アジア諸国と、日本の都を中心にして、日本国は「倭国」という名称でよばれておりました。
その時代に生きる人々は、神々との意思の疎通によって、ものごとの「吉凶」を占って、政治を運営しておりました。 しかし、それまでは神々の意思に添った政(まつりごと)を行っておりましたが、様々な欲望や思惑によって、人々は、私利私欲のとりこになり、次第に、「神々の意志に添わない政治」を執り行うようになりました。
神々の御霊を畏れ敬い、神々の意志に添って生きてきた日本人の、「神を正しく祭り成す精神」に、悪しき影響をもたらしましたのが「仏魔」という、外国で栄え誇った宗教の、「思想の根本」に潜む「魔物」であります。
外来宗教の影響は、それまで日本人が培ってきた「神を感ずる能力」を、がらりと変化させ、日本人独自の「神感能力」が大きく損なわれる結果となりました。
「美倭山」は、かつて日本人が、神々と交わって、神々の意思を受け取り、神々の意思をを中心とした、政治を行っていた頃の、「霊的中心地」でありまして、大変重要な土地でありました。
それが今日、かつての古代人が定めた「禁足地」の禁をやぶって、登山できるようにしましたのは、実は、「神国日本」「大倭(やまと)の国」を崩壊させて、神々に通じる、世界人類でも大変特殊な能力を持つ日本人、「大倭の民」の精神を、根絶やしにしてしまおう、という、悪しき意図を持った「霊的な集団」からの「攻撃」であったのです。
仏教をはじめ、儒教やキリスト教などの外来宗教は、人がどう生きるべきか・・・を説いた、人のあるべき「精神」を説き教える「哲学的思想」です。 その思想はすべてが、「言葉」が中心であり、言葉は「唯物主義」を導引します。 唯物主義が進むことによって、目に見えるもの、耳に聞こえてくるもの、肌や舌で感じるものだけが、「コミュニケーションの手段の「すべて」になってしましました。
かつての日本人の、目に見えないものへの「畏敬の念」が損なわれて、目に見えるものだけに心囚われず、常に「心を読み取る」という、日頃の営みがおろそかになって、日本人の、秀でた能力であった「インスピレーション能力」が消え失せて、長い時をかけ、現代人は、すっかり外来宗教の、外来思想に染まってしまいました。 かつての日本人の能力であった「神感能力」は、その外来思想に影響されて、目に見えるものだけを信じ、目に見えない「心」には、まったく思いを寄せようとしない「文化」が確立されて、結果的に、神々との心の交流が失せて、結果、一番大事な「大倭の心(やまとのこころ)」が、無くなってしまったのです。
「三輪山登拝」を強行しましたのも、「仏魔」という外来宗教に潜む魔物の、千年以上にも及ぶ、壮大な計画であった「日本人神感能力封じ作戦」が実を結び、すっかり、「神を感じる心」を忘れた日本人が放つ「邪気」によって、古来より息づく日本の神様が、外国の神様によって、「封印」されてしまったのです。
それこそが、日本という神国を、崩壊させようと企む、霊的集団の、長い時間をかけた、緻密な計画であったのです。
井戸からご出現くださった、三柱の女神さまは、前述の「百鬼夜行」の邪気によって、地下に封じられるも、冒頭でご説明しました「三種神器」の神事により、土地の邪気や穢れが拭われて、やっとご出座なさいました。
後日お尋ねしたところ、三柱の女神は「200年ぶりに人間と意志を交わした」と、おっしゃっておられたそうです。 ありがたい気持ちになりました。 これからも、心から、美倭山の神々様の「ご隆盛」を、祈願祈祷させていただきたいと、心に深く刻んだのでした。
美倭山参拝の翌日、正神之会大阪祈祷所にて、次の御神示を、正神之会の導き神「天宮媛大神」より、「祝詞」をくだされました。
また、古来から伝わっている、鎮魂歌の祝詞の内容も変更なさいまして、各種の神事にて、奏上するように、ご下命くだされました。
天宮媛大神によりますと、 「昔と今では、神々のご意志が大きく変わりました。 従って、変更をいたすものです」 と、おっしゃいました。
私は冒頭に、「三輪山の神様は「生霊」の原動力である「仏魔」を祓う神様です」と、申し上げました。
本当に、その通りでした。 私は、更に、この確実な神様の教え事に、改めて、恐れ入った次第です。
神様のおっしゃる通り、この日を境に、「生霊」の私への憑依が、ぴたりと無くなったのです。 これまで、あんなに苦慮しておりました、「生霊」(生霊のことを神様は邪霊(やれい)と言われます)の浄霊・除霊が、すんなりと、行われたのです。
かつて、50代のある女性が私に申されました。 それで、たくさんの人がお参りに来てくれると、神様も喜ばれるでしょうね~」 (遷宮で工事中の出雲大社境内にて) 私は、この女性に、以下のようなことを、申し上げておりました。 「品物に心寄せても、その品物から、貴女を救ってくれるような、不可視の力は、期待できないよ。 だから、本当に救われたいと思うなら、一から「心の在り方」を学びなおして、ご自身の「因縁」を祓い清めるように、努力しましょう」 そう、常々申し上げてご指導させていただいておりました。 そんな矢先で、この女性の、この言葉を聞いて、私は、愕然といたしました。 女性は、ご自身の辛い状況から逃れたいがために、ご神仏に救いを求めておられるのですが、その方法を、お金で求めておられました。 お金をかけて、パワーグッズなどの品物に依存する信仰の方法では、形式に心が囚われるだけで、肝心の「心を手向ける」ことが、なおざりになってしまいますから、そうなると、決して救われることはありません。 パワーグッズに頼ってしまう、ご自身のお考えを変えていただくように、いく日も、渾身を込めて、ご説明させていただきましたが、そんな果てに、このような言葉を発せられたものですから、私にとっては、とてもショックでした。
流行っている神社、そうでない神社で、神様の優劣や格の上下を決めたりするのは、絶対によくありません。 見た目の立派さだけに目を囚われ、見た目の荘厳さに感動はしますが、その内心はどうなのか、見た目は整っているが、本心はどうなのか・・・を考える「思いやり」の精神がないのです。 いわゆる、パワーグッズをたくさん購入し、身の周りに置く行為は「簡単」な方法でありますが、「心」という、難しい、面倒なところには、目を向けようとしないのです。 見た目だけを美しく整えただけで、荘厳な気分になるのは、人間である以上仕方無いのですが、人間の側からの「見た目の感想」など、神様には、関係ありません。 しかし、見た目を美しく整えた、そのうえで、「信仰心」を深め整える行いもあります。 最初は見た目から入っても、「形」に囚われない考え方「水平思考」に至ることが、大事です。
何事にも、今の自分の境地から、一歩前に出て、自分を高めていきたい・・・という、前向きな心を持って、それを常日頃から心に置いて、それに取り組もうとする姿勢が、こ大事なのです。 そして、取り組んだことに対する「結果」を把握するために、きちんと自分の行動を省みることも大切なことです。 自分が、これまで歩んできた道に、正すべき考えや、正すべき行為がなかったか、を、客観的に捉えて、今後の人生に生かすのです。 パワーグッズに依存すること、宗教に依存すること、スピリチャル系の情報に依存することは、結果的に「自己満足」に陥ってしまう傾向があります。 誰だって、自分が可愛いのは、仕方のないことですが、それら宗教を含めた、スピリチャル系より得る情報を、日常より、自分の思考にたくさん詰め込んでしまうと、自分を慰めるだけの、自己満足にふけってしまって、苦手で、目を背けてしまいたい、現実の問題に取り組むことが、ついつい疎かになって、気づいた時には、目の前の問題が、更に大きくなっていて、取り返しのつかない状態になることも、数多くあります。 そしてあろうことか、それらの宗教やスピリチュアル系から得た情報に、家族や周りの人間が、認めてくれなかったり、従ってくれなかった場合、怒りを向けたり、悲しんだりして、自ら邪気を放ち、ますます「孤立」してしまうのです。 こうなると、せっかく、「幸せ」になりたい為に始めた宗教も、この日を境に「不幸」の一途をたどって行くのです。 まさに、本末転倒です。
正神之会にも、日頃から、老若男女、たくさんの方が、ご相談にお見えになります。 前述の、パワーグッズ好きな女性もそうでしたが、「家族のテーマ」が、重く、心の負担になっている「お母さん」は、とても多いように思われます。 特に、我が子に向けた悩みです。 お父さんは、一生懸命、仕事に精を出していて、家庭を顧みないで好き勝手やっていますので、日頃から、お子さんと向き合うのは、お母さんの仕事です。 子供の子育てについて、日頃から悩んでいるのは、お母さんです。 本当は夫が一番の理解者で在れば良いのですが、世の中のお父さんは「軟弱者」です。 仕事も家庭も、共に目を配ることができる、「万能な人」が、いなくなりました。 お母さんも、昔よく見かけた「肝っ玉母さん」という、強い志を持った女性を、見かけなくなりました。 意志を強く持って、あらゆる問題に立ち向かい、信条に添って取り組んでいく人が、この世の中に少なくなりました。 これは、霊的に言いますと「社会因縁」「国家因縁」というものが、霊的に、日本国民の心情に、大きな因縁として、影響しているのです。 「戦中戦後」の世代は、波乱万丈の人生であり、社会全体が唯物主義で、物やお金は大事に思うが、家庭や愛情は、お金や名誉の次に置かれ、疎かになりました。 結果、我が子に手向ける愛情が、十分では無い中で育てられたのは「団塊の世代」です。 団塊の世代は、親の愛情不足の幼少期にありながら、急激に変わりゆく、慌ただしい社会に置かれ、「私利私欲」が横行する世の中に育まれました。 交通網の整備で、交通事情がよくなると、転勤族が増えて、核家族化が一気にすすみ、若者が年配者を敬う環境がくずされて、結果、年配者は当時の若者から「弱者」とされて、疎んじられるようになりました。 私利私欲に埋もれる人が横行する世の中で、団塊の世代は、同年代に生きながら、成功をする人とそうでない人が顕著化し、「不平等感」「不安感・不満感」「貧富の差」を感じて、心貧しくなり、事件事故も多く世間をにぎわす世の中に在ります。 そして、国家が「ゆとり教育」を全ての子供に施行し、その結果、子供たちの心が、国家教育に支配されるようになります。 国が推し進める教育は、すべての子供を、同じ枠の中に詰め込んでしまう論理でした。 それによって、次第に子供たちは、息苦しい窮屈な感覚を覚えるようになります。 「学校崩壊」「家庭崩壊」「積み木崩し」などの言葉が流行りました。 食べ物も欧米化が進み、その結果、長身になって、身体は、一見たくましく見えるが、心は、思いやりの精神に欠けます。 人の性格の弱点や、劣っている点ばかりを注視し、弱者をからかって面白がるようになり、長点を評価する心が失われ、他人の個性を寛容する広い心が失せて、「いじめ」が横行する。 そんな「ゆとり世代」が、今や親になって、そのゆとり世代の産んだ子達が、この社会を支えようと、しているのです。 現代人は、解決できない案件を、裁判して司法に答えを求めるも、その専門家と言われる、やはり同じ世代に産まれ育った「心無くした役人」に、物事の善悪の判断を委ねますが、納得のいかない判決ばかりが報道され、ストレスがたまります。 常日頃から理由なく「イライラ」していて、どこか、「好戦的」な様子です。 学校や幼稚園などで、気に入らない学校の対応や、教師への不満や、父兄の言動に、常日頃から立腹しておりまして、子供の喧嘩にすら、親が介入して、自分の満足度を満たそうと、躍起になります。 そして、お互いの「腹の探り合い」を基本にした、信頼関係のない、見せかけだけの「いびつなコミュニケーション」が世の中の主流になり、家庭でも、職場でも学校でも、気を許せるような付き合いがなくなり、ますます、個人個人が「孤立」していきます。 一方で、そんな「孤立」の世の中が作り出した、スマホなどの「個人保有ツール」が、急速に拡がって、インターネット、ブログ、ツイッター、LineなどのITの事業が、世の中の経済をけん引するようになり、ますます、人間の「孤立化」に、拍車がかかりました。 結果、これまでの「コミュニケーション」の方法と、心の在り方が、すっかり様変わりしまして、他人との付き合い方から、家族同士の関わり合いも、すっかり変化して、結果的に、失われてはいけなかった「思いやり」の心が、無くなってしまいました。
しかし、「孤独」を強く感じるようになった分、ますます他人が自分を、どう見ているか、自分の評価が気になって仕方なくなってまいります。 常に、自分なりの、「相手の腹を探る方法」を得ようと、インターネットやメディアに、その答えを求めるのです。 世の中の若者は、SNSの「既読」がついても、返事が来ないことに「馬鹿にされた」と憤慨して、相手に、言葉の暴力や、制裁でもって、不平不満をぶつける。 楽をして、相手の思いを探ろうとする人が、悶々としている最中、この時代に生きる人たちの期待に応えるように、テレビなどで「メンタリスト」「スピリチュアル」などの「精神世界」を扱う番組や人物が、多く扱われるようになりました。 テレビで有名になると、その人物の書籍やブログに書いてある「精神論」を読み漁り、陶酔し、心の拠り所にしてしまって。それはまるで、形を変えた「教祖様」のようです。 テレビなどに出演する、それらの著名人の言うことは「絶対的」で、著名人が勧める品物などの「パワーグッズ」は、例え高額であっても購入し、著名人が勧める「パワースポット」などには、全国から、老若男女が、かけつけます。 あろうことか、金運を上げるためと称して、「欲望」という邪気がたっぷりと含まれた一万円札を、神社の賽銭箱に投げ入れさせる、新手の乱暴な心理カウンセラーなど、職業の呼び名は斬新でも、やっていることは「新興宗教の教祖様」の類であって、それは、悩める人の「人心掌握」を測り、結果的に、自分の発する「邪気」に自分自身の心が支配されて、ますます運気を下げていく、という流れに、至るわけです。 邪気まみれの一万円札を放り投げられて、さすがの神様も、困惑しておられるどころか、怒りをもっておられます。 こんな環境や社会情勢で、心が荒んで、結果的に社会全体がすっかり、真心や思いやりがなくなって、気弱になった結果、世の中で一番に頼りになるべきの一番大事な場所である「家庭・家族」が、反転して、自分の、一番大きな「悩み」に転じてしまう、「本末転倒」の世の中、状況になるのです。
続きを一生懸命書いてます。もうしばらくお待ちください。 |