日本語を織りつむぐ幻燈の祠
知らぬ間に押し寄せる異界の鼓動……



「願いが叶う場所」


 三十余年の人生のうち、僕は九年間を京都で過ごした。群馬に生まれ、高校までの十八年間は地元にいたので、それからの人生は大半を京都で過ごしたことになる。
 実は受験のとき、京都の大学ばかりを受けた。そして合格の出た大学に入学し、親元を離れた。大学選びは僕の意志だった。家計負担は大きかったが、両親は僕の願いを聞いてくれた。親が自由にさせてくれたのは、僕が次男だからというのもあると思う。
 いまでもこの話を人にすると、「何で地元とか東京の大学を受けなかったの?」と聞かれるのだが、「どうしても京都が良かった」と答える。当時、JR東海のテレビCMで『そうだ、京都行こう』というフレーズが毎日流れていたのが記憶に残っているが、それと同じこと。京都へ行くことに理由なんかないのだ。京都のすべてが僕にとって憧れの場所だった。

 あれは、社会人三年目の春だったと思う。
 僕は、京都の印刷会社に就職した後、営業職をしながら一人暮らしをしていた。京都一の繁華街である四条河原町の近くに部屋を借りていた。
 場所は鴨川と高瀬川に挟まれたところだ。京都らしさにこだわり、いくつも物件を比較して決めた場所だ。鴨川の悠然とした桜と、高瀬川の優美な桜をどちらも眺めながら、四条通りのバス停まで歩いて出勤する毎日は至福だった。
 ある日、部屋でインターネットをしていて、同窓会コミュニティサイトがあるのを知った。小、中、高の学校名を入力して検索すると、意外にも小学校の同窓生が一番多くヒットした。それでも十人くらいだ。懐かしい名前があり、相手にメッセージを送れるボタンもついている。へえ、便利だなと見ていると、思いもかけない名前に出会った。
 沢倉夕姫。
 間違いない。僕が小学生のとき一番好きだった女の子だった。同じクラスだったのは三、四年生のときで、彼女は五年生で隣県に引っ越してしまい、それきり会ってない。つまり最後に会ったのはもう十五年も前のことだ。
 十五年。
 メッセージの入力欄を開くとき、その時間の意味を少し考えた。彼女もいまは社会人になっているだろう。プロフィール欄を見たが、東京都在住の情報以外は何もない。彼女のことを知りたかったが、返事が来るか分からない。
 ただ、僕のことを覚えてくれている期待はあった。子供の頃から奥手だったから、大したうぬぼれだと自分でも笑ってしまう。けれど、あの頃を振り返ると、必ず彼女の顔が浮かんでくる。たぶんそれだけ距離が近かったのだと思う。
 迷ったが、結局いま京都で働いていることと、いま何してるの? という質問だけを送った。たった五行くらいだが、送った後、少しほっとした気持ちになった。
 返信を待ったが、一週間経っても反応はなかった。これはもうサイトにアクセスしてないな……と諦めかけたが、二週間後にメールボックスに新着通知が届いた。送り主は彼女だった。
 急いでサイトを開く。十行以上あったメッセージを読んで驚いた。やっぱり僕のことを覚えていてくれた。彼女は東京の郊外に住んでいて、女子大を出て、幼稚園の先生をしていると書いてある。あと、僕が京都に住んでいることに驚いていた。早速、返信の御礼と、京都は楽しいよとか、幼稚園の先生って大変? など当たり障りのないことを返した。
 正直、返信が来て会いたい気持ちがすごく膨らんだのは隠しようのない事実だ。恋に慣れた人が聞けば笑うかもしれないが、十五年は遠い時空のようで、意外にそうでもないんじゃないかと本気で思った。
 だが、よく考えればいくら会いたいと思っても、彼女に会いに行く理由がないのだ。懐かしいね、じゃあ会おう、なんて普通ならない。逆に、彼女が京都に来るのはさらに現実味がない。お金も時間もかかる。気軽に一人旅をするような性格とも思えない。
 でも、会いたかった。とにかく、会いたかった。
 いまどんな雰囲気なのか、あれからどんな人生を送ったのか話をしてみたい。しかし込み上げる想いは胸だけに留め、返信を待った。
 今度は二日後に返信が来た。再び胸が弾んだが、内容は僕の質問への答えだけだった。まあ、当然と言えばそうだ。けれど、全身から力が抜けるようだった。
 気が向いたらまた連絡してね、とだけ文末に添えて返信した。それで彼女とのメール交換は一旦終わった。

 それから半年後の九月ごろ、僕はいつも通りの生活を送っていた。京都の街は、夏の祇園祭や宇治川の花火も終わり、鴨川の納涼床もピークを過ぎて落ち着いていた。
 京都には年間たくさんの人が訪れるが、一年中何かしら大きな催しがあるわけではない。ただ、京都に長く暮らす人は、一応僕もそうだが、季節折々の京都の楽しみ方を知っていた。観光客は名所が多くて迷うそうだが、京都に住む人はあまり迷わない。相手のことを考えると、どこへ連れて行こうか自然と候補が浮かぶのだ。
 そう思っていた。
 だが、パソコンの前に座る僕は、一件の新着メッセージに頭の中が白くなり、やがて体が芯まで熱くなった。
『京都に遊びに行きたいんだけど、会えないかな?』
 あれからメール交換さえなかった僕にいきなり舞い込んだメッセージ。本当に彼女に会える。ノーという答えはまったくない。
 もちろん! いつ来るの? と書いて、えいっと気合いを込めて送った。
 翌日、返信が来た。彼女からは、二週間後の土日に京都に行くんだけど予定は大丈夫? ホテルは予約してあるよ、でもどこに行こうか考えてないんだ――と、だいぶフランクな感じで返ってきた。
 僕はその場で返信せずに、丸一日考えた。
 学生時代に付き合った女の子と電車や自転車でたくさん名所めぐりをしたので、大体は行ったことがある。仕事中もどこへ連れて行こうか考えて、帰宅してすぐサイトを開いた。そして、土曜の到着時間と日曜の帰り時間をまず訊いた。少しして返信があり、大枠が決まった。会えてうれしいと書き、携帯アドレスを添えて送ったら、すぐに彼女の携帯からメールが送られてきた。
『楽しみにしてる!』
 もう頭が爆発しそうだった。十五年という遠く感じられた時間が、たった二分の間隔になったことで、僕は得体の知れない感動に包まれていた。
 京都においでよ、に理由なんかない。そういうことだったのだ。


 土曜の午後六時。待ち合わせは四条河原町の高島屋前。会社帰りや買い物中の人が多いのは承知の上で、看板が目立つところがいいと思った。僕はそれなりにいい服を着て十五分前から待っていた。
 あの後、携帯メールで、京都は何度目か彼女に聞くと、これが初めてではなく三回目だった。一回目は高校の修学旅行で、二回目は大学生のとき友達数人で遊びに来たという。ちなみに、僕も高校の修学旅行は京都だった。それで少しメールが盛り上がったが、僕は一年生で、彼女は二年生で修学旅行だったから、すれ違ってもいない。それでも良かった。無縁の平行時間に、少しでも共通点があったことがなぜか無性にうれしかった。
 ただ、携帯メールでやたら盛り上がると、いざ会ったときの話題が減ってしまう。ほどほどにして、店の予約などの準備をして当日を待った。
 九月下旬の六時はまだ明るい。デパートの正面ならなおさらだ。それでも僕は彼女の姿を絶対見逃さないように目を皿のようにしていたが、先に見つけてくれたのは彼女のほうだった。
「西森くん?」
 ああ、間違いない、十五年後の沢倉さん――そのイメージ通りだった。ただ、予想よりも背が高かった。僕の背が低いのもあるが、不思議な感じだった。当時は二人とも背が小さかったが、彼女は伸びたみたいだ。
 髪を長くし茶色く染めている以外は雰囲気は全然変わってない。彼女はあの頃から変わらず美人だった。ナチュラルで親しみのある清楚さがあった。
 高島屋の前を歩く人の流れが、そのとき二人を避けて退いたように見えた。それは僕の言い過ぎではない。
「沢倉さん! 元気だった?」
 照れてしまい、普通の言葉しか出ない。きれいだとか、大人っぽくなったとか、そういうのは出ない。けれど、彼女はにっこり微笑み、軽やかに近づいてくる。
「うわぁ、十五年ぶりだね」
 そう言って僕はなぜか手を差し出し、握手を求めた。頭のヒューズが飛んで、馬鹿になっていた。でも、彼女は何の躊躇もなく、その手をきゅっと温かく握ってくれた。しばらく離したくないと一瞬思ったが、そういうわけにもいかない。
「西森くんも変わんないねー。京都にいるなんて、ほんとビックリ!」

 僕は一応お店を予約してるからと言って、二人並んで河原町通りを歩いた。ここは昼も夜も人が多くて肩がぶつかりそうになるので、自然とそばに並んで歩く。この距離もまた京都なのだ。
「ねぇ、まだ漫画とか描いてるの?」
「え? あ、いや、漫画家はとっくに諦めたよ」
 何で彼女はそんなこと覚えてるんだろう。僕が小学生のとき漫画家になりたかったこと、自由帳に漫画を描いてたこと。いまの生活でそんな思い出話をすることなんかない。僕の歴史は一度、地元を出て京都へ来たとき途切れたのだ。京都という新しい世界で、僕の人生は大きく変わったのだ。
 背が伸びたね、と言うと彼女は「そうかな?」と笑った。気にしたのは僕だけか。部活を聞くとバスケをやってたよ、と彼女は答えた。僕も中学校はバスケだった! と、そんなやりとりをするうちに、京料理の居酒屋に着いた。ここはすべて個室である。周囲が騒がしくない店でゆっくり話したかったのだ。
 高くない居酒屋だけど、和服の若い女性が礼儀正しく迎えてくれて、柱や畳の香りの漂う個室に通される。お酒も飲むか聞くと、軽いのを少し、と彼女は答えた。それから、メニューで一際美味しそうに映る色とりどりの京麩の前菜を注文し、他に魚の焼きものや、京野菜の料理や、地鶏の黒胡椒焼きなどを適当に頼み、ふうと一息ついた。
「なんかさぁ、信じられないね」
「うん、そうだね」
 二人して笑った。ビールと梅酒ソーダが届いた。小学校では隣り同士になったこともある。一度バレンタインのチョコをもらったこともある。その二人がお酒を飲んでいるのが不思議で、妙に楽しかった。
 幸い、彼女も話し好きで、僕が話題を振るとたくさん話してくれた。本音を言えば、一番聞きたいのはどうして京都に来たのかという理由だが、それは一旦控えた。お互いの中学、高校、大学時代のことから仕事のことまで、話が過去から現在にたどり着いた頃にはお腹も満腹になり、ビールも三杯目が空いたところだった。
「西森くん、まだ飲む?」
 僕は焼酎のロックに変えた。席を立ち戻ってくると、彼女はメニューに見入っていた。
「沢倉さん、甘いものとか頼む?」
「うん、食べよっかなぁ」
 ここは甘味処並みに美味しいよと言うと、西森くん甘いの好きだもんね、と笑った。本当に長く会ってなかったことが信じられない感じだ。店員が来ると、彼女は生き生きと白玉つきの抹茶アイスを頼んだ。せっかくだから僕もお願いした。
 僕は静かに焼酎を口に含む。強いお酒も体に入り、その流れで本題に入った。
「どうして京都に来ようと思ったの?」
「え? ……あ、うん」
 少し表情が曇る。
「実はね、ずっと付き合ってる男の人がいるんだ。その人、いまの仕事を辞めてお店をはじめようとしてて……」
「……そうなんだ」
「うん。それで、何か、まわりのみんなに心配というか、反対されちゃってさ――」
 それで僕はすべて理解した。どうして僕に返信をくれたのか、急に旅に出たのか。
 つまり、本当に僕に会いに来たのだった。それは内心大きな感動だった。だが、同時に僕の胸のうちに途方もなく善良な人間としての優しさが湧き上がった。
 彼女の雰囲気はちっとも変わらないが、状況は大きく変わった。人生の岐路に立っている。一方で、僕も半分は同じだ。優しくて奥手なのは十五年経ったいまでも何も変わりない。焼酎を口に運ぶ。彼女は困った顔をして、空になった自分のグラスをいじっている。
「……その人に、プロポーズはされたの?」
「ううん、まだ――」
「結婚したいと思ってるの?」
 僕はまるで彼女の親になったような心境だった。すると、彼女は恋しい相手を想い、艶っぽい表情でうなずいた。
「うん」
 それを親身に聞いている僕。そこに、店員が絶品の抹茶アイスを届ける。そして、そこから堰を切ったように、彼女は彼氏のことをいろいろ話しはじめた。のろけではない、真剣な人生相談だった。彼は頑固な性格で、安易に他人に助けを求めないこと、自分もいまの仕事を辞めて手伝わないと手が足りないこと、両親に説明したが将来を心配されたこと、それでも自分が何とかしたいこと――。
 だが、僕はここで何か解決策を言う役目ではない。ただただ、この京都という旅先で、ゆっくり彼女自身がこれからの人生を見つめる時間を、ともに過ごすことだった。
 僕は話しを聞きながら、明日の行き先をぼんやり考えていた。僕は責任をもって、いまの彼女に最高の京都旅行をプレゼントしてあげたい、と心から思った。
 彼女が席を立った間に勘定を済ませると、時間はまだ十時だった。ただ、戻ってきた彼女の顔は少しそわそわしている。そろそろ彼に電話する時間なのだろうか、と感じた。
「じゃあ、出よっか」
「え、お金は?」
「ここはおごり。明日はね、すごく景色のいい露天風呂に行くよ。タオル持ってきてね」
「――うん。西森くん、ほんと、ありがとう」
 ホテルは三条河原町だったので、歩いて送っていき、明日ホテルに迎えに来る時間を伝え、明るく手を振って別れた。


 朝の九時、ホテルの前に着き、「もう着くよ」と携帯メールを送る。十分ほどして彼女が出てきた。やっぱり彼女はきれいだった。心が弾む。こんな美人の同窓生とあと一日デートができるなんて実に贅沢だと思う。僕は胸のわだかまりもなく、むしろすっきり晴れやかな気分だった。
 なぜなら、今日はお互い心置きなく恋人気分を楽しめるのだ。
「電車の景色がすごくいいから、それで行くけど、いいよね?」
「うん、ついてくよ」
 昨日の今日で、くすぐったい言い方だなと思いながら、三条河原町から三条通りを東へ歩き、鴨川にかかる大橋を渡り、三条京阪駅に着く。京阪電車に乗り、終点の出町柳駅へ。そこから地上に出て、叡山電車の始発、出町柳駅に乗り継ぐ。
 叡山電車は国内有数の運賃の高さらしい。でも、僕はそれを『景観料』だと思っている。ここは京都だ。何も問題ない。
 関係者には失礼な言い方になるが、京都地下鉄や、市街地の地下を走る京阪や阪急に乗っても、京都本来の町並みを楽しむことは難しい。大宮から嵐山に向かう路面電車も良いが、やはり都市開発されていない古き町並みを抜け、山間の美しい緑に包まれる叡山電車を、僕は選ぶ。
 鉄骨のペンキがはげ、仏具屋や法律相談所の看板などが並ぶレトロな出町柳の駅舎に入り、彼女もいよいよ旅に来たと興味津々で眺めている。停まっていた電車に入ると運良く珍しい車両だった。シートが窓に向いていて、しかもカップル席みたいになっているのだ。
「えっ?! なにこれ?」
 目を丸くして楽しそうに笑う。
「ああ、こういう車両もあるんだよ。ここでいいよね?」
 僕は躊躇いなくカップル席に座り、彼女を横に座らせた。肩が触れ合う近さ。上着は長袖のカーディガンだが、下はミニスカートだった。肩を抱くのは反則だが、この距離で話すくらいは罪でもないだろう。
 そして電車が走り出す。叡山電車の沿線は、本当に近代的な巨大建造物が見当たらない。それは建築規制があるからと言うが、僕はここが『ちょうどよい不便さ』だからだとも思う。東京は上に下に空間を増やしたが、京都は生産力も少ない代わりに消費量も最小限で、ただそれが『積み重なった歴史』と言われるだけのこと。朽ちないもの、それが遺産の正体なのだ。
 外向きの座席に男女二人が並び、世界に誇る観光地とは思えない、ひなびた町並みを抜け、変わり映えのない寂しげな駅をいくつも通り過ぎていく。やがて京都精華大のキャンパスがあり、それを超えると完全に人工物は消え、青い山の中に入っていく。
 窓を開ければ手で触れそうな緑。いや、実際にカーブで速度が落ちると、洗車みたいに窓ガラスを青葉がこするので、隣りで彼女が楽しげに目を輝かせている。人と人がこんなに近く、物質と自然がこんなに近い場所。僕が知る、美しさの本性。

 下りた駅は、鞍馬駅だった。駅を出てすぐに鞍馬神社の大きな山門が立っている。さすがに娯楽の場所ではないから、まわりの年齢層は高めだ。けれど、京都は学生が多いからかもしれないが、こんな渋いところでも若さや活気がちゃんとある。
「お参りしよう」
「うん」
 他の言葉は要らない。山門をくぐると頭上に森が迫り、急に薄暗くなる。そこからひたすら参道を登る。途中に何があるのか、それは年をとってからまた知ればいい。賽銭箱があればとりあえず小銭を入れておく。悪いことはない。
 暗く湿った参道を進む間に、彼女とまた会話を続けた。大怪我をしそうになったこと、大学時代に付き合った人のこと、最初はOLだったこと、体を壊して仕事を変わったこと、彼と出会ったきっかけ――森を抜けて境内に着くまでに、何度か木のベンチなどで休憩しながら、彼女の人生を聞いて、その度に優しくうなずいた。
 本殿の境内に着いて、よくぞ山中に作ったと思うほど広く美しい砂利の上を歩く。境内には京都市街を一望できるところがあり、その素晴らしさを横目に見ながらも、先に参拝をする。
 参道の小さな社では手短に拝んだ僕たちも、風格が厳然と違う本殿には心を落ち着かせて向き合った。二人並んで賽銭をし、手を合わせる。
 おそらく――願いごとは同じだ。立場は違うが、同じだと思う。彼女は瞳を閉じ、少し長くお願いをしていた。僕はそれに合わせ、彼女の瞳が再び開くのをそっと待った。  彼女が顔を上げる。少し登り疲れた色が見えたが、穏やかで美しかった。
「しっかりお願いした?」
「――うん、お願いしたよ」
 この可憐で誠実な女性を、ぜひ幸せにする男と結んでやってほしい。

 帰りはレトロなケーブルカーで参道を下り、山門の外の茶屋で釜飯とうどんを食べた。釜飯のふたを開け、湯気にはしゃぐ彼女。それを見る僕。食事の後は、くらま温泉の送迎の小型バスに乗った。
 男女別なので、集合時間を決める。秋空は青く突き抜け、目の前に成熟した雄大なる万緑の山が眺められる最高の露天風呂。
 僕は少し早く上がり、風呂場の前のベンチで待つ。彼女もほほを赤らめ出てきた。
「すっごい景色だね! なんか感動しちゃった……」
 同感だが、それより僕は、初恋の人の湯上り姿を見ることがあるなんて夢にも思わなかった。さっき本殿で彼女のために祈ったんだ。頼む、山の神様、これを罪だと言わないでほしい。

 その後は、叡山電車に乗り、市バスに乗り継いで、彼女を京都駅まで送り届けた。
 半年後、僕は彼女からのメールで入籍を知り、その一年後、出産を知った。
 思えば以前、自分の両親が京都に来たときも、鞍馬神社と温泉に連れて行ったのだ。その後、すぐに地元の兄夫婦に初めての子供が生まれ、僕の両親に待望の初孫ができた。両親は鞍馬神社へ行ったから初孫ができた、と何度も言っていた。
 不思議な言い方だけれど、それが日本らしさなのかな、と思う。鞍馬神社は安産の神様ではないかもしれないが、確かに神様はいたということだ。僕は何をしたわけではない、最高の幸せを届けたのは神様の力だ。そこでお祈りした願いが叶っただけのこと。
 僕はただ、そこへ案内しただけ。
 人生の節目に、そして誰かのために祈りに来るところ、それが京都なのだと思う。
 あらためて僕はそう思い、それを誰かに伝えたいと思っている。


(おわり)




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