Scott Walker: Brother beyond  -Part 1-/
Simon Hattestone /The Guardian Friday 23 November 2012
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このすばらしい20世紀のクルーナー、スコット・ウォーカーに一体何が起こったのだろうか?いや全く。姿をくらましたり、何度も挫折を繰り返しながら、21世紀の偉大なアバンギャルドな作曲家として戻ってきたのだ。

今日、David Bowie, Nick Cave, Jarvis Cocker, Brian Eno, Julian Copeなど、スコット・ウォーカーを褒め称える時代の偉大な先達者たちの顔ぶれが並ぶ。しかし60年代の昔、彼の音楽はロマンス物であり複雑なものではなかった。彼の深みのあるビロードのようなバリトンは彼の青春を間違って伝えていた。

 Walker Brothersのリードシンガーとして、’The Sun Ain’t Gonna Shine Anymore’, ‘My ship Is Comin’In’そして’No Regrets’などのメランコリーな数多くのヒット曲を出した。誰もまさにスコット・ウォーカーのように、胸が張り裂けんばかりの恋を歌える者はいなかった.

いつもWalker Brothersには一見したよりはもっと意義があった・・・彼らはWalkerでもなかったし兄弟でもなかった。目を楽しませることを強調してはいたが、彼らの音楽は驚くべき深えんと明確な理論付けがなされていた。60年代半ばであってもWalkerは、’Archangel’のような将来を暗示する忘れ難い曲を書いている。
Walker
Noel Scott Engelとして、1943年オハイオで誕生した。ベースギターのセッションマンになる前に、しばらくカリフォルニアのカレッジで美術を勉強した。そして、The Walker Brothersに加わった。現在のScott Walker22歳の時、彼とバンドの’Make it Easy On Yourself’が初めて英国でNO1ヒットになった。次の3年間は、特に英国で彼らは超人気者になった。以来彼はほとんどを英国で過ごしている。

 カリフォルニアの波に乗ってサーフィンをしていたはずであったろう、若いハンサムなWalker は彼自身を苦悶の牢獄に閉じ込めてしまった。1960年代の偉大なミュージシャンの多くがそうであったように、鬱に苦しみ、大量に酒を飲みドラッグを過剰に摂取して、そして行方不明になった。

彼はめったにマスコミに話をしない。それをする時は、目深に帽子を被り、時にはそのうえサングラスもかけている。バーミンガムのキャバレーで、音程が狂ったトランペットに立腹してから、以来34年間ライブをやっていない。彼には人を寄せ付けないといううわさがあった。
ここ50年間で彼が行ったいくつかのインタビューでは、彼は陰気で口数が少ないという印象を受ける。

彼はウェスト・ロンドンの彼のマネージャー宅に時間通りにやって来た。帽子を被って部屋に入って来た。彼は来年70歳になるが、最近自転車事故で前歯を強打した、その彼は若々しい。そして驚くほどの力強い握手だ。彼の話す声は深みのあるとろけるような心地の良い、あの往年の歌声そのものだ。

有名になる事は彼にとって手に負えないことだったのだろうか?「ああ、そうだ。だが今はもう大丈夫だ。それがどんなものかはそうなってみなければわからないよ。非常な重圧だった。Walker Brothersのための曲の全部を考えて、曲を見つけて一緒にセッションをしていた。だれもが私に頼っていたから私には手におえなくなった。すべてに苛立っていた。」

 Walker Brothersを解散後彼はソロになって、その多くはJaques Brel によるものだが、素晴らしい不安げな曲を歌い、一連のアルバムで素晴らしい成功を収めた:Scott,Scott2そしてScott3だ。曲はそれまでほど全く簡単なものでも、みずみずしいものではなかった。不協和音の暗示が入り込んでいる。歌詞は不安定な短編のストーリーを作り上げ、繊細なオーケストラを背景にしてさらにぞくっとさせるのだ。人々は彼の4枚目のアルバムを異様過ぎると拒絶したので、チャートに入ることはなかった。それは今日では最高水準のアルバムとしてみなされているが。その時がWalker が成功をめちゃくちゃに壊した時だった。

 彼は酔いつぶれて世間から忘れ去られ、世間から身を隠し、自殺も考えた。「私は若いとき激しい性格だったからね」と彼は言った。それは素晴らしいWalker の控えめな言い方だ。公平に言えば、あなたは現在強烈ではないとはほとんど言えないですよ。彼の目を見ることはできないが、少年っぽい微笑みは見えます、と言った。彼はとてもたくさん微笑んで笑った。Walker に会った事は素晴らしい驚きのひとつだ。「う〜ん、高強度の強烈さだったってことさ。」
今でも音楽を作っていることは彼にとって驚きだろうか?
「もちろん。生きてるのにだって驚きだよ。フフフ!」

 Walker サウンドがいかに健康的かは驚くべきことだ。たいていの人はあなたが気が狂っているって思ってますよと私は言った。彼は頷いた。「私は一時的に気が狂っていたと思うよ。なぜならその時期を全然覚えていないのだからね。ほとんど思い出すことができない。その時期はどの位の期間続いたのですか?「おそらく1969年から75年までだ。」おもしろい事に、その間中あなたは最もコマーシャルなレコードを作り始めているんですよねぇ。ショーチューンだったり、映画音楽、短命だったテレビショーからの曲とか。
全くと彼は言った。すべてはScott4がチャートインしなかった後から始まった。「レコード会社は私を呼びつけて叱ったよ。もっと我々のためにコマーシャルなレコードを作ってくれねば困るとね。」それで彼はそうした。そしてもう一枚、もう一枚と・・・。「私はその間何年も悪い忠実に従っていた。」どうしてですか?「すがり付こうとしていたんだな。止めるべきだったんだ。こう言うべきだったんだ。『わかった、もうよそう。』と言って立ち去るべきだった。しかし私は思った。がんばっていれば・・・、この嫌なひどいレコードを作っていればってね・・・」

 沢山の人がそれらのレコードを好きですよ、と私は言った。

「それは知っているよ。」彼はきまりが悪そうな顔をした。それがアルバム自体に対してか、彼らに対して我慢がならないためなのかはわからなかったが。近頃では、彼のファンの多くが、それらのアルバムを再度聴いて、それらの中に暗闇があるのに気がついていますよ、と私は彼に言った。彼は大声で楽しそうに笑った。「そうだな、私の作ったものにはすべて暗闇があるよ。だが間違った忠実に従い行動していた。ずっとこれをがんばっていれば、いつか転機がやって来るって思っていた。でも来やしなかったよ。80年代になり’Hunter’のレコードを作るまでは、さらに状況は悪くなるばかりだった。」Walker はさらにもう10年を彼の失われた週末パーティにつけ加えた。それは再結成されたWalker Brothersがカバーの’No Regretsをヒットさせ、実験的な電子音楽のアルバム’Nite Flights’を出した期間も含まれている。’Nite Flights’ 6年後’Climate Of Huinter’が出された。うわさによれば、Virgin Recordsが始まって以来の売れ行きの悪いアルバムだということだが。そうして初めて我々は再改造されたアバンギャルドなスコット・ウォーカーに会ったのだ。 

“Climate Of Hunter”の後、もう10年が世間的には失われていた。1995年に戻ってきた時、彼は完全に一人前のモダニストの作曲家になっていた。表面的には、他のありそうもない変貌はあり得なかったであろう。Andy Williams[Karlheinz]Stockhausenに作り変えられる図を想像したまえ。しかしながらそれはある意味首尾一貫したことでもあった。

彼の最新のアルバム、’Bish Bosch’17年の間に出した3枚目のアルバムなのだ。すべてが綿密に作られていて、壮大で近寄りがたい。ラムホーンが吠え、犬の吠える声、刀やなたを擦り合わせる音のする、ある種終末的なオペラのようである。

音楽はグレゴリアン賛美歌とも別れ、Shostakovich色も脱ぎ捨て、インダストリアル・メタルを容認している。そして比類なきスコット・ウォーカーなのだ。歌詞は性病、褐色矮星、お抱え道化師、独裁者などに言及しており、それらはあたかもWalker の睾丸が押し潰されているかのような、押し殺されたバリトンで歌われる。あるところではジャコビアン時代の悲劇からそのまま出てきたような残虐性(”I’ve severed my reeking gonads, fed them to your shrunken face”俺の悪臭のする生殖腺を切り取って、お前の萎縮した顔にくれてやる)ある反面、時々彼の詩には物凄くひどい美(“Earth’s hoary/fontanelle/weeps softly/for a/thumb thrust”地球の物寂しい神々しさよ/ 泉門は/優しく泣く/親指で突かれて)が存在する。見事であり気が狂ってもいる
。心にやましい楽しみと背中合わせのもの。それは罪に対する拷問。


それは一体どこからやってくるのか尋ねた。彼は良くわからないと言った。そしてわかっていても言わないよと言った。なぜなら他の人たちの方が、彼より作品をより良く解釈していると思うからだそうだ。だがタイトルについて説明した。「Bish Boschについて考え始めた。整理されたとか仕事は終わったと言う意味だ。Bish Boschとは俗語でbitchと言う意味なんだ。多くの人が「これは私の嘆き」だと言っているの聞いてると思うよ。もちろんそのアーティストの理由でBoschを使っている。それでそうだ、これは宇宙的な女性アーティストのイメージだと思ったんだ。」Bish Boschの意味が何についてであろうと、ヒエロニムス・ボッシュ/Hieronymus Boschが当てはまるインスピレーションであると思われる。それは希望とユーモアを小さなポケットに入れた、地上の地獄のビジョンであるからだ。
これがあのスコット・ウォーカー、フランキー・ハワード・ショーで歌い、BBCが次代のジャック・ジョーンズになるであろうと、ソロのテレビ番組を持たせ、彼のバージョン’First Love Never Dies’が、ラジオ1のあの感傷的な番組のMike Readのテーマ音楽であった、あのスコット・ウォーカーと同じ人物だとは信じ難いものがある。神経にひどく悩まされた。それでこうも長くライブをやっていないのだろうか?ある部分ではそうだ。「最初は恐怖からだったが、いろいろなことが合わさったものだ。当時は音がとても悪くて、わたしはステージで続けることに耐えられなかった。今では、もちろん素晴らしく良い機材がそろっていて、スタジオでやっているみたいだがね。」 すばらしいと私は言った。ではすぐあなたのライブ演奏がまた観られると思っていいですか?彼は大きく息を吸い込んだ。「何が起こるかというとね、レコードの曲を書くときに座るといつも、その前提を考えて始めるんだ。それを演奏しようということ。しかしそれから私のイマジネーションは時間超過で働き過ぎになってしまい、気がつくと何千もの出演者が出てきてしまい、とうてい賃金を払えなくなってしまうんだ。

しかしあなたは常日頃お金には興味がないと言っていますよね。

「ええ、ないですよ。だがプロモーターがそうでしょう。彼らは損をしてしまう。到底できないことなんだ。」

あなたの言っている事は少し信じ難いと私は言った。生きたらくだや犬やひっぱたかれる死んだ豚と一緒に、これらの叙事詩的なレコードを製作することは、ツアーから逃げる方法だと思いますよ。彼は微笑んだ。「それは興味深い理論だ。多分君が正しい。ああ!そんなふうに考えたことはなかったよ。」彼のスタジオでの厳しい長であるということは有名だ。2006年のThe Driftのレコーディングシーンがあって、パーカショニストに正しくやれるまで、何度も何度もポークの厚切り肉にパンチをさせた。’Bish Bosch’ではラム・ホーン奏者に厳しくやらせたと言った。「起用した人は、クラッシクのすばらしいホーン奏者のひとりだった。彼はその夜ブラームスを演奏せねばならなかったが、我々は彼の唇を傷つけてしまったよ。」

今日では、安らいだ気分で過ごしていると彼は言う。彼には長年のパートナーがいて、彼はおじいさんでもある(孫娘は母親とデンマークに住んでいる)し、多くの友人もいる。そして彼がやりたいと思っている音楽を作っているのだ。彼の音楽には正気と狂気の間に逆の相関関係があると私は彼に言った。レコードが変わったものになればなるほど、彼はバランスが取れてくる。彼は笑ってその理論を気に入ってくれた。音楽は狂気をあなたから吸い取ってくれるのですか?つまり音楽が全く壊れてしまっている時にだけ、あなたは満たされているのですか?「私の曲を聴いてくれる。私はその時正気なんだ。そう願っているよ。」

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は言った。                。