今回私がドライバーを頼んだMr.ラウ。彼は非常によくやってくれた。
初めはあまり信用していなかったが彼の誠実な対応、私の意図を何とか理解しようと
一生懸命なのがよく伝わってきた。コミニュケーションは英語とクメール語と
わずかな日本語とゼスチャーであった。シェムリアップでは彼のおかげで非常に
効率よく遺跡めぐりが出来たし、私が見たかった農村風景も見させてくれた。
彼のもとに私が戻ったとき、彼はいつも手を振って笑顔で「おかえり」と言ってくれた。
私の急な予定変更やわがままにも快く答えてくれた。それに疲れた様子を見て取ると水を
おごってくれた。(この国は水は飲めないのでミネラルウォーターを買わねばならない)
遺跡以外に農村を案内してもらったときの事だが、ワットからの帰り道でかなり高く茂った
草の間に一本のあぜ道があった。
バイタクのMr.ラウに聞いた所、この先に農家があるとの事。早速入ってみることにする。
さすがに地雷が怖かったので思わずDanger Maines OK?と聞いてみた。
彼はニコニコしながら「大丈夫。行って。行って。」と手振りをする。
ほんとに?ともう一度振り返る。
彼は相変わらずニコニコしている。恐る恐るあぜ道を進む。
ビクビクしながら歩いていき、茂った草を抜けると急に視界が広くなった。
オォこれはいい景色だ。と左を見ると向こうで子供たちが2人遊んでいる。
そして右を見た瞬間、背筋が凍りついた。!!
赤札が。。てめえ!大丈夫って言ったやんか!
と一瞬ぶち切れそうになりながらももはやそれどころではなかった。
おもむろに彼は私の前を歩き出し左側へ向かった。彼は平気で歩いている。
彼についてゆき先にある農家のところで止まる。
彼は「こちら側は大丈夫。」と言ってるが ほんとか? ともはや恐怖で頭はいっぱいだった。彼は農家の人と話をしてなんと写真の撮影許可をもらってくれた。
人も住んでるし、子供も遊んでる。立て札もちゃんと機能してるようだ。
彼はもちろん嘘をつかなかったしちゃんと案内してくれた。
さっきまでの恐怖はどこへやらで色々撮らせてもらった。
さっき見かけた子供たちも寄ってきた。疑ってしまって申し訳なくなる。
そんな調子で彼は色々な農家を案内してくれてその度、撮影許可をもらってくれた。
どの農村の人達もみんな素朴でいい人達ばかりだった。子供達も照れて奥にひっこんでしまったり、嬉しそうにカメラの前でポーズをとったり。
とある農家で写真を撮り終わり、帰ろうとすると何やらMr.ラウが農家の人と話をしている。
どうやら彼はバナナを買わされたようだ。申し訳ないので半分出すことにする。
しかし、どこの国でも母親はちゃっかりしてるなぁ。と思いつつ、農家を後にする。
帰りに通った道を彼は「これはジャパンロードです。」と教えてくれた。
以前テレビの企画で放送してたようだが知ってはいたが私は見ていなかった。
今回の遺跡や農村めぐりについてはほんとに彼には感謝しなければならない。
色々世話をしてくれたのはもちろんの事、やはり地雷に関してはガイドありでもあまりにも
危険なのだ。それでも彼は私の意図を汲み、色々案内してくれた。
彼のおかげで地雷を踏まずに済んだ。
シェムリアップ最終日にはなんと彼は私にクロマーをプレゼントしてくれた。
結局シェムリアップではずっと彼にガイド兼ドライバーをお願いした。
彼を機にこれから私はこの国のさまざまな地で数々の微笑みと出会うことになる。
各遺跡めぐりをしていると必ず出くわす物売りと物乞い。彼らはほとんどが少年少女で
大人の手伝いをしているようだった。物乞いは遺跡近辺では大人が多かった。
彼らに付きまとわれることも多かったが事前に得ていた情報よりは全然おとなしくしつこくも
無かった。おかげで効率よく見学が出来た。
まれに遺跡の中で物売りでもなく物乞いでもない子供たちがいた。
とある遺跡で遊んでいた子供たちに私が手を振って近寄ると、彼らも近寄ってきた。
色々身振り手振り、指差し会話帳などでコミニュケーションを図る。
何とか仲良くなり、写真を撮らせてもらい、一緒にジュースを飲んだりした。
ほんとに彼らはみんないい笑顔をしてくれた。
名残惜しかったがそろそろ次の遺跡に行くので
彼らに別れを告げた。別れ際に一人の少年が私の左手を掴んだ。
何かと思いきや、少年は自分がしていた腕輪をはずし私の左手につけてくれた。
これを私にくれるの?と聞いてみると、微笑みながらその少年はうなずいた。
嬉しくてその子を思わず抱きしめてオークン(ありがとう)といった。
さらにその少年はもう一つ飾り物をくれた。うれしくて涙が出そうだった。
バイタクの待つところまで何度も振り返って何度も手を振った。
ありがとう、さようなら!と心の中で叫んだ。
そしてその腕輪はこの旅の間、外す事は無く、日本に帰るまで旅の友となった。
他の遺跡でも同じようにいたるところに子供たちが居た。
物売りに物乞い、単に遺跡で遊んでいる子供。
物売り以外の子供の大半は「1ドル下さい。」と言う。
こちらがNo!と言うとほとんどの子はそれ以上は言ってこなかった。
そんな中、カバンを持っている一人の女の子が居た。
学校にでも行っていたような雰囲気だ。
遺跡の写真を撮っていると気を使ってくれて邪魔にならないように場所を空けてくれた。
写真を撮り終ってオークンと言うとニコッと笑った。
思わずカメラを向けると照れくさそうにしていたが撮らせてくれた。
デジタルカメラと思ったのか私の方に近寄ってきてカメラを見せてと言ってるようだが
残念ながらデジタルカメラではないので見せてあげれなかった。
しかし、何か違和感があった。
何度か話かけてみても彼女の声が聞こえない。口は動いているが声になっていない。
アーとかウーといったうめき声のようだった。すぐに私は理解した。
要するに口が利けないのだった。身振り手振りのゼスチャーでコミニュケーションを図る。
何故かよく笑う子だった。その子との別れ際に彼女が花の絵を書いてくれた。
くれるの?とゼスチャーで聞く。その子もまた微笑みながらうなずいた。
またまた感激した私は思わず抱きしめそうになったが、
相手は女の子だったのでそれはやめた。
逮捕される?いやそれよりも嫌がるかも。日本的な考えだった。
代わりに握手をしてもらい、手を振って分かれた。
旅の友がまた一つ加わった。
こんなことが何箇所かであって次々と旅の友は増えていった。
みんな私の宝物になった。遺跡以外に街中や農村などで色々な人に出会った。
印象はとにかくみんなよく笑っていた。
スラム街でもごみ山でもあまり悲壮感も無く子供たちは特によく笑ってくれた。
現実は辛く悲しいものだったのだろうけど。
遺跡で見かけた何世紀も前に作られたクメールの微笑みもすばらしかったが私が現地の人からもらった色々な生きたクメールの微笑みはそれ以上にすばらしいものだった。
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