1999年12月31日 カイロ

 

 

朝、警備兵がラクダに乗って、それぞれの配置へ向かう

 

カイロ空港にAM4時に着く予定だったが、飛行機はカイロの真上で旋回。

視界不良のため("smoke"と放送があった)キプロスまで飛んで機中で待機。

7時間遅れで昼前にカイロに到着。

 

両替。1E£(エジプトポンド)は約30円。

 

記念すべき2000年をエジプトでリッチに迎えるに当たって、

ナイル川沿いの5つ星ホテルHelnan Shephardの“Nile Side”にチェックイン。

180US$。高い!

 

13時より観光を開始。

博物館にてツタンカーメンの黄金像を人だかりのなか見る。

すぐに閉館の準備で追い出される。

 

次にタクシーに乗ってギザのピラミッドへ行った。

15時に着いたが、本日は終りということで入場できなかった。

 

1月6日まではラマダン(断食月:太陰暦による)で

そのためにすべての施設が早く終わるということを知った。

 

しかたなくカイロに戻る。

喉が痛くなってきた。

空気は乾燥し、砂埃と排ガスで汚れている。

エジプト人はそこら中に痰を吐きまくっている。

道路は汚い。

 

予定ではギザ、サッカラの観光は余裕で終わっているはずだったが、

飛行機の大幅な遅れとラマダンのおかげでことごとくダメになった。

 

ホテルでステラビアを飲みながら、ウエイトレスにアラブ語を教えてもらう。

ありがとう=シュクラン

はい=アイワ、いいえ=ラ

こんにちは=アッサラームアレイコム

さようなら=マアッサラーマ

 

アラブ語の文字は右から左に書く。

ステラビア

 

眠くなって8時に就寝。

夜中に外が騒がしくなって目が覚める。

ナイルに花火が上がっているのが部屋から見えた。

車がクラクションを鳴らしまくる。

フルーカが数艇ナイルに出ている。

2000年を迎えたのだ。

 

2000年1月1日 ギザ

霧雨の中、8時にギザのピラミッドに到着。

クフ王のピラミッドはとてつもなくでかい。

人が少なく荘厳な雰囲気だ。

大きさがおわかりでしょうか?

 

ほどなく団体客がバスで大量に現れ始めた。

既にクフ王のピラミッドの中に入る券は売り切れだったので諦める。

 

スフィンクスもけっこう大きいがピラミッドが大きすぎるため感動が小さい。

後頭部はおかっぱだ

 

カイロに戻って Egypt Air に航空券を買いに行った。

日本の銀行のように番号札を取るようになっているので混雑はしないが

たらたら仕事をしているため発券まで30分以上かかった。

 

1月2日アスワン

飛行機に乗る。

窓からの風景はえんえん砂漠だ。地平線は煙って見えない。

アスワンに近づくと人工湖ナセル湖が見えてきた。

砂の中にある湖で水辺に緑は見えない。異様な風景だ。

 

ルクソールを経由してアスワンに到着。

日差しが強い。

空は青く澄んでいる。

 

街に出ると明らかに人種がかわったのがわかった。

縮れ毛のヌビア人。

 

スーク近くのクレオパトラホテルにチェックイン。

「切りかけのオベリスク」を見に行く。

観光客は僕以外に白人のカップルしかおらず寂れていた。

 

帰りのタクシーを捜していると、車に乗った男が

「街まで2£(60円)でどう?」と言うので乗る。

街に着くと彼は

「お金は要らないから、そのボールペンをくれ」

と言うので胸ポケットにさしている4色ペンをあげた。

 

ナイルのフローティングレストランで夕焼けを見ながらディナー。

シシカバブにする。

ナイルの夕焼け

 

夜はホテルのバーでエジプト産の赤ワインを飲む。

ヌビア人のバーテンはムスリムなので酒を飲まない。

 

ガイドブックに載っているターメイヤをまだ食べてない、僕が言うと

ホテルの若いウエイターがスークまで連れていってくれた。

ターメイヤは豆の粉を油で揚げた物だ。1£分(30円)で腹が膨れた。

 

1月3日アブシンベル

8:30に空港に行き、搭乗券の係員に

9:50発のアブシンベル行きのバウチャーを見せたところ

ウェイティングリストなので9:30まで待てと言われた。

よく見るとバウチャーに“RQ”(キャンセル待ち)と書いてあった。

カイロでバウチャーを買った時、まったく注意していなかった。

 

日本人をはじめとして各国の団体客がフロアに大勢待っていて

飛行機は満員の様相だ。

 

さっきの係員にはりつき、僕が待っていることを意識させ

4色ボールペンを賄賂として渡す。

9:30頃オッサンは何も言わずプイッとチケットをよこした。

 

自由席なので小さな飛行機だと思いこんでいたが

6列もある大きな飛行機。しかし満席だった。

 

アブシンベル空港で神殿行きの無料バスに乗って

神殿近くのネフェルタリホテルにチェックイン。

プールサイドの最高の部屋だ。

プールの向こうにはナセル湖が広がっている。

湖の向こうは見えないが、スーダンらしい。

 

神殿を見に行ったあとホテルに戻り洗濯をする。

天気が良いのですぐ乾く。

 

ナセル湖を見ながらプールサイドで缶ビールを飲む。

鳥のさえずりが心地よい。

のどかだ。

しかし、何もすることがない。

ホテルの周りには何もなくタクシーもいない。

また神殿に行くしかない。

空が青い

 

15時、神殿には誰もいなくなった。

門番もいない。

飛行機が到着すると観光客が大勢来るが

客は神殿に2時間滞在した後

また飛行機に乗って日帰りでアスワンに帰る。

飛行機は昼12時着が最終でその後は誰も来ない。

 

アブシンベル神殿前のベンチに寝ころび青い空を見上げる。

雲はひとつもない。

湖水がタプッ、タプッと鳴る。

巨大なラムセス像の上に鳥が住んでいて

その鳥が飛ぶ時、ゆったりとした羽の音が聞こえる。

静かだ。

誰もいない。

夕暮れまでそこで過ごす。

 

1月4日 ルクソール東岸

夜明けの神殿を見に行ったあと

8時に1日1回だけホテルに無料バスが来るというので、

それに乗り込み空港へ行く。

 

ルクソール東岸のトゥトゥテルにチェックイン。

クリスティのナイル殺人事件で有名なカルナック神殿を見に行く。

 

1月5日ルクソール西岸

朝6時に起きてフロントの人に船着き場はどこかと尋ねたら、

まだ早いので食べてから行けと言われ、ホテルのレストランで朝食をいただく。

 

早起きしたのはネフェルタリの墓のチケットを手に入れるためである。

最も美しいと言われるネフェルタリの墓のチケットは

1日に150人分しか発行しないという情報があった。

ガイドブックにも手に入れにくいと書いてある。

(本当かどうかはさだかではない)

クフ王のピラミッドの中に入れなかった経験もあり

ぜひ手に入れたかった。

 

6:30 西岸行きの船(往復2£)に乗り込んだ。

船は早朝から営業していたようで僕は朝食の30分を悔やんでいた。

東岸の船着き場で客を待っていたオッサンがいっしょに船に乗り込んできて

「俺の車で5時間/30$で案内したるでー」とセールスしてきた。

「ネフェルタリのチケットを手に入れてくれたら、アンタの言い値でいいぜ」

と言うとオッサンは俄然やる気を出して

船が西岸に着くと僕を車に乗せ、メムノン像を通過し

2−3km先にあるチケット売場まで車を猛スピードでぶっ飛ばした。

 

7時にチケット売場に着いて

オッサンは窓口の人に何やら数£の賄賂を渡し

ネフェルタリのチケットをゲットした。

そのことによりオッサンと契約することとなった。

 

まず王家の谷に行く。

12£(360円)のチケットで3つの墓を選んで見る。

墓の天井には青バックに白のヒトデのような模様が無数にある。

最初は何なのかわからなかったが、団体客のガイドの説明によると

空の星を描いてあるのだと言われて納得した。

12£のチケットでセンネフェルの墓など貴族の墓を経て

同じく12£のチケットで王妃の谷へ。

ネフェルタリの墓はここにある。

 

ネフェルタリは極彩色の墓だ。

100£(3000円)も払ったのに10分の時間制限がある。

高すぎるが、確かにここは別格だ。

中の監視人が手を叩いて早く出ろと言うが20分ぐらい粘った。

あとから飛行機で隣り合わせたガイドに聞いたところ

団体客はクフ王のピラミッドの中には行かせるが

ネフェルタリには行かないとのこと。

団体ではチケットが約束できないからだそうだ。

 

ひととおり見学が終りオッサンに30$支払ったが

オッサンは30$では納得いかないらしく

更なるバグシーシ(チップ)を要求してきた。

確かにオッサンの4時間とネフェルタリの10分が

同じ値段というのは納得いかないだろうが

ならばこちらも5時間の約束を4時間で終わったのだから

20%引きにして金を返せと主張。

このオッサンはかなりしぶとかったが、こちらは一切チップを払う気はない。

「しかたない、ボールペンをくれ」

というのでペンで終わりにする。

 

毎日、誰も彼もがめざとく胸ポケットのペンを見つけて

「そのペン(BEN)をくれ」と言う。

 

ルクソール西岸はお金がかかる。

今日の観光だけで合計1万円近くかかった。

 

ナイルの渡し舟

 

東岸に戻って、ホテルの南を散歩しているとクラブメッドを見つけた。

エジプト料理にも飽きたので、ここの食べ放題、飲み放題ランチにする。

(エジプト料理は、はっきり言ってマズイです)

スタッフからいきなり「ボンジュール」と挨拶され戸惑った。

「クラブメッド・ルクソール」は白人の金持ちの世界だ。

 

61£(1800円)で夥しい種類のサラダ、料理、フルーツ、ケーキが食べられる。

飲みたかったサッカラビア、ワインもフリー

元を取るためにがんばって食べる。

腹一杯になってナイルが見える美しいプールサイドで休憩。

 

夕方、街を歩いていると、

ラマダンの終わりを待つ人々が

テーブルやゴザの上で並んで

食事を睨み付けている風景が見られた。

(太陽が出ている間は、水さえも口にしてはならないらしい)

 

1月6日 カイロ

 

9:45発カイロ行きの飛行機が遅れて11時頃になると言う。

空港のトイレには必ずバグシーシ野郎がいて、

手を洗った後にトイレットペーパーを差し出して

バグシーシを要求するが無視。

空港の清掃人のアルバイトだ。

 

12:30カイロに着いた。

今日はカイロ動物園に行こうと思っていた。

 

タクシーに乗る。

中心街に向かう道路は大渋滞だった。

途中、反対車線の事故現場に遭遇。

追突のため車2台が大破していて、道路に男が倒れたまま動かない。

こちら側の車線は事故見渋滞だった。

車を止めて見ている奴もいる。

もともと荒い運転の上

ラマダンでいらいらしているから事故が起こる可能性は高い。

今乗っているタクシーにもそのリスクはある。

 

カイロハーンホテルにチェックインできたのは15時となり

動物園に行く予定がだめになった。

しかたなくハンハリーリ・スーク(市場)に行く。

凄い人の波にもまれて腹が減った。

ハンハリーリ・スーク

 

酒のない北京飯店でさえない中華を食べて

その後、ホテル近辺を1時間近く歩いてBARを捜したが全くない。

いろんな人に聞きまくったが、BARなんてないと言う。

 

バーゲンなのか多くの女性が街に出ていて服を買っていた。

人が多い上に露店が歩道に出ていて歩きにくい。

 

信号はあるがほとんど関係ない。

車が走っていてもおかまいなしに人々が道を横切る。

車がクラクションを鳴らしまくりブレーキをかける。

事故が起こって口喧嘩している。

渋滞になって排気ガスが増加する。

カイロは喧噪と砂埃と排気ガスとで不快な街だ。

カイロ市長に言う。

市民に信号を守らせろ、歩道橋を造れ、

露店を取り締まれ、タクシーをメータ制にせよ。

 

酒なしで入眠したが

夜中、バクチク、クラクション、大音響の音楽で目が覚める。

時計を見ると2時だった。

 

1月7日

タクシーで国際空港へ向かう。

運転手によると昨夜はラマダン明けの祭りだったらしい。

ラマダン明けには服を新調するため

大勢の人々が街へ繰り出して買い物をしていたそうだ。

 

飛行機に乗る。

エジプト人はシートベルトのサインが出ていてもお構いなしに歩き回る。

着陸態勢になってもシートベルトをしない。

ドバイに着陸した時、拍手がわき起こり

ほとんどのエジプト人が降りた。

家族連れが多い。出稼ぎのようだ。

飛行機の席はガラガラになった。

(おわり)

   

無断でリンク

「ピラミッド登頂マニュアル」

http://www.tt.rim.or.jp/~poly/adventure6.htm

http://www5.freeweb.ne.jp/travel/sintuwa/egypt/20000818.html

 

あるガイドブックのエッセイより(著者不明)

Chaotic Egypt

 

あっさりとしてクセがなく、まるでアメリカ産のようなステラビアで

乾いた喉を湿らせながら、僕はホテルのテラスから

夜明けのナイル川を眺めていた。

 

そこには抜けるように青いエジプトの空も

広大無辺といわれるナイルの大河の趣もなかった。

灰色のスモッグを通して登る太陽は、橙色に霞み

ナイルはまるでパリのセーヌ川のように小ぢんまりと

岸辺の町並みを映して、静かに流れている。

 

エジプトはナイルの賜物−−−

ヘロドトスの語った言葉は本当に正しかったのだろうか。

5000年もの昔に繁栄し、砂漠の中に神殿を築いた、あのエジプトの栄光は、

そして王たちの壮大な夢や野望は・・・

埃っぽく猥雑で、およそ中近東の巨大なスラム都市

とも思えるカイロの街を見おろしながら、僕はひとり憂鬱になっていた。

 

陽が昇りきると急に街はざわめきはじめ、巨大都市は思い出したかのように

一日の呼吸をはじめた。

 

ラマダンとは 

イスラム暦(太陰暦:1年は354日)の9月がラマダン月で

2001年のラマダンは11月16日〜約30日間

(聖職者が新月を目視確認して、前夜に宣言する)

 

ラマダンは

「苦難に耐え、欲望に打ち勝つことにより、神のもとに近づくことができる」

というコーランの教えによるものとされ

日の出から日没までの間は妊婦や子供、病人、旅行者など一部を除き

教徒は一切の水も食事も取らずに断食する。

また、喫煙、性行為も断つ。

神への感謝の念を深めるとともに、貧者の苦しみを共有することで

全イスラム教徒の一体感を高めようという目的があるとされる。

イスラム教徒にとっては聖地巡礼などと並ぶ最も崇高な儀式となっている。

 

市民は昼間の断食の反動から深夜までパーティを続け

食料の消費は平常月より増えるといわれる。

官庁や民間企業などで仕事の能率が落ちる。

日の出の前の食事は「サフール」

日没後、礼拝の後に取る食事は「イフタール」と呼ばれる。

 

ラマダン月の季節は、毎年少しずれて32年周期で一巡。

日の長い夏は特に苦行となる。

 

ラマダンが明けた後の3日間は祭日「イード・アル・フィトル」で

子供たちにお年玉が配られるなど、1年で最も華やぐ時期となる。

 

(2001.9〜10読売新聞、2001.10日経新聞より)

 

イスラム国では国旗に月が入っていることが多い。

(エジプト、アフガニスタン、イラン、イラクなどには入っていない)

イスラム教徒は世界に約10億人以上いるらしい。