贅沢と貧乏

 最近、金に困った記憶がない。財布の中の金が少ないことは良くあるのだが、給料日までの生活費がないとか、ほしいものを買うためにローンを組むとか、何ヶ月もお金をためるようなことは、もう何年もない。200万円の新車も現金払いである。

 改めてそのことに気がついたのは、先日、遠出をした先の温泉の脱衣所で財布から札を抜き取られた時だ。
 脱衣籠には脱いだ通りに衣類があって、財布もズボンに入ったまま、小銭もそのままだったのでそのときは気がつかなかった。温泉を出てラーメン屋に入り、支払いの段になって初めて財布に札がないのに気がついた。
 その場は何とか小銭を集めて支払いを済ませたが(50円足りなかった。ラーメン屋さんマケてくれてありがとう)、帰り道、小銭を使い切ってしまったのでコンビにでジュースの一本も買えないは痛かった。ちょっと大きな町のクレジットカードが使える大手スーパーを見つけるまで、水一滴飲めなかったのだから。
 札だけを抜いた後、そのまま財布をもとに戻してあってクレジットカードや免許証、キャッシュカードが無傷で済んだのはありがたかった。

 で、話はここから。
 盗まれたのは2万8千円なのだが、翌日 ATM でお金を引き出したあとは、まったく普通に生活を送れてしまった。被害は通帳の中の数字がちょっと少なくなったことと、温泉に文句(?)の電話を一本入れたことだけ。

 これだけだと、3万円ぐらいの金が急に出ていってもびくともしない結構な生活を送っていることになる。給料日までパンの耳を齧ったり、クレジットカードの引き落とし日の金策に苦労するすることは、今は、もう、ない。
 そう、わたしは金に不自由することのないリッチな生活を送っているのである。

 それは事実なのだが、わたしは恐らく、そこから普通の人が連想するリッチな生活を送っていない。
 たとえば、1年間で衣類を購入するのは3万円以下である。私服で仕事ができることもあって、ズボンを3本、上は10枚ぐらいの Tシャツと何枚かの長袖のシャツを着まわしている。ほとんど着たきりスズメ状態である。床屋も2−3ヶ月に一度、外で飲むこともめったになく、札幌に住んでいるのに、日本有数の歓楽街「ススキノ」に出るのも年に数えるほど。
 ありていに言えば、貧乏な生活をおくっているのである。

 独身で年齢相応の給料をもらっているし、親の家に住んでいるので家賃も少な目で、それなりにお金の残る要素はあるのだが、車が2台あったりパソコンが部屋にごろごろしていたりでそれなりの贅沢もしている。

 結局、贅沢より貧乏のほうが勝っているのでお金に苦労していないのだと思う。 収入にあわせて生活のすべてを「人並み」レベルにしていたら、恐らく、お金についても「人並み」にしかならなかっただろう。

 なるほど、結局はそこか。金持ちらしく見えない金持ちが多いわけだ。