フラメンコの話

フラメンコとは

最近これまた弾圧後の経済事情悪化で公演にも行けていないが、バイクと並んで好きなものがフラメンコ。スペイン・セビージャのタブラオで見たバイレ(踊り)と天本英世の「スペイン巡礼」が好きになったきっかけかとは思う。ま、きっかけなんてどうでもいいのではあるが。

一般に「踊り」の一種と思われているが、発展過程をみればむしろ音楽の一種。シャンソンとか、フォルクローレとかそういうジャンルを表す言葉と考えていい。最初にカンテ(唄)があり、それにバイレ(踊り)がつき、最後にギターが加わった。だいたい今のような形になったのは19世紀の中頃らしい。アンダルシアではカンテのみのコンサートもごく普通に行われる。日本ではまだまだ少ないけどね。

フラメンコという言葉の由来は諸説あるがはっきりしたことはわかっていない。だが、素晴らしいカンテやバイレに対して飛ぶ声援「オーレ!」はどうも「アラーアクバル」のアラーがなまったものが語源らしい、という説は結構有力。別にヒターノにイスラム教徒が多いわけでもないし、多分そんなことは今は知ったこっちゃないんだと言うと思うが。

イベリア半島が長い間イスラムの勢力園にあったことを思い出してみよう。この半島では東西の文化が衝突・融合し独特のカラーが作り出されてきたのだ。

遠くインド北西部に住むロマ族(かつて「ジプシー」と呼ばれたが、差別的な言い回しとされて今はこう呼ばれる)が西へ大移動を開始したのは今から千年以上前らしい。あちこちで定住し、多くは差別され、特定の地域に追いやられながらも素晴らしい音楽や舞踊の原型を彼らは作り出していった。サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」も彼らの民族音楽がベース。

そして遙か西の果てイベリア半島で生まれたのがフラメンコ。今は別にヒターノ(ロマ族のスペイン語での言い方)だけのものではないが、彼らがいなければこうした形にはなっていなかったはずだ。

その長い長い旅の過程をセミドキュメンタリータッチで描いたのがトニーガトリフ監督の映画「ラッチョドローム」(ロマの言葉で「いい旅を」)(左写真)である。全編セリフはなく音楽と踊りのみで進行する。フラメンコは最後に出てくるだけだが、お勧めの映画だ。

長々書いたが、フラメンコは語るだけのものではない。見て聞いて、やってみるものだ。さあ、あなたも一緒にどうですか?


パセオフラメンコ



反戦ビラ弾圧の話がパセオフラメンコという雑誌の投稿欄に載ったことがある(04年7月号)。もちろん投稿したのは自分。以下がそれだが、何だか公演やフラメンコ教室の感想などに混じり少々異質な投稿ではある。

だが、このパセオフラメンコ、フラメンコの話ばかりではなく、前は書籍紹介でなんとチョムスキー「9.11パワーアンドテロ」なんかを載せていたというリベラルな気風を持つ雑誌。スペイン市民戦争の関係書籍なんかもよく出てるし、ヒターノ(ロマ族)弾圧の歴史なども扱っていたことがある。こういう投稿でも歓迎なのだろう。店頭で見かけたら手にとって見て下さい。結構面白い。

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好きなアルティスタ

@アントニオ・ガデス

04年7月アントニオ・ガデスが亡くなった。思わず、テント村通信の編集後記にまで書いてしまった。
親父がスペイン人民戦線に参戦、ファシスト側に撃たれて大けがをしまともに働けなくなった。そのため、子供の頃からいろいろな仕事をした苦労人である。生粋のコミュニストでキューバのカストロを敬愛していたそうだ。こうした政治主張は堂々公演のパンフレットなどにも書かれていた。一時期、バスク地方独立派の活動家の処刑に抗議して公演活動を休止していたこともある硬派のバイラオール(男性のフラメンコ舞踊家をいう。女性ならバイラオーラ)。
その思想の中身は討論したことがあるわけじゃなし、わからない。結構頭の固い共産主義者だったかも知れないが、自己の信念に沿って生きてきたことは間違いない。

彼の思想性のことを先に書いてしまったが、カルロス・サウラ監督のフラメンコ3部作は彼が主人公。特にとぎすまされた刃のような「血の婚礼」はすごい。どこまでが劇中劇なのか、どこまでが実際にあったことなのか、次第にわからなくなる迫真の演技。
カルメン・アマジャの遺作「バルセロナ物語」の中での若き日のファルーカも素晴らしい。

67歳は逝くのにまだ早かったかも知れないが、「やり残した」という感じはしない。「やりきった」生涯だったのだと思う。できたらライブを一度見たかった。

Aロサリオ・トレド
小さな巨人というべきか?向こうの人にしては背は低いんです。

解説
「1977年カディス生まれ。幼少の頃よりフラメンコ舞踊を始めスペイン舞踊、クラシックバレエを学ぶ。フラメンコではマティルデ・コラル、マリオ・マヤ、マノレ−テ、ベレン・マヤ、イスラエル・ガルバン等に師事。16歳で地元カディスにて“全国アレグリアス・コンク−ルで初受賞。

1998年。第15回コルドバ全国フラメンコ・コンク−ルにおいて審査員満場一致で“ラ・マレ−ナ”賞をTARANTOSで受賞。又、多数合意で”ラ・アンヘティニ−タ賞をGUAJIRASで受賞、権威ある国家賞2部門を同一女性舞踊手が独占し話題となる。」という人。レコード大賞・歌謡大賞独り占めとかそんな感じだったのではないか。

この賞をとったグアヒーラ(キューバの農婦の意味)なんかが素敵です。





Bドロレス・アグヘータ
マヌエル・アグヘータの娘。(フラメンコ好きでないとマヌエルを知らないか)

フラメンコはカンテ(唄)だよ、バイレより実はまずカンテ。この人はカンタオーラです。
ポップスしか聞かない人には全然面白くないかも。民謡が聴ける人(沖縄民謡でも津軽三味線でも)にはわかるかも知れない。一回だけカサ・デ・エスペランサ(高円寺のタブラオ)で聴く機会がありました。やはり、フラメンコもCDよりライブ!


Cベレン・マジャ


親父がマリオ・マジャ、母親が今は亡きカルメン・モーラというサラブレッドの家系。さぞかし幼少の頃より、と思っていたら最新のパセオ・フラメンコによると割に遅くて18歳からフラメンコを始めたそうだ。

太極拳の動きなど取り入れたそのバイレはまさにモデルノ。ユニークである。好き嫌いはあると思うけどね。映像媒体で意外に見られる作品が少ないのが残念。










Dディエゴ・デ・モロン
ギタリストが誰もいなかったのでこの人をあげておく。伝説のギタリスト、ディエゴ・デル・ガストールの甥である。ガストールについては"私たちはテクニックに迷った名手だが、ディエゴは精神である"(ニーニョ・リカルド)という言葉が伝わっている。そのガストールの正しき後継者とも言うべき人。

速く正確に弾く、ということならビセンテ・アミーゴやパコ・デ・ルシアの方がずっと上手だろうが、音楽は技術のみにあらず。この人の魂のソレアを聞け。

でも左のアルバムは廃盤の様だ。残念。ビデオで見るとこの人の気迫がもっとわかっていいんですが。


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