平成16年(わ)第488、第618号
最終意見陳述
東京地方裁判所八王子支部刑事3部合議係御中
2004年11月4日
被 告 人 大 洞 俊 之
1.私の受けた被害
私は、今回の弾圧で経済的にも、精神的にも大きな被害を受けました。2月27日に逮捕されて以降、3月19日に起訴されるまでの間に接見禁止が長期間ついたままだったため、職場への連絡が思うに任せず大変不便な思いをしました。幸い私の職場には練馬区職労という労働組合があり、職員の被った不利益に対してはとことんまで闘う姿勢を貫いてくれます。本件でも、私の勤める中学校の上司や同僚への連絡・説明など最大限のことを行ってくれました。しかし、私は結局起訴され、起訴休職処分に追い込まれました。籍はあるものの、給料は6割に減額されました。諸手当なども減らされ、一時金もありませんから、実際の手取りは6割減では済みません。しかも、公務員故アルバイトもできませんから、本来ならほとんど生活不能な状況に陥っているところです。今日まで苦しいながら生活し、公判闘争を闘い抜いてこれたのは地域の全国の皆さんの暖かい経済的な支援があったからに他なりません。
また、何より心苦しいのは、職場に復帰できない状態でいることです。籍は所属する大泉北中に残ってはいますが、逆に私の穴埋めに正規職員を異動させることもできません。この間、アルバイトを雇って何とかしてもらっている状況です。私の給食調理の現場では数名の調理師で数百〜千食以上もの給食を時間までに作らなければなりません。特に私の所属する大泉北中は正規職が三名しか配置されていませんから、そこで一名欠けたことによる打撃はきわめて大きなものがあります。アルバイトの場合、この種の職業の経験者ならともかくそうでなければ戦力になるのは時間がかかります。職場の同僚も私の状況を理解して耐え抜いてくれていますが、彼らには本当に済まないという気持ちでいっぱいです。自分のためではありませんが迷惑をかけたことには変わりがないからです。
また職場では現在、給食民間委託の提案が出ており、組合と当局の団交が続いています。組合の執行部も同僚たちもこれと闘いながら私の裁判闘争を支えてくれています。自分は組合の活動には早期に復帰し、裁判闘争や反戦運動の一方、こうした職場での労働運動をも闘い続けています。しかし、裁判が進行すればするほど、私の受けた不利益に対しますます理不尽であるという思いが強くなってきました。
2.検察側は何を裁こうとしたのか
そもそも検察側はこの起訴で何を裁こうとしたのでしょうか?
第二回公判の浅霧証人は「ピザ屋などのビラはきれいだ」などそもそもビラ一般に本当に迷惑していたのかどうかきわめて曖昧な態度をとりました。また、第四回公判証人の及川証人もビラ一般に迷惑していたという姿勢をとってはいますが、実際に被害届が出され、起訴されたのは我々のみです。他の商業ビラの配布者に対して同様の弾圧は行われていません。恐らく、回数的には商業ビラの方がよほど入るでしょうから、証拠の採集などもその気になれば反戦ビラよりよほどやりやすかったと思います。結局、テント村の反戦ビラのみがそうした被害届の対象になったのは、特定の思想性、主張を持つビラのみが選別されたということになります。
さらに、及川証人は4階まで上がって来たことをプライバシーな場所への侵害という内容の意見を言っています。しかし、彼は同時に宗教の勧誘が最近あったことを述べていますが、自分が他の宗教の檀家であることを理由に勧誘を断ったのみで、警察に通報したり被害届を出したりはしていません。この点でもビラ一般、セールスを含め階段上への進入一般が迷惑であるかのように装いつつ、実際は特定団体のみが通報の対象になったということを裏付けられます。
そもそもプライバシーの侵害等を言いながら具体的な被害の内容が証言の中では全く明らかになっていません。「ビラまきを放置すると石や白い粉を入れられるかも」(及川証人)という証言も根拠がありません。いわゆる「テロ行為」が行われるかも知れないという心配でしょうが、そもそも、立川自衛隊監視テント村の活動それ自体をあまりよく知らないのが検察側全証人に共通して言えます。具体的な活動で出てきたのはC−1ジェット輸送機に対する反対運動のみです(浅霧証人)。テント村の具体的な日常活動や歴史を知らず、なぜそのような行動のエスカレートが心配されたのか、全く理解に苦しみます。そもそも、ビラの中身も自衛官も一緒にイラク派兵の問題を考えようというきわめて穏健なものでした。各証人の証言はこの「テロ行為」との関係についても全く説得力を欠いています。
また、第5回公判での、私に対する航空祭反対行動の際に警官に制止されただろう、という質問もテント村が、とにかく過激な団体なんだという印象を強引に作り出そうとするものでした。第6回公判でも同様のことがあり、検察官は、テント村と「黒ヘルグループ」とのつながりがあったのではないか、という点を質問してきました(大西被告、大沢証人に対しての質問)。そのグループの正式名称や、どんな組織なのかすら検察側は明らかにしませんでしたから、そもそも被告もどう答えていいのか面食らう質問でした。ともかく訳のわからない団体とテント村がつながりがあり、テント村も危険な団体なのだ、という印象を植え付けるための質問だったようです。天皇制に反対した運動をやってるではないか、という質問も同様のねらいで行われたようです。しかし、裁判長が制したように全く本件とは関係のない質問でした。
検察側がそもそも裁こうとしたのが反戦という特定の思想をもつものであったことはもはや明らかです。
3.イラク戦争のその後
私たちがビラをまいたのはイラク戦争に反対し、その後未だ戦闘地域といって良いところへ自衛隊が派兵されることに反対したからでした。イラク現地の情勢はますます悪化し、この春日本人人質事件が発生したときよりさらにひどくなりました。ここへ来てまた新たな日本人人質殺害事件すら起きてしまいました。自衛隊の宿営地内にも初めて砲弾が着弾するという緊迫した状態にもなっています。
私たちは、自衛隊を送ることの是非を論じる前提として、この戦争が起きた理由そのものをまず考えるべきです。すでに米国では米大量破壊兵器調査団が2004年10月6日、生物・化学兵器の備蓄は一切なく、核兵器開発計画も91年以降頓挫していたとする最終報告書を発表しています。ブッシュ政権が開戦時に主張していた「フセイン政権の脅威」は、そもそも存在していなかったことが明白になりました。開戦の理由は存在していなかったのです。おまけに、フセイン政権は確かにそれ自体が独裁政権ではありましたが、武力で倒されても、民衆が支持するような安定した新政権は未だにできていません。治安は回復せず、ガス水道などの日常生活に必要なインフラの整備も進まず、経済も混乱したままです。戦争で民主的な政権は作れなかった、戦争が真の平和につながらなかったことは明らかです。
そもそも、イラク戦争が開戦の理由自体がでっち上げであったなら米国はその責任を取るべきであり、外国軍は駐留する根拠がなくなります。戦争そのものが侵略行為であったし、外国軍は侵略軍でしかないからです。従って、自衛隊の派兵についても、同様で、直ちに撤兵されるべきだと思います。実際、この間スペイン、フィリピンに続き、タイ、ニュージーランドの軍隊がイラクから撤退しています。タイ、ニュージーランドは予定の期限が来たからですが、ニュージーランドの高官は治安改善が見込まれない現状では再度自国の軍隊を送る予定はないと述べています。イギリスすら来年の末には軍隊を引き上げることを明言しています。日本もこれらの国々にならい勇気ある撤兵を行うべきなのです。
さらに憂慮すべき事態として、日本の憲法について米国の高官がしばしば言及するようになっています。憲法改正と常任理事国入りの関連について、アーミテージ国務副長官が7月、自民党幹部に「積極的な国際軍事貢献に向けた態勢づくりが必要」として改憲支持の個人的見解を伝達しています。さらにパウエル米国務長官は8月、日本の国連安全保障理事会常任理事国入りに関連し、憲法改正は日本国民の問題との見解を強調しながらも「9条は吟味されなくてはならない」「国際的責務が伴う常任理事国になるには憲法改正が極めて重要な要素」と述べています。これらの発言は日本に軍隊や交戦権を持たせたいという米国の意思の表れであるということができます。このような発言の一方、各政党内でも憲法改定へ向けた動きが活発になりつつあります。9条という歯止めを取り払い、自衛隊が名実共に軍隊として海外で米軍とともに「対テロ戦争」を行う。このままではそう遠くない将来、そんなことになってしまいます。
段階的に進む戦時体制の強化に警鐘を鳴らす必要があります。しかし、それを進めようとするものにとっては、少人数であれ、直接自衛官に対して働きかけようと言う反戦運動の存在は邪魔者であるでしょう。今回の弾圧はそうした障害排除のためのものであったと言えます。単に官舎の管理者や東立川駐屯地の上官の意思以上の大きな判断が働いた可能性もあります。
4.各集会に参加して
保釈後、新聞や週刊誌の取材を受ける一方、各地の集会で発言や報告をする機会を得ました。特にこの間、練馬区・国立市では地元の市民団体や実行委員会主催の学習会で長時間話す機会を得ました。全国からのカンパや励ましも多数届いています。立川の反基地運動では過去にデモなどで逮捕者が出たことはありますが、そうした弾圧と比べても実に反響が大きかったと言えます。
その中でも人々の感想としては「人ごとではなく我が身のことととらえた」というものを多く聞きました。これは市民運動などに携わる人々のみでなく、ジャーナリストからも同様の感想を聞いています。10月の連休中に新聞労連主催の若手記者向け研修会が都内で開催され、研修企画の一つに反戦ビラ弾圧が取り上げられました。当事者として私と東京新聞の記者の二人で講師を勤めましたが、その記者も同じことを言っています。つまり、こうした動きを放置すれば、取材などが国家権力によって厳しく規制され、自由に報道できなくなる時代がくるかも知れない、という危惧を感じたということでした。
また、参加した記者の中で沖縄からきた記者は「沖縄では立川の問題はほとんど報じられていない。気づいたときには立川事件のような弾圧が当然のようになり、沖縄が異常にみられ、沖縄の反戦・反基地運動も弾圧される。沖縄はよく対外的に『沖縄の声』を聞いて欲しいという紙面を作る。だが、それ以外の声を聞くことを怠っていたと気づかされた思いだ。」という感想を述べています。基地問題で東京よりも深刻な被害を受けている沖縄ですが、立川の問題についてそれに引きつけて考えつつ今後さらに弾圧が強化される可能性について憂えているわけです。
私たちへの弾圧ばかりではありません。冒頭意見陳述でも述べたように3月3日には社会保険庁職員に対する国家公務員法を利用した弾圧が発生しています。また、アメリカ大使館前でイラク戦争反対の抗議情宣を続けた女性の職場・自宅が「暴行罪」容疑で家宅捜索されるといった弾圧も起きました。昨年は杉並区の公衆便所に反戦の落書きをした男性が「建造物損壊」で起訴され、執行猶予付きの懲役刑の重い判決が出るという事件も起きています。一般に落書き程度なら器物損壊で罰金刑程度ですませる場合が多いと思いますが、量刑的には異様に重いのはやはりこの男性のかいた落書きの内容がイラク反戦だったからということからくるのではないでしょうか。
10月には岡崎市で三菱自動車工場閉鎖に抗議して同社や労組を批判するポスターを電柱に貼った男性が、岡崎市屋外広告物条例違反と軽犯罪法違反の疑いで逮捕されるという事件もあります。ポスターの貼り出しは7月ですから3ヶ月も前の事件であり、わざわざ令状をとって通常逮捕したのは異様です。
このように私たちの弾圧とは違う法律を使ったりしながらも全国の反戦運動や労働運動市民運動などに対する弾圧と締め付けが非常に厳しくなってきています。戦前には日本が戦争に進む中で、国内の反戦運動などを根絶やしにすべく「治安維持法」という法律が制定されました。この法律にしても制定される際には反対デモなどが行えるくらいの自由がまだ日本にありました。しかし、制定後は日本の労働運動などあらゆる社会運動が大政翼賛会の傘下に組み込まれ、政府の政策を一切批判できない社会が作られていきました。言論の自由は憲法に明記されていても、それを実際に実践したと言える自由な社会運動がなければ実態はなくなっていきます。そうした憲法で定められている権利すら踏みにじられつつある動きをこの事件から多くの人々が感じ取っています。
5.終わりに
私たちは無罪であることを確信しています。この間の検察側の主張は矛盾に満ちており、もはや私たちの行動が「犯罪行為」の構成要件を満たさないことは明らかです。今日を含めて7回の公判の中で私たちはそのことを明確に立証してきました。本裁判で曖昧な判断が下されれば、上で述べたようにあらゆる社会運動に大きな影響を与えます。ポスティングという行動はほとんどの運動体で行っている情宣手段であり、それに対して権力者がいつでも恣意的な弾圧をかけることが可能になってしまうからです。裁判所の公正な審理と判断を求めます。
以上