宗 教 の 中 心 は 空 洞 で あ る 。
神や仏がたとえ存在しないとしても、宗教という装置は成立する。 重要なのは、神や仏が存在すると、人々に信じさせることである。
一般に、「神さまや仏さまは本当にいるのか?」という質問がよくあります。
神や仏が存在するかどうかは、実証不可能なことです。
しかし、宗教というしくみは、神や仏がたとえ存在しないとしても成立するという、面白い性質をもっています。
そこで、このしくみを、マジックミラーを例にとって説明してみましょう。
ある部屋に大きな鏡がはられているとします。 AさんとBさんが部屋に入ってきました。
Aさんは、すぐに人の気配と視線を察知し、部屋にはられている鏡は、本当はマジックミラーで、向こう側では、きっと誰かが自分達を見ているに違いない、と考えはじめます。
Bさんも、しだいにAさんと同じような気配を感じるようになります。
二人は、自分達が感じた気配を率直に語り合い、「キミもそう思った」「やっぱり、オレもそうだ」と、マジックミラーの存在に確信をもちはじめます。
さて、この部屋の鏡は、本当にマジックミラーだったのでしょうか?
真相はわかりません。
しかし、鏡がマジックミラーにちがいないという考えを、たがいのコミュニケーションを通して確信するようになりました。
そうなると、二人にとってその鏡は、「マジックミラー」以外のなにものでもなくなります。
そして、二人は、マジックミラーの向こう側で自分たちを見ている視線を気にして行動することになります。
「気持ち悪ければ、その部屋を出ればいいじゃないか」とおっしゃるかもしれませんが、
これは、宗教のしくみを説明するためのたとえ話だと、単純に考えてください。
このような奇妙な例をあげたのは、ほかでもありません。 人々が、コミュニケーションを通じて、あることを確信するプロセスを示したかったからです。
マジックミラーの後ろにいる(と思われている)人間は、神や仏にたとえることができます。
さて、ここで、部屋の鏡がマジックミラーであるかどうかは問題ではありません。
二人がマジックミラーだと思いこんでしまえば、すくなくとも二人にとっては、それはマジックミラー以外のものではありません。
ということは、鏡の後ろに人間がいようがいまいが関係ないのです。 「思いこみ」だけが一人歩きしはじめているのです。
宗教の場合も同じで、かりに神や仏が存在しないとしても、人々が「いる」と確信することによって、宗教というしくみは作動しはじめるのです。
ここで重要なのは、一度「思いこみ」でできあがると、それが人々の「ふるまい」に大きな影響を及ぼすことです。
マジックミラーの前の二人が、向こう側の視線を気にして行動せざるをえないように、
神や仏の存在を確信した人々は、その存在を疑うべきもないこととしてふるまうようになります。実際には存在しないとしても。
神や仏の存在に関する確信を強化し、さらにもっともらしいものとするのが、
儀礼の荘厳さや、詳細な儀礼の手順、厳しい戒律、救われたという奇跡の物語、などなどの
宗教システムです。
岩井 洋 教授 のHPより