東方三博士の礼拝(マギの礼拝) 

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サンドロ・ボッティチェリ 1445-1510

ボッティチェリとダヴィンチは、弟子入りしていたヴェロッキオ工房で出会います。ボッティチェリの方が7歳年上でした。 ダヴィンチはフィレンツェ郊外の修道院から祭壇画の依頼を受け、1481-82年にかけて『東方三博士の礼拝(マギの礼拝)』に取り組みます。その際、絵の先輩でもあったボッティチェリの絵を見たと思われます。
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1481年 東方三博士の礼拝(マギの礼拝)

ボッティチェリは、6年前の1475年、当時のダヴィンチとさほど変わらない30歳で『東方三博士の礼拝』を描いていました。
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1475年 東方三博士の礼拝 

中央に幼子イエスを抱く聖母マリア、義父ヨセフがいます。幼子に贈り物を渡そうとする三博士、周囲の人物はコジモ・デ・メディチを始めとしたメディチ家の有力者が描かれています。(メディチ家の誰がどの位置というのは、いろんなサイトで解説されていますので、そちらでどうぞ。) メディチ家の人物を、周囲のモブに加えて描くだけでなく、聖書上の人物にメディチ家の人物を兼任させて描いたのです。 ボッティチェリ以前にも、こういった描き方をした画家がいたのかもしれませんが、そこまでは調べてませんのでご容赦ください。 ただダヴィンチの身近に、ある人物に別の人物を兼任させて描いていたボッティチェリがいたことは事実。
向かって右端の人物はボッティチェリです。ボッティチェリの視線は、絵を見るものに向けていますね。
視線でもって、自分はこの絵の中で他とは違う特別な存在だと示しているのです。絵の中に描き込んだ自画像の視線をこちら側に向けるようにする描き方は、この先ラファエロの作品にも見られます。
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で、もう一度さきほどの絵を見てほしいのです。
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向かって左側の黄色い枠の人物ですが、彼の視線もこちらを向いています。
ボッティチェリのように、視線をこちらに向ける彼は一体誰なのでしょうか?
あと青い枠の白髪の人物、彼もこちらを向いているように見えますが、今回まとめの記事を書くにあたり、青い枠の人物に対して迷いが出てしまいましたので、疑惑の人物という程度にしておきます。
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ダヴィンチの絵に戻ります。ダヴィンチもまた、右側に自分の姿を描いたとされています。当時は29~30歳ですね。この絵の中で気になるのが、左端の老人です。若者と老人、左右で対になっているように見えます。
緑の枠には、天を指す人差し指があります。
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ボッティチェリ、ダヴィンチの左の人物は一体誰なのか?
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彼らの正体は、ボッティチェリの他の絵を見て判りました。
ダヴィンチが『東方三博士の礼拝(マギの礼拝)』に取り組んでいた1481-82年に、ボッティチェリはシスティーナ礼拝堂の壁画を3枚描いていました。そのうちの1枚が下の絵。
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イエスがサタンの三つの誘惑に勝利するテーマの絵です。1枚の絵の中に、三度の誘惑と、それに勝利したイエスと4体のイエスが書かれています。 1枚の絵に同一人物の異なる時間を複数描く、こういった描き方を異時同図法といいます。 この手法はボッティチェリが最初ではありません。 古くは1426-27年のマザッチョの『貢ぎの銭』があげられます。
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ボッティチェリと同時期にギルランダイオもシスティーナ礼拝堂に、異時同図法の絵を描いています。
この手法は、広く知られていたことが判ります。 ただ宗教画なのですから、普通はイエス・ペテロ・モーセといった聖書上の人物で描くものです。
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それを応用させたのがボッティチェリの『東方の三博士』。
ボッティチェリは、聖書上の人物ではなく、異なる時間の自分を複数描いたのです。
その根拠は、自画像と同じ視線と、後にダヴィンチの描いた『東方三博士の礼拝』の描き方です。
 


向かって右端は、キリストの再臨を待つ現在のボッティチェリ。 左側は、たとえ生きている間に会えなくても、生まれ変わった時には会いたいと願う未来のボッティチェリ。 
この絵のもう一つの意味は、キリストの再臨を待ち望むボッティチェリです。
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自分とさほど変わらない歳の時に、誰にも気づかれることなく『東方三博士の礼拝』に、別の意味を描き込んでいたことを知ったダヴィンチは衝撃を受けたのでしょう。
ボッティチェリのアイディアを超えようと、天を指す人差し指を描いたり、視線を集めたりして絵に複数の意味を込めようと試みました。しかし、視線が集まりすぎて木の背後に何かあるというのがあからさまであり、天を指す人差し指が2つあるのも妙な感じです。時間の異なる自分は、視線は使わず対になるように配置しました。ただ、肝心な部分(時間の異なる自分)は、やはりマネでしかなかったから、彼は行き詰まってしまい、途中で描くのをやめてしまったのでしょう。わずかな視線一つに自分の想いを込めたボッティチェリには到底かなわなかったのです。
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絵は未完成のまま、フィレンツェからミラノに発ったダヴィンチ。

この経験をバネにして、ボッティチェリから学んだ、ある人物に別の人物を兼任させる描き方、視線の効果的な使い方、異時同図法を、この先独自に応用展開して、1枚の絵に複数の意味を持たせるようになるのです。 
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人間はやり通す力があるかないかによってのみ、称賛または非難に値する

レオナルド・ダ・ヴィンチの名言より