聖アンナと聖母子


『聖アンナと聖母子』1507-10年頃

絵のタイトル通りでいえば、羊をつかんでいるのが幼子イエスで、幼子イエスを抱えているのが聖母マリア、聖母マリアが腰掛けているのは聖母マリアの母である聖アンナということになります。
この絵を見たとき、最初に疑問に思ったのは、なぜ大人の女性が自分の母親の膝上に腰掛けるかな?という点。でも、『洗礼者ヨハネ』『最後の晩餐』の絵の意味が判った後は、すんなりと腑に落ちました。

ダヴィンチが最後に描いた『洗礼者ヨハネ』が、男にも女にも見えるように中性的に描かれているのは、男性に女性が、女性に男性が重ねて描かれている(兼任)ことを気づいてもらうためです。男女の性別を超えての兼任があるということです。

『最後の晩餐』では、12弟子のヨハネは男性ですが、女性のマグダラのマリアが兼任されています。
その逆に女性である聖アンナに、男性であるイエスが兼任されるというのもあり得るわけです。
『聖アンナと聖母子と洗礼者ヨハネ』は、幼子イエス→子どものイエス→大人のイエスという、時間の異なるイエスを描いたものです。 

それでは、『聖アンナと聖母子』は?
自分の結論は、下の画像(右側)になります。

聖アンナは大人のイエス、聖母マリアはマグダラのマリア、幼子イエスはイエスとマグダラの二人の幼子です。
何故、そのような結論に至ったか?
ダヴィンチの絵の謎を解くには、弟子や他の画家が描いた絵と比較して考えてみましょう。

まずラファエロの『聖家族と子羊』と比較します。
左はラファエロが1507年に描いたものです。右側のダヴィンチのものは1508~10年とのこと。
ただダヴィンチは、1501年頃から聖母子の構想を練っていたことは残されている素描から判ります。
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ラファエロは、天を指す人差し指の意味を知って自分の『アテナイの学堂』の壁画にとりいれていたわけですし、ダヴィンチの絵を見させてもらう機会は度々あったわけです。
ダヴィンチの『聖アンナと聖母子』も制作過程の早い段階で見たと推測できます。(早い段階、というのはラファエロの方が3年早く完成させていることから。)
ダヴィンチの絵と比較させやすいようにラファエロの絵を反転させたものが下の画像になります。
それぞれの人物の視線も同じですよね。
絵のタイトルからみれば、ラファエロの方は幼子イエスと聖母マリア、養父のヨセフです。
ダヴィンチの方も『聖アンナと聖母子』というタイトルでみれば、幼子イエスと聖母マリア、聖アンナです。 
2枚の絵の違いは、ヨセフと聖アンナです。なぜ、ラファエロは聖アンナではなくヨセフを描いたのか?
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ラファエロはダヴィンチの初期の絵を見て、聖母マリアの後ろの人物は男性にしか見えなかった。
さらにその人物が杖を持っていたのを見てイエスの義父のヨセフと思い込んだ。
もし、絵の中に天を指す人差し指があれば、隠れたイエスがいると判るのですが、この絵には天を指す人差し指はありません。だから後ろの人物がイエスとは思わなかったのでしょう。杖をもっているのでヨセフと思い込んだのです。普通の宗教画だと勘違いしたのでしょう。

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杖(つえ)を持つ者

【つえ】という単語で、旧約聖書の『創世記』を検索すると、 『創世記』の中では【つえ】を持つ者が1人いました。
ユダです。ユダといっても、最後の晩餐のイエスの弟子のユダとは別人です。
新約聖書の『マタイによる福音書』第1章で、アブラハムからイエス・キリストまでの系図が、つらつらと示されているのですが、その中のヤコブから産まれたユダの方です。
このユダの子孫が、聖母マリヤの婚約者である聖ヨセフになるわけです。
また、『出エジプト記』では、モーセが民をエジプト脱出を導く時に【つえ】を使用しています。
また、『サムエル記上』では、ダビデがペリシテびとと戦う場面で【つえ】を使用しています。

新約聖書の4福音書で【つえ】を検索すると、イエスが弟子達に伝道活動の指示を与える時に「つえをもっていくな」という指示がある場面だけでした。
新約聖書を題材にした絵画で【つえ】をもっているのは、洗礼者ヨハネの【十字の形の杖】と、聖母マリヤの夫の聖ヨセフです。(※すみません、自分の知識不足ゆえに、他の人物で杖を持っている人がいる可能性はあります。知っていたら教えてください。)聖ヨセフと杖の関連性は、聖書外典のヤコブ原福音書の中にも記述があります。

イメージ 11そして、ヨハネの黙示録にも【つえ】が出てきます。
ヨハネの黙示録12章5節
『女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である。この子は、神のみもとに、その御座のところに、引き上げられた。』

※ちなみに『モナリザ』の絵は、この鉄のつえをもってすべての国民を納めるべき男の子を産んだ女を描いたものです。

以上のことから、聖書内では【つえ】をもつのは男性ということが判ります。
イエスの父方の血統・・・人を導く者(モーセ)・・・ダビデ・・・国民を治めるべき者です。




もう1枚、ダヴィンチの弟子の一人であるチェーザレ・ダ・セストの『聖母子と子羊』と比較してみましょう。
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2枚の絵の違いは、一番後ろの人物がいないことです。なぜ、チェーザレ・ダ・セストは一番後ろの人物を消したのか?
明らかにダヴィンチの絵をベースにしているのですが、チェーザレの絵は何故か聖母子だけで、一番後ろの人物が描かれていません。代わりに女性はに座っています。その背後は、高い場所にある建物と、空の入道雲のような大きなが目立ちます。

】に関して以下の聖句があります。
・イエスは言われた。「それは、あなたが言ったことです。しかし、わたしは言っておく。あなたたちはやがて、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗って来るのを見る。」(マタイ26:64)

高い場所にある建物】から連想される聖句。
「それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。」(マタイ7:24)
これはイエスが語った言葉です。

】に関して以下の聖句があります。
・主は岩であって、そのみわざは全く(申命32:4)
・主はわが岩、わたしは彼に寄り頼む(サ下22:2-3)
・イエス・キリストは家造りらに捨てられた石である(使徒4:10-11)
・この岩はキリストにほかならない(1コリ10:1-4)

】と【高い場所にある建物】と【】、どれもイエスを連想させるのです。
ラファエロやボッティチェリが、ダヴィンチの絵の意味を補完させる絵を描いていたように、弟子であるチェーザレ・ダ・セストもまた、ダヴィンチの『聖アンナと聖母子』の絵の正体を知っていて、その正体を連想させるために『聖母子と子羊』を描いたのだと推測します。
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以上の観点から、『聖アンナと聖母子』の聖アンナは、イエスが兼任されているといえます。
イエスのひざ上に座っているのは愛する弟子(マグダラのマリア)にしか見えません。
男性が愛する女性を膝上に座らせ、慈しみ深いほほ笑みをそそぐ。女性は愛するわが子を抱き寄せようとしている。なんとも仲睦まじい家族の絵です。ラファエロのタイトルと同じになってしまいますが、これこそ『聖家族と子羊』というべき絵です。
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『最後の晩餐』でマグダラのマリアを12弟子のヨハネに兼任させる形で描き込んだダヴィンチでした。
もしもイエスが十字架にかからなかったら、イエスはマグダラと家庭を築き二人の間に子が産まれ幸せな家庭を築いたことでしょう。
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しかし弟子らは裏切り、イエスは十字架にかかりました。マグダラのお腹にあたるナイフは、二人の子の存在を否定しているかのようです。

イエスは十字架にかかったのち、弟子らの前に再び姿を現します。

ヨハネ福音書21:15-19より
彼らが食事をすませると、イエスはシモン・ペテロに言われた、
「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」。
ペテロは言った、
「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。
イエスは彼に「わたしの小羊を養いなさい」と言われた。 

またもう一度彼に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。
彼はイエスに言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。
イエスは彼に言われた、「わたしの羊を飼いなさい」。 

イエスは三度目に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。
ペテロは「わたしを愛するか」とイエスが三度も言われたので、心をいためてイエスに言った、
「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています」。
イエスは彼に言われた、「わたしの羊を養いなさい。
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イエスは十字架にかかり天に召されました。
地上に残された愛する弟子らの行く末を案じていたことでしょう。
自分はこの絵を見ていると、この聖句がしっくりと来るのです。


目は魂の窓である

レオナルド・ダ・ヴィンチの名言より