洗礼者ヨハネ
3枚の絵を持ち続けた理由


最後に描いた『洗礼者ヨハネ』
ダヴィンチの『洗礼者ヨハネ』は、人差し指を天に向けていますが、本来は、洗礼者ヨハネがイエスに向かって「見よ、神の小羊」とイエスを指し示した様子を表現したポーズですから、普通は以下のように洗礼者ヨハネがイエスに向かって指すポーズになります。

ダヴィンチの天を指す人差し指の意味は、十字架にかかる前のイエスを指すのではなく、十字架にかかったのち天から再び還ってくる「再臨のイエス」を指すためであり、また絵の中において、イエスを直接的に指すことができない場合に使用するポーズです。

男にも女にも見えるように中性的に描いたのは、ダヴィンチの性的嗜好によるものではありません。
男性に女性が、女性に男性が重ねて描かれている(兼任)と気づいてもらうためです。性別を超えて、人物の兼任があることを示しているのです。

天を指す人差し指が描いてあった絵は、ダヴィンチのものは『マギの礼拝』『最後の晩餐』『聖アンナと聖母子と洗礼者ヨハネ』です。 旧知のボッティチェリは『ラ・カルンニア(誹謗)』に、ラファエロは『アテナイの学堂』に、天を指す人差し指の意味を知った上で、絵に描き込んでいました。


『マギの礼拝』の場合
中央の幼子イエスの他に、木の背後にもう一人幼子イエスがいると推測します。周囲の人々の視線が集まっているからです。 絵の中に幼子イエスが二人いるので、直接的に指すことはせずに天を指す人差し指を用います。

『最後の晩餐』の場合
イエスの隣のトマスに『洗礼者ヨハネ』が兼任されていることを証明しました。 イエスの隣に洗礼者ヨハネがくることによって、反対隣は12弟子のヨハネ(男性)ですが、性別を超えてマグダラのマリア(女性)が兼任されていることを示しました。
テーブルの料理を魚にすることによって、十字架後にイエスが弟子たちの前に姿を現す場面も表現しました。
天を指す人差し指は、復活するイエスも指しているのです。



『アテナイの学堂』の場合
プラトンに兼任されたダヴィンチが、天を指す人差し指をすることによって、この絵の中に直接指すことのできないイエスがいることを示しています。幼子→子ども→大人の、時間の異なるイエスです。



『聖アンナと聖母子と洗礼者ヨハネ』の場合
天を指す人差し指は、この絵の中に直接指すことのできないイエスがいることを示しています。『アテナイの学堂』と同じ、時間の異なるイエスです。



『ラ・カルンニア(アペレスの誹謗)』の場合
真実の女性の天を指す人差し指が、この絵の中に直接指すことのできないイエスがいることを示しています。
無実の男性にイエスが兼任されているのです。



3枚の絵を持ち続けた理由

レオナルド・ダ・ヴィンチが最後まで手放さずに持ち続けたのは、『聖アンナと聖母子』 『モナリザ』 『洗礼者ヨハネ』 の3枚です。ダヴィンチにとって、これらの絵は何だったのでしょうか?


3枚の絵のうちの『聖アンナと聖母子』『モナリザ』の正体は何だったでしょうか?


『聖アンナと聖母子』の聖アンナにはイエスが兼任されています。


『モナリザ』は、ヨハネ黙示録の荒野で男の子(キリスト)を産む女です。


『聖アンナと聖母子』『モナリザ』の絵の中にも、直接指すことのできないイエス(キリスト)は存在しているのですが、これまでのように絵の中に天を指す人差し指はありません。

何故かというと、『聖アンナと聖母子』『モナリザ』『洗礼者ヨハネ』は、最初から3枚で1セットの構想をもって描いていたからです。

つまり『洗礼者ヨハネ』に、先の2枚の絵の中の、直接指すことのできないイエス(キリスト)を指してもらっているわけです。

絵のサイズは大きく違いますが、人物の大きさがそれほど違いがないのは、3枚を1セットとする構想があったからでしょう。

下は、Triptych(トリプティク)と言われる、祭壇を飾るための3枚1組の絵の例です。中央パネルの両側に翼パネルがあって、折りたためるようになっているものです。



3枚の絵は、祭壇画

さすがに折りたたむことはできませんが、ダヴィンチにとってのTriptych。
最後まで手放すことなく持ち続けたのは、何物にも代えがたいものだったからです。


『モナリザ』の手の部分は、未完成であるといわれています。
ダヴィンチはこの絵を完成させたくなかったんだと思います。
筆を加え続けることが、ダヴィンチにとっての神への祈りだったから。

ダヴィンチは、いつまでも祈り続け、信じ続けたかったのでしょう。
イエス・キリストが地上に再び産まれてくることを。

3枚の絵は、現在フランスのルーブル美術館で離れて展示されています。
いつの日か、3枚並んで展示されることを心から願います。


           十分に終わりのことを考えよ。まず最初に終わりを考慮せよ。
                 
                 レオナルド・ダ・ヴィンチの名言より