キリストの兄弟たち
ご存知のように協会はマタイ25章の羊とやぎの例えを論ずる際にはいつも、
羊として右に置かれた(25:33)義なる者たち(25:37、46)は地的級、
それに対して「わたしの兄弟」と呼ばれている(25:40)者たちは天的級
という解釈を強調しています。
文脈はこの解釈の妥当性を示しているでしょうか。
マタイ25:40
「これらわたしの兄弟のうち最も小さな者の一人にしたのは、それだけわたしに対してしたのです」
例によって、この文脈の中では天の事も(勿論人の子は天から、天のみ使いたちを伴って到来されるのは当然ですが)、王や祭司の事も何も触れられていません。
示されているのは羊級が「王国を受け継ぐ」(25:34)こと、および「永遠の命に入る」(25:46)ことだけです。
「キリストの兄弟」がどうなるかは一言も述べられていません。
ここで生じる疑問は、この例え話は果たして二つの級のことを言っているのか、それとも一つの級の成員相互のことを言っているのかということです。
つまり「わたしの兄弟」=「あなた方の兄弟」ではないのだろうか、
すなわちこの例えの要旨は、「あなた方は互いに愛し合いなさい」と言うおきてを守り行うかどうかが羊とやぎの選別の基準だということではないのでしょうか。
イエスは
「わたしはあなた方に新しいおきてを与えます。それは、あなた方が互いに愛し合うことです。つまり、わたしがあなた方を愛したとおりに、あなた方も互いを愛することです。あなた方の間に愛があれば、それによってすべての人はあなた方がわたしの弟子であることを知るのです』(ヨハネ13:34,35)
と教えられました。
この新しいおきてが適用されるのは天的級だけであると思われますか、それとも地的級にも適用されると思われますか。
視点を変えてみましょう。
イエスはご自身の兄弟(霊的な兄弟)に関して
「だれでも天におられるわたしの父のご意志を行う人、その人がわたしの兄弟、姉妹、また母なのです」(マタイ12:50、マルコ3:5、ルカ8:21)
と言われました。
この父のご意志を行う人は天的級だけを指していると思われますか、それとも地的級をも指していると思われますか。
マタイ7:21では「天におられるわたしの父のご意志を行う者が天の王国に入る」と言われましたが、羊級も王国を受け継ぐと言われました。
更に「あなた方の教師はただ一人であり、あなた方はみな兄弟だからです」(マタイ23:8)とも言われました。
これらの聖句は皆つながっていて、羊級はすなわち「わたしの兄弟」そのものなのではないでしょうか。
「神聖にしている者も神聖にされている者たちも、みなひとりの方から出ているのであり、このゆえに彼は、彼らを『兄弟たち』と呼ぶことを恥としません」(ヘブライ2:11)
とありますが、このサイトで強調している広義の神の民説では天的級も地的級も未分化のままで含まれた神の民全員が聖なる者との見解(天的級と地的級参照)ですから、これらすべての聖句が何の違和感もなくつながります。