終わりの日
終わりの日というと協会の出版物ではテモテ第二3:1が引用され、1914年以後の現代の事として語られることが圧倒的に多いのですが、
洞察T p500の「終わりの日」では、「その期間は預言の性質によって異なり、ほんの数年だけのこともあれば、多くの年月に及ぶこともあり、また長い時を隔てた幾つかの期間に適用されている場合もあります」と慎重な言い回しがされています。
聖書の述べる終わりの日或いは終わりの時とは何時のことなのでしょうか。
終末論を意味する英語 eschatology の語源となったギリシャ語「エスカトス」は「最後の」を意味する一般的な語で、新約聖書中にも頻繁に使われています。(例えば「最後の硬貨をを払ってしまうまで」「最初の者が最後[の者]になる」「最終的な(最後の)ありさまは最初[のありさま]より悪くなる」等)
では終末論に関係したエスカトスを集めて見ましょう 。
「終わりの日(単数)」
ヨハネ6:39,40,44,54; 11:24――これらは「終わりの日の復活」として語られています。
ヨハネ12:48――これは「終わりの日の裁き」です。
いずれもハルマゲドンに直結した時期を指しています。
「終わりの日(複数」)
使徒2:17――ヨエル2:28の「霊を注ぎ出す」と言う預言を、33年ペンテコステの出来事に適用しています。
元のヨエルでは「またその後」(七十人訳でも「そしてこれらのことの後」らしい)となっているのに、なぜか「そして終わりの日に」と改変して引用されています。
テモテ第二3:1――「終わりの日には対処しにくい危機の(或いは、狂暴な(マタイ8:28))時代(カイロス(複数が来る」
ペテロ第二3:3――「終わりの日には、あざける者たちがやって来る」
この二つはハルマゲドン前の時期、マタイ24:37の「ノアの日(複数)」に対応すると考えられますが、
筆者たちには、イエスの警告と調和して、極めて切迫した目前に控えている時期、あえて言えば、もう始まっているとも感じられている時期のことであったろうと思われます。
ヤコブ5:3――「火のようなものを終わりの日に蓄えた」
ここは諸翻訳の間でも解釈が分かれているようです。
一つは、終わりの日は現に富を蓄えている今(執筆時)の時期であるとの見方で、
もう一つは、終わりの日は将来の裁きの日のことであるとの見方です。
いずれの見方でも文意は変わらず、今富を蓄えている者は来るべき裁きの日に不利な裁きを受けるであろうということになります。
(後者では「終わりの日に」の「に」を in
ではなく、for (「のために」)と訳している。原文はエンだから、in
の方が字義訳)
「日(複数)の終わり」
ヘブライ1:2――「これらの日の終わりにはみ子によって語られました」
イエスが地上で活動されていた時を指しています。
「終わりの時期(カイロス単数)」
ペテロ第一1:5――「終わりの時期に表わし示されるように備えられている救い」
ハルマゲドンを指しています。
「終わりの時期(クロノス単数)」
ユダ18――「終わりの時期には、あざける者たちが現れ」
ペテロ第二3:3を下敷きにしています。
「終わりの時(時間、ホーラ単数)」
ヨハネ第一2:18(2回)――「今は終わりの時」
執筆時点で、すでに終わりの時に入っていると考えているようです。
「最後のラッパ(単数)」
コリント第一15:52「最後のラッパの間に[朽ちない体に]変えられる」
第一の復活の時ですから、ハルマゲドン直前と思われます。
(ちなみに、ものみの塔 07 1/1 の「「第一の復活」―今まさに進行しています!」という記事は全くの誤りです。臨在の項のコリント第一15:23、テサロニケ第一4:15の説明をご覧ください)
「時代(クロノス複)の終わり(単数)」
ペテロ第一1:20「キリストは時代の終わりに現わされた」
(つまり諸クロノスの中の最後のクロノスに当たって)
ヘブライ1:2の「これらの日の終わりに」と同じ意味。
これらの用例から考えると、「終わりの日(単数)」等はハルマゲドン或いはその直前または直後を指すケースが多く
「終わりの日(複数)」等はハルマゲドンが目前であると考えられる時期(聖書筆者たちはハルマゲドンが来るのは自分の生存中である可能性が高いと考えていたようです)を漠然と示す語であるケースが多いが、必ずしもそれだけとは言えないということのようです。
洞察の慎重な書き方が正解と言えるのではないでしょうか。
少なくとも「終わりの日(複数)」の始期を論議する根拠となる聖句はありません。
そもそもエスカトスとは終点を意識した言葉であり、始点は特に意識されていないのですから、当然のことですが。
尚、英文新世界訳では(英語の特徴からして)単数の日(day)と複数の日(days)は明確に訳し分けてありますが、日本文新世界訳はその点が不明確(単複をあまり意識しないのが日本語の特徴)で困ったものです。
日本語として少し不自然でもこのようなケースでは、days
は一々「日々」と訳して貰いたいものです。