小さな群とほかの羊

天的級と地的級で、聖書中の多くの表現、例えば、新しい契約に入った者、神のイスラエル、召された者、聖なる者、神の子、神の霊を受けた者、約束の相続人等々は、必ずしも天的級だけを指すとは限らず、天的級、地的級を含めた広義の神の民を指す語であろうと主張してきました。

では協会が天的級の代名詞として頻繁に用いる、「小さな群れ」、「油そそがれた者」、或いは地的級の代名詞として頻繁に用いる「ほかの羊」、「大群衆」等の語の聖書中の文脈を考えて見ましょう。
これらの語は果たして天的級や地的級のことを指しているのでしょうか。
油注がれた者は別途取り上げましたので、ここでは「小さな群れ」と「ほかの羊」について論じます。


小さな群れ

「恐れることはありません、小さな群れよ。あなた方の父は、あなた方に王国を与えることをよしとされたからです」(ルカ12:32)

文脈から見て、ここでの小さな群れは弟子たちを指している(ルカ12:22)のは確かであり、彼等は天的級を目指して懸命に努力していたと思われます。

しかし、王国という言葉は元々「王の支配」を意味する言葉であり、次いで「王の支配の及ぶ範囲」を意味します。

神の王国、イエス・キリストの王国は天地にまたがっているので、王国を与えられる(或いは受ける、受け継ぐ)と言っても、それが王国の天の部分を指しているのか地の部分を指しているのかは一義的には決まらず、文脈から判断するしかありません。

マタイ25:34では「羊」級に対して「王国を受け継ぎなさい」と言われています。
一方、「肉と血は王国を受け継がない」(コリント第一15:50)と言う記述もあります。
前者は王国の地の部分、後者は天の部分を指していると言えるでしょう。

問題のルカ12:32は12:31に続く部分であり、そこではマタイ6:33と同じくひたすら神の王国を求めて行けば、物質的な必要物は天の父が与えてくださるのだから思い煩うなと言う教訓が語られています。

もし天的級を目指すのなら、そのような生き方をしなければ無理ですよ、という意味に取ることはできますが、ここで小さな群れイコール天的級と見なすのは飛躍があるのではないでしょうか。

小さな群れとは一つの級を意識して言われたのではなく、22節の目の前にいた「弟子たち」が15節の「人々」(つまり、13節の「群集」)に対して少人数であったから、呼び掛けの言葉として「あなた方」と言う代わりに自然に「小さな群れよ」と言われたに過ぎないのではないでしょうか。

ここに大きな意味を託するのは無理があるように思います。


ほかの羊

ヨハネ10:16

「「また、わたしにはほかの羊がいますが、それらはこの囲いのものではありません。それらもわたしは連れて来なければならず、彼らはわたしの声を聴き、一つの群れ、一人の羊飼いとなります」

協会の主張は勿論、「この囲いのもの」は「小さな群れ」で天的級、「ほかの羊」は地的級と言う解釈です。

塔 84 5/15 11ページでは、ヨハネ10:1の「羊の囲い」の意味を、従来のアブラハム契約を表わすとの解釈から、律法契約を表わすとの解釈に変更したことが説明されています。

そして、明示されていない(この文脈(ヨハネ10:1−18)の中で明示されている囲いは1節の囲い一つだけです)もう一つの囲いがあり、それは新しい契約を表わすとされています。

7節の戸口とはこの明示されていない囲いの戸口のことで、16節の「この囲い」とはこの明示されていない囲い(つまり新しい契約)だと言うわけです(同号の第二研究記事)。

確かにイエスはご自身を1節では戸口を通って入って来る羊飼いになぞらえておられ、一方7、9節ではわたしは戸口だと言っておられます。

従って、1節の戸口と7,9節の戸口はそれぞれ別の囲い(つまり律法契約と新しい契約)の戸口と考えるのは自然なことでしょう。

しかし16節の「この囲い」は、どちらの囲いを指しているのでしょうか。

10−15節でイエスはご自身を羊のために自分の魂をなげうつりっぱな羊飼いと描写しておられ、17,18節で再び自分の魂をなげうつと述べておられます。

このことから見て、7,9節の明示されていない囲いは、「この囲い」のものと他の羊を一緒にした一つの群れの属する囲いなのではないでしょうか。

つまり「この囲い」は1節の律法契約の囲いであり、明示されていない新しい契約の囲いは「この囲い」の羊と「ほかの羊」が一つの群れとされたものが属する囲いを表わしていると思われます。

ちなみに新世界訳の相互参照では、16節の「この囲い」に対して1節を参照させています。

また16節の「この囲いのものではなく」は直訳では「この囲いからの(エク)[もの]ではなく」であり、この囲いから連れ出されたものではなくというニュアンスが濃厚です。
囲いから連れ出すことに言及されているのは1-4節ですから、いよいよ「この囲い」は1節の囲い、つまり律法契約ということになるのではないでしょうか。

さらに10:16には、「彼ら(文脈から見てほかの羊のことでしょう)はわたしの声を聴き」とあり、10:3にも「羊はその声を聴き」とあります。
この囲いの羊(10:3)もほかの羊(10:16)もりっぱな羊飼いの声を聴く、つまり識別するということではないでしょうか。
共にその声を聴くゆえに一人の羊飼いに従う一つの群れとなるのです。

ですから、「この囲い[から]のもの」である羊は元々律法契約にいた生来のイスラエル人出身のクリスチャン、
「ほかの羊」は律法契約出身者ではない諸国民からのクリスチャン(クリスチャンとは新しい契約に入れられた者)を表わすことになります。
(エフェソス2:14「[キリスト]は二者を一つにし、その間にあって隔てていた壁を取り壊した方なのです」は同じ理解を示していると思います)

そして新しい契約等で詳説したとおり新しい契約は天的級と地的級を共に含むのですから、「ほかの羊」と地的級とは別次元の概念であるということでしょう。


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