黙示録の四騎手
啓示6:1−8には、いわゆる黙示録の四騎手に関する描写があります。
第一から第四の封印が開かれるにつれて出現する白い馬、火のような色の馬、黒い馬、青ざめた馬、そしてその各々に乗っている者たちです。
白い馬の乗り手は封印を開く者である子羊イエス・キリストご自身、続く三つの馬と乗り手は剣(戦争)、飢きん(食糧不足)、疫病(死の災厄)を表わすとされており、そのことには誰も異論はないでしょう。
問題は封印が開かれ、各々の馬と騎手が現れるのはいつかということです。
協会は当然のこととして、1914年を主張しています。
今年から4回目の書籍研究が始まった「啓示の書ーその壮大な最高潮は近い」は、1914年史観のオンパレードです(もっとも1914年オンパレードはイザヤの預言であれ、ダニエルの預言であれ、およそ協会の出版物すべてに言えることですが)。
白い馬が再び出て来るのは啓示19:11、14です。
この場面がハルマゲドンであることに疑問の余地はないでしょう。
しかし啓示6:4は啓示19:11に先立つ別個の事柄なのでしょうか、それとも19:11と同じことを言っているのでしょうか。
四頭の馬は第一から第四の封印に対応しており、第七の封印から七つのラッパが展開され、第七のラッパはすでに11章で吹き鳴らされるのですから、仮に時系列に忠実に叙述されているとするならば、19章は随分と後の事になるわけですが、、何しろ時系列は殆ど当てにならない啓示のことですから書かれている順番だけでは何とも言えません。
最初のいくつかの封印はオペラの序曲のようなもので、その後の物語に出てくる主要なメロディーがざっと紹介されているのかも知れません。
剣と飢きんと疫病が並べられた描写からは何が連想できるでしょうか。
(なお当然ご承知のことと思いますが、Wachtower Library の検索では、「飢饉」と「飢きん」と「ききん」は別扱いです。日本語版の不自由なところです)
エレミヤとエゼキエルには、この三つ組みがびっくりするほど多数出現しています。
エレミヤ 14:12; 21:7、9; 24:10; 27:8,13; 29:17,18; 32:24,36; 34:17; 38:2; 42:17,22; 44:13。
エゼキエル 5:12、17; 6:11,12; 7:15; 12:16; 14:21。
これらはみな絶滅的な災厄を表わしており、特にバビロニアによるユダとエルサレムの滅びに多用されています。
エレミヤやエゼキエルに親しんだ読者にとっては、慣用句と言えるような馴染み深い表現となっているのです。
啓示の読者には当然この連想が働いていた筈です。
しかるに、「啓示の書の最高潮」の本では、四騎手を説明したその16章の中でエレミヤにも、エゼキエルにも殆ど言及されていません(唯一地の野獣に関連してエゼキエル14:21が引用されている)。
協会も認めているようにエルサレムの滅びは、大艱難の前触れの予表ではなく、大艱難そのものの予表となっています。
とすれば、啓示6:2はそのまま素直にとって、「彼は征服しに、また征服を完了するために出て行った」のですから白い馬の乗り手及びそれに付随する他の三頭の乗り手が出て行くのは大艱難直前或いは大艱難勃発後ハルマゲドン直前と見るべきではないでしょうか。
さらに突き詰めれば、大艱難の前半部では艱難を引き起こすのは「野獣」を先頭とするサタン配下の諸勢力であり、大艱難後半部のハルマゲドンで始めてイエス・キリストとその天軍がこのサタン配下の諸勢力を壊滅させるのですから、白い馬が出て行くのはハルマゲドン直前と特定できるのではないかと思います。
つまり白い馬が出て行くのは、マタイ24:30の人の子の到来の事ではないでしょうか。
剣、飢きん、疫病が破滅的な猛威を振るうのは、ハルマゲドンにおける白い馬の活動の結果ということです。
新世界訳の相互参照は、この解釈の妥当性を認めているようです。
啓示6:2の「征服しに」のところでは詩編110:2「あなたの力の杖を、エホバはシオンから送り出して、[こう言われます。]「あなたの敵のただ中で従えてゆけ」」が参照され、
この聖句の「従えてゆけ」のところではマタイ24:30「又その時、人の子のしるしが天に現れます。そしてその時、地のすべての部族は嘆きのあまり身を打ちたたき、彼らは、人の子が力と大いなる栄光を伴い、天の雲に乗ってくるのを見るでしょう」が参照されています。
さらに「征服を完了させるために出て行った」のところでは啓示16:14「――全能者なる神の大いなる日の戦争に彼らを集めるためである」が参照されています。
(もっとも協会は、神の大いなる日の戦争はハルマゲドンでも、霊感の表現が全地の王たちのもとに出て行くのは1914年からだと言うかもしれませんが)。
(ついでですが、「霊感の表現」と訳されている語は原文では単に「霊」です)
このように、相互参照は協会の正式見解とは異なった解釈を可能にするような(つまり、より中立的な)参照がしばしば見られ、興味深いものがあります。
では、他の三頭の馬はどうでしょうか。
ハルマゲドンよりかなり早くから、剣と飢きんと疫病は猛威を振るっているのではないかと言う人がいるかもしれません。
確かに剣と飢きんと疫病は、各時代や地域で程度の差はあれ、全歴史を通じて人類に付きまとって来たと言えるのであり、第一次世界大戦から様相が変わったとするのは無理があるのではないでしょうか。
人口増加と特定地域への人口の局部的集中がこれらの災厄に拍車をかけていますし、交通、情報通信の発達が何かが起こった時その影響を直ちに世界的なものにするという傾向を助長しているのは否めませんから、現代の特徴と言えば言えるかも知れないといった程度のことでしょう。
大艱難、特に神が白い馬に乗ったイエス・キリストによって裁きを執行されるハルマゲドンの際には、それまで歴史上に多く見られた災厄とは質的に異なる災厄が臨むことを、この三頭の馬と騎手は示しているのではないでしょうか。
で結論としては、これら四騎手が乗り出す時点は1914年という過去のことではなく、ハルマゲドン直前という未来のことであろうと思われます。