Yahoo!ジオシティーズ ゲストブック 戻る  

  2009年8月8日 (土) 09時05分30秒
[名前] :   マロンmarron
[件名] :   読後感
[コメント] :   はじめまして。
現役のエホバの証人です。

何故、このサイトに行き着いたのかよく覚えていませんが、読んでゆくうちに引き込まれてゆき、結局、一気に読ませていただきました。精読していないので、理解に不十分な点があるかもしれませんが、結局、現在の協会の教理のうち、

1)1914年が、臨在の始まりであり、終わりの時の始まりであること
2)クリスチャンには天的級と地的級が存在すること
3)任命された「奴隷級」とは天的級の一部である統治体であること

という現在の協会の3本柱ともいうべき教理が、そもそも間違いの始まりであることが展開・指摘されていると思います。
貴方の「広義の神の民」説に立脚すれば、ほとんどがリーズナブルに解決するようにみえることにも新鮮な驚きがありました。
よろしければ、再度、精読しながら、個別事案については、少し意見など述べさせていただき、論議を深めてゆくことができればと思っております。

その際はよろしくお願いいたします。
[コメント(続)] :   
[コメント(続々)] :   
 
 
  2009年8月8日 (土) 19時01分51秒
[名前] :   sonotokisiran
[件名] :   Re:読後感
[コメント] :   マロンさん

ご投稿有難うございました。

「個別事案については、少し意見など述べさせていただき、論議を深めてゆくことができればと思っております。」
とのことですが、
個別の問題についてのご意見をお寄せ頂ければ、本当に嬉しいです。

楽しみにしておりますので是非引き続いてのご投稿をお願いいたします。


わたしのスタンスは前書きに記した通りです。
どのようなご意見であっても誠実な関心から出たものであれば、大歓迎です。

共に聖書から論議を深めて行きましょう。
[コメント(続)] :   
[コメント(続々)] :   
  2009年7月23日 (木) 16時38分54秒
[名前] :   n
[件名] :   百害あって一利なし
[コメント] :   と記述されていますね。

このサイト運営の成功を測る手段として、

(試みが成功したかどうかは第三者の判断によることです)。

といっておられますね。

第三者とは、誰ですか???

それが、エホバ神意外なら、結局あなたの価値観というのは、人に認められることにかかっているのではないでしょうか。

コリント第一 8:1
知識は[人を]思い上がらせるのに対し,愛は[人を]築き上げます。


このように小異と題して、何も築き上げることなく、ただただ、ものみの塔協会と自身の見解の違いを書いて、何の意味があるのでしょう?

それが、神のご意志なのでしょうか?

あなたの文章を読んで、建設的な思いをもてるようになることは、皆無でした。


小難しい批判的な内容が並び、だから、結局ナンナンでしょう?というのが、正直なところです。

エホバ神が、あなたを用いて、このような意味のない文章を世界に発信しているとは、同考えても、信じられないです。

あなたは、エホバ神に信仰を持っておられるのでしょうか?

もちろん、はい というのでしょうが。。。
[コメント(続)] :   
[コメント(続々)] :   
 
 
  2009年7月23日 (木) 23時16分52秒
[名前] :   sonotokisiran
[件名] :   Re:百害あって一利なし
[コメント] :   nさん
ご投稿有難うございました。

「(試みが成功したかどうかは第三者の判断によることです)」
ですが、第三者とはその問題に関心を抱く人々という一般的な意味でしかありません。
またこの括弧内の記述は学問の世界の一般論に触れただけのことです。


エホバ神の名を安易に持ち出したくはありません。
「神のみ前に明らかでない創造物は一つもなく、すべてのものはその目に裸で、あらわにされており、この方に対してわたしたちは言い開きをしなければなりません」(ヘブライ4:13)という厳粛な事実があるだけですから。


「築き上げる」と言う言葉でどんなことを考えておられるのでしょうか。

わたしにとって「築き上げる」とは、まず使徒17:11のように自分の得た情報を「それがそのとおりかどうかどうかと日ごとに聖書を注意深く調べる」態度を強化することです。

真理に対する正確な知識が、真理(とそれを啓示してくださった神およびイエス・キリスト)に対する信仰を築き上げるのだと信じているからです。
[コメント(続)] :   但し小難しい事を理解できる背景に恵まれた方は(このサイトはそのような方を対象としています)、それを究明する事によりさらに築き上げられるわけですが、
そういう背景に恵まれなかった方(多分インターネットなどでこの種の情報を探されることはないでしょう)も、そういう小難しい事抜きで深い信仰を築き上げることが十分可能であることを何ら否定する者ではありません。

ご指摘のコリント第一8:1や13:2にあるように、愛は知識に勝ります。
もし真実の愛を示すことで、誰かある人の信仰を築き上げる事ができれば、それは知識を伝えることよりはるかに優れているでしょう。

残念ながらわたしにとっては現実の問題として、そのようなアプローチは夢のような話ですが。


インターネットは何でもありの世界ですから、自分に役立つサイトを自分で選べば良いだけの事だと思います。


具体的な内容でご異議、ご批判がありましたら、是非ご提示ください。
[コメント(続々)] :   
  2009年4月18日 (土) 16時37分31秒
[名前] :   同じ穴の狢(詩26:4)
[件名] :   なぜ?
[コメント] :   なぜこのようなサイトを公表されておられるのですか?

直接NYのGoverning Bodyに、主張されれば良いのではないのでしょうか?

Governing Bodyに批判的ですが、ご自身が得ておられるほとんどの情報は、元をただせば、彼らから会得したものですよね。つまり、彼らがいなければ、結局、あなたの批評もリサーチもなかったのかもしれないのでは、ないのではないのではないでしょうか。

一番個人的に気になったのは、前607年のことですが、
結局のところ、マタイ 24:36が真実だということでしょう。

私達は、どのみち、忠実で思慮深い奴隷が必要です。ノアの洪水の時代、ノア無しで、誰が、洪水が起きることを知ることができたでしょう???

もう一度お願いします。このWebsiteを公表している理由を教えてください。
[コメント(続)] :   追記:
ご自身は、三位一体を擁護されておられるのですか?
[コメント(続々)] :   
 
 
  2009年4月18日 (土) 22時40分16秒
[名前] :   sonotokisiran
[件名] :   Re:なぜ?
[コメント] :   同じ穴の狢さん
ご投稿有難うございました。

なぜこのようなサイトを公表しているのか?

前書きで説明しているつもりですが。
舌足らずの点をお感じなら具体的にご指摘ください。

「彼らがいなければ、結局、あなたの批評もリサーチもなかった」
とのご指摘はその通りです。
そもそも聖書に対する関心自体が生じなかったかも知れません。

協会はわたしにとって養育係としての役割を果たしてくれたわけで、感謝しています。
恩師の学説に限界を感じた後進が、自分の学説を発表して恩師を越えようと試みるようなものでしょうか(試みが成功したかどうかは第三者の判断によることです)。

マタイ24:36が真実だということは、疑いようがないでしょう。
ですから、聖書時代以降のいかなる年代を定めようとする試みも無益だと思っています。
いくつかの聖句を組み合わせて答えが得られるのなら、24:36のようなことを言われる筈がないでしょう。
答えが得られたと思うなら、どこかで何かを誤解しているのだと思います。

前607年については、「エレミヤの70年」で詳述したつもりです。ご反論があれば、具体的にご指摘ください。
[コメント(続)] :   「奴隷級」に関しても「奴隷級と統治体」で述べているつもりです。
「奴隷級」で何が一番問題と感じているかも書いたつもりです。
これもご反論を具体的にご指摘ください。


三位一体については結論だけは前書きで述べているつもりです。
しかし詳しいことは何も書いていませんので、ご質問によっては新たに項を起こしても良いかと思います。


詩編26:4を名乗っておられますね。
この聖句は前書きでも指摘したとおり、一番やましさを感じる所ですが、現状では致し方ないと割り切っています。

引き続いてのご投稿をお待ちしています。
[コメント(続々)] :   
  2009年2月5日 (木) 12時12分37秒
[名前] :   オカメインコ
[件名] :   エホバ復元
[コメント] :   使徒7:60の「エホバよ、この罪を彼らに負わせないでください」は「主よ、・・・」訳出すべきではないでしょうか?
前節を見るとこの「主」は「イエス」であると考える方が自然のように思われます。
[コメント(続)] :   
[コメント(続々)] :   
 
 
  2009年2月5日 (木) 23時02分20秒
[名前] :   sonotokisiran
[件名] :   Re:エホバ復元
[コメント] :   オカメインコさん

お便り有難うございました。

仰る通り、ここも主イエスの意味だと思います。

ステファノは55節でイエスが神の右に立っておられるのを幻で見て、59節で「主イエスよ」と呼びかけ、60節で「主よ」と再び呼びかけているのですから。

誰を罪人として断罪するかはエホバの権限ですが、エホバをその業をイエスに委ねておられます。
イエスが天に挙げられてから以降は、人間に関するエホバの行為はすべて through イエスですから、ステファノが主イエスと呼びかけたのはごく自然なことだと思います。

「エホバ復元」の項は、エホバ復元が不適切と思われる事例を網羅する意図で書いたのではありませんので、まだまだ同様の事例は沢山存在すると思います。

ご指摘有難うございました。

他にもお気づきの点何でもご指摘ください。
[コメント(続)] :   
[コメント(続々)] :   
 
 
  2009年3月10日 (火) 10時53分53秒
[名前] :   オカメインコ
[件名] :   エホバ復元
[コメント] :   「新世界訳の実像」というサイトを見つけました。
とても良い資料でした。
[コメント(続)] :   
[コメント(続々)] :   
 
 
  2009年3月12日 (木) 15時45分45秒
[名前] :   sonotokisiran
[件名] :   サイト紹介
[コメント] :   オカメインコさん

サイトのご紹介有難うございました。

大部のものですので、オカメインコさんが特に共感された部分とか、わたしの見解を求めたいとお感じになった部分等ありましたら、項を改めてご投書下されば嬉しく思います。
(このゲストブックは新しい投書が目立つように出来ていないので、ここに引き続き書き込まれると目立たなくなってしまいますので)

ではよろしく。
[コメント(続)] :   
[コメント(続々)] :   
  2008年10月11日 (土) 14時23分21秒
[名前] :   ヒゼキヤ
[件名] :   家から家へ
[コメント] :   ごぶさたいたしております。お元気ですか。英語のサイトで掲記件名に関する論文を読みました。私訳を参考としてお送りいたします。まだ、日本語のサイトでは公開されていないテーマかと思います。レイ・フランズの著作にはとりあげられていました。吟味されて、もし、可能でしたら、小異雑記にもとりあげていただけるとうれしく思います。いつも勝手なお願いですが急ぎませんのでご検討ください。
[コメント(続)] :   
[コメント(続々)] :   
 
 
  2008年10月11日 (土) 20時24分07秒
[名前] :   sonotokisiran
[件名] :   家から家へ
[コメント] :   ヒゼキヤさん

久しぶりにご投稿を頂き有難うございました。
とても嬉しく思います。

本体の項目を増やすというより、ゲストブック上でお返事させていただきたいと思います。

2,3日お待ちください。
[コメント(続)] :   
[コメント(続々)] :   
 
 
  2008年10月13日 (月) 08時04分09秒
[名前] :   ヒゼキヤ
[件名] :   家から家へ
[コメント] :   早速のレスありがとうございます。漠然としたお願い文でしたので、補足させていただきます。想像ですが、協会はその初期からKJVの使徒5:42,20:20にあるhouse to houseを実質的にdoor to doorとして教義を確立しました。大文字版新世界訳脚注からも分かるとおり統治体員の中には真実に気付いている者もいるようです。しかし、house to houseの宣教をイエスや弟子たちによる宣教の模範、エホバの証人の業の聖書的な先例としてあまりにも強く打ち出してきたため(2008.7.15の研究記事でも)今更、変更はできないのでしょう。
[コメント(続)] :   せめて、「今日のエホバの証人の宣教は、初期クリスチャンたちの方法とは異なりますが世界中に良いたよりを効率的に広めるために戸別訪問をしています。」とでもしておけば・・・と思います。なお、パウロが使徒20:20で述べているのは、「公の場所においても、私的に個人の家の集まりにおいても」の意でしょう。
[コメント(続々)] :   
 
 
  2008年10月13日 (月) 14時44分08秒
[名前] :   ヒゼキヤ
[件名] :   家から家へ
[コメント] :   前回コメントの一部訂正です。
3行目:使徒5:42;使徒20:20
4行目:大文字版新世界訳使徒2:46の脚注
以上お詫びいたします。
[コメント(続)] :   
[コメント(続々)] :   
 
 
  2008年10月13日 (月) 19時08分42秒
[名前] :   sonotokisiran
[件名] :   Re:家から家へ
[コメント] :   補足有難うございました。その趣旨に沿ってお答えします。

参照資料付き新世界訳の使徒5:42の脚注では、「ギ語、カト オイコン。ここで「カタ」は対格単数形を伴い、配分的な意味で用いられている」、と説明しています。
そして一学者の「これ(ここでのカト オイコン)は配分的な、[家から家へ]の意味であって、単に副詞的な、「家で」の意味ではない」という注解を紹介しています。

また使徒20:20の脚注では、「「家から家にも」。または、「個人の家々でも」。字義、「また家ごとに」。ギ語、カト オイクース。ここで「カタ」は対格複数形を伴い、配分的な意味で用いられている」、と説明しています。
[コメント(続)] :   辞書で見ると「対格を伴う「カタ」にはいくつかの意味があるが、その中に配分的意義という用法があり、〜ごとに、〜ずつ、毎〜などと訳し得る」(若干表現調整)、と説明してあります。

ですからどちらの訳し方を取るかは訳者の文脈の解釈次第で、新世界訳の訳者は配分的な意味に理解し、訳文でも脚注でもそう強調しているということになります。


殆んどの訳者が配分的に訳している例にはルカ8:1等があります。

〜から〜へ、でも、〜毎にでも、或いは「家々で」のように単複の区別が曖昧な日本語ではっきりと複数にすることでも(単複の区別が厳格な英語などではevery を補っているようです)、配分的に理解していることを表現することは可能です。
[コメント(続々)] :   パウロが使徒20:20で述べているのは、「公の場所においても、私的に個人の家の集まりにおいても」の意でしょう」と仰っていますが、
わたしとしては、ここはやはり配分的に解釈する方が良いのではないかと思います。
(ついでですが、KJV,ASV,RSVを通じて使徒20:20の from house to house という訳文は変更されていません)

一軒残らずしらみつぶしにとは思いませんが、会衆発足前はパウロ自身も飛び込み営業のようなことをしたでしょうし、会衆確立後は今巡回監督が会衆成員の再訪問や家庭聖書研究に同行するような感じで、多くの家々を訪問して回ったのではないでしょうか。

これでご趣旨に沿っているかどうか自信はありませんが、不備な点はどうぞご指摘ください。
 
 
  2008年10月16日 (木) 19時43分50秒
[名前] :   ヒゼキヤ
[件名] :   家から家へ
[コメント] :   迅速な対応ありがとうございました。
[コメント(続)] :   
[コメント(続々)] :   
  2008年1月1日 (火) 23時19分13秒
[名前] :   ヒゼキヤ
[件名] :   大群衆
[コメント] :   はじめまして、深い、冷静な教理分析サイトの運営・管理有難うございます。
さて、資料の中に「大群衆」が含まれていないことが気になっておりました。特別な理由があるのでしょうか。ご存知だと思いますが、すでに、ジョン・ミッチェル氏の論文(英語)が公表されております。「大群衆」の実体についてはどのようにお考えでしょうか。
参考までに別途メールにて試訳(私訳)の資料お送りします。急ぎませんがご意見お聞かせください。
[コメント(続)] :   
[コメント(続々)] :   
 
 
  2008年1月2日 (水) 23時08分05秒
[名前] :   sonotokisiran
[件名] :   Re:大群衆
[コメント] :   ヒゼキヤさん、
ご投稿有難うございました。

大群衆については、一寸考えがまとまり難く、先延ばしにしているうちにいつの間にか日が経ってしまいました。

ジョン・ミッチェル氏の論文はたまたま承知しておりました。
的確なご翻訳をメールしてくださり有難うございました。

ナオス、ヒエロン問題については、彼の言う通りだと言うことをギリシャ語原文及び辞典で確認しております。

大群衆の実体についての私見は今月中にアップいたしますので、その節はご批判をお願いいたします。

ご提言いただいたお陰で、けりを付ける決心が固まりました。
有難うございました。

その他の問題でも、ご高評頂ければ幸甚です。
[コメント(続)] :   
[コメント(続々)] :   
 
 
  2008年1月15日 (火) 18時16分54秒
[名前] :   ヒゼキヤ
[件名] :   大群衆
[コメント] :   早速に「大群衆」をUPしてくださりありがとうございます。
これもご存知だと思いますが、「クリスチャンの自由を求めて」レイモンド・フランズ著13章付録717頁でも同様の結論のようです。塔80.11.15の記事はF・W・フランズによるものとされておりますが、組織存続のために、J・F・ラザフォードの思いつき教理の擁護記事を書かなければならなかった老フランズの胸中を思うと物悲しさを覚えます。老フランズ亡き後の補足記事96.7.1,98.2.1,02.5.1でも引き続き読者を「大患難を生きて通過する地的級」と持ち上げて、はぐらかす路線を変更しそうにありません。
[コメント(続)] :   前607年、1914年、世代同様、しばらく、静かに見守るしかないようです。
また、折をみて投稿させていただきます。今回はどうもありがとうございました。
[コメント(続々)] :   
 
 
  2008年1月15日 (火) 23時15分32秒
[名前] :   sonotokisiran
[件名] :   Re:大群衆
[コメント] :   ヒゼキヤさん、
早速のご感想有難うございました。

レイモンド・フランズが大群衆の実体について同様の結論を出していたとのこと、「クリスチャンの自由を求めて」を読んだことがないので、何も知りませんでした。
ご指摘有難うございました。
ついでに彼の結論を引用していただければ嬉しく思いますが。


「老フランズの胸中を思うと物悲しさを覚えます」と書いておられますが、
確かに彼がナオスとヒエロンに関する辞書的な知識を欠いていた等と言うことはおよそ考え難く、万事承知の上であの記事を書いたのだとすると、大変な苦渋だったと思いますが、なぜ潔く路線転換を図れなかったのか、
組織の牽引者自身が組織の被害者だったと言うのは本当に物悲しいことですね。


引き続いてのご投稿お待ちしています。
[コメント(続)] :   
[コメント(続々)] :   
  2008年1月1日 (火) 20時45分28秒
[名前] :   スザンナ
[件名] :   
[コメント] :   本年も どうぞよろしくお願い致します。


某サイトで、セブンス・アドベンティスト教団の教理の誤りについて指摘されていました。

セブンス・・・といえばラッセル兄弟が影響を受けた教会でしたね。いくつかの教理は同じようです。


ちょっと気になった点がございましたので引用します。
[コメント(続)] :   「エルサレムを再建せよとの勅令が出されたのは、ペルシャのアルタシャスタ王のBC444であって、アルタクセルクセス王のBC457ではない。おまけに紀元0年はないから、1年を引かなければならないのに、引いていないのでキリストが十字架で死なれた年が、その勅令が出されてから490年後のAD33としているが、実際にキリストが死なれたのはAD30である。BC444から69週後、すなわち1週を7年として、483年後、正しくキリストはエルサレムの町に入られ、公然とご自身がメシヤであられることを宣言された。そしてその後に十字架につけられた。ダニエル書第9章の預言のとおりである。」
[コメント(続々)] :   お尋ねしたい点

1.エルサレム再建の勅令年について
2.イエスの死亡年について
3.ダニエル9章の預言の適用について


急ぎませんので
すみません・・・
 
 
  2008年1月2日 (水) 22時22分48秒
[名前] :   sonotokisiran
[件名] :   Re:メシア出現の70週預言
[コメント] :   セブンスデイアドベンティストがどんな教理を持っているのかも知りませんし、引用された某サイトがどんな所なのかも知りませんが、
もしこれが協会の教理に対する反論だとしたらかなり的外れではないでしょうか。
多分協会の教理に対する反論ではないと思います。

申し訳ありませんが、引用された見解に係り合う気は起こりません。
[コメント(続)] :   
[コメント(続々)] :   
 
 
  2008年1月3日 (木) 03時17分36秒
[名前] :   スザンナ
[件名] :   70週預言
[コメント] :   早速の返信ありがとうございます

「某サイトで、セブンス・アドベンティスト教団の教理の誤りについて指摘されていました。」
(セブンスデイ でしたね)
協会への反論というよりは
単に知識がなく、特に預言は難しく
お教えいただけたらとおもいましたが、甘かったですね。自分で調べてみます。

ありがとうございました
[コメント(続)] :   
[コメント(続々)] :   
  
▲このページのトップ 戻る  

Yahoo!ジオシティーズ