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二三日前に実施した試験の答案が返された。M先生は最後に残った答案用紙をパラパラと手で振りながら、「鈴木の答案は名前が無いからゼロ点だ」といっている。啓太は「そんな!?」と思ったが、名前を書き忘れたのだ。啓太は中学三年になっていた。
高校入試はM駅から汽車で一時間のU市にあったが、M先生が付き添いで一緒だった。もう一人の友だちと試験を受けた後、先生と三人でU駅に向かって歩いていたが、啓太は何か落ち着かなかった。答案用紙に名前を書いたかどうか思い出せないのだ。ついに「先生、名前を書くのを忘れた。何とかしてくれ」と泣言をいい出した。M先生は「あとで聞いておくから心配するな」と言って、啓太を落ち着かせた。夕暮れ近いU駅前の大通りは賑わいを見せて、春の息吹を感じさせていた。啓太はこの時U高校に入りたいと無性におもった。
啓太はなんとかU高校に入学できたが、テストの多さには辟易した。中間、期末のテスト、高三になるとこれに模擬試験が加わった。「テスト始め!」の掛け声があると、啓太は答案用紙とにらめっこした、長い時は三分以上も続いた。何年何組と書き、続いて自分の名前を書くのだが、問題に移ろうとすると不安になって、氏名欄を見なおす。名前が書いてあるとホッとするが、しばらく経つと又、「不安になる」の繰り返しで、五、六分はあっと言う間に過ぎていく。問題を解いている途中でも答案用紙をひっくり返して、氏名記入欄を確認する。啓太の努力でこの悪癖は次第に改善されはしたが、大学受験でもこの名前確認作業は密かに行われた。
啓太は今でも「家をカラにして出かける時」この確認作業に悩まされる。台所のガス栓、部屋の電灯・エアコン、洗面所の水すべてを確認しないと不安で家を出られない。最近は今あったことも思い出せず、何回もこの確認作業をくり返す。家の鍵を掛けたかどうか不安になって遠くから家まで確認に戻る。啓太は「家から火を出さない」「泥棒に入られない」ために日夜努力している。
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高校の美術の時間、先生は「鈴木は絵はまあまあだが、他人の絵を見る眼は確かだよなあ」とみんなの前で何度も言った。その時は貶されたような、誉められたような複雑な気持になったが、啓太はいつの間にか「自分の美意識は確かなのだ」と錯覚するようになった。
啓太は「画商」気分で銀座の画廊やデパートの絵画即売会に頻繁に足を運んだことがある。バブルが始まるころである。啓太は「将来性のある画家の絵を安く買って儲けてやろう」と真面目に考えた。啓太は二年間に三十点の油絵を購入した。すべて女性を描いた人物画であった。着衣の若い女性もあったが、大部分は裸婦を描いたものだった。
これは多分に啓太の趣味によるものなのだが、啓太は「大体、風景画なんかここ二、三百年のもので古代から絵画といえば人物画に決まっている」と言って、人物画を探し歩いた。「日本には人物を描ける画家は殆んどいない」とも言い放っていた。
二年が過ぎたころ、バブルが弾け、絵画に向かった資金は素早く逃げ出した。絵の値段は大きく下落したのだ。それに何より無名画家の絵画を買うような酔狂な人間はいなかった。啓太の絵はすべてお蔵入りとなった。
弟の家の新築祝い一枚、娘の結婚祝い二枚、それに家の壁に二枚の計五枚が有効に利用された。家に飾るには風景画が良かったのにと大いに反省した。

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