蘇軾 −その人と生涯−
蘇軾は北宋(九六〇〜一一二七)の仁宗皇帝(在位一〇二三〜一〇六三)の世、
景祐三年(一〇三六)に生まれ、徽宗皇帝(在位一一〇〇〜一一二五)の
建中靖国元年(一一〇一)に生涯を閉じた。その生涯はおおよそ北宋の後半にあたり、ほぼ平和と繁栄の時代といってよい。
しかし、政治闘争が多く、蘇軾が官僚になったころには、
新法党(革新派)・旧法党(保守派)に分かれた激しい争いになっていた。
彼は、この政治闘争の渦に巻き込まれ、大臣にまでのぼり詰めた時期と、
海の彼方、海南島にまで左遷された時期とを経験するといった、浮き沈みの激しい生涯を送った。
父の蘇洵(一〇〇九〜一〇六六)、弟の蘇轍(一〇三九〜一一一二)はみな文学に秀でており、
老蘇こと蘇洵、大蘇こと蘇軾、小蘇こと蘇轍、あわせて三蘇とよばれ、
みな「唐宋八大家」(韓愈・柳宗元・欧陽脩・王安石・蘇洵・蘇軾・蘇轍・曽鞏)にも数えられる。
蘇軾は眉州 眉山(四川省 彭山県)に十二月十九日午前六時、蘇洵の子として生まれた。
字を子瞻といい、後に自ら東坡と名乗った。蘇軾が八歳で小学(寺子屋のようなもの)に入ったのは、
もちろん科挙を受験するためであって、それは父蘇洵が、何度も科挙をうけながらも及第できず、
ついに諦め、二人の息子に夢を託したためであった。