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第1回 「幸」と「福」
(2004年12月18日)

人生には厳として法則がある。
因(始)があれば果(終)がある。
終始するところがある。
古人は「幸福」ということを厳しく論じております。
我々は幸と福を一緒に使っておりますが、同じ好事でも我々の
苦心努力によらずして、偶然他から与えられたものを「幸」とい
う。
たまたまいい家庭に生まれたとか、思いがけなくうまいめぐり
合わせにぶつかったとかいう、これは幸。これは当てにならな
い。
そうではなくて原因を自己の中に有する、即ち自分の苦心、自
分の努力によってかち得たる幸いを「福」という。
福という字がそれをよく表しておる。
示す偏というのは神さまのことだ。
示というぼは上から光がさしている、神の光、叡智の光を表
す。
旁(つくり)は「収穫を積み重ねた」という文字だ。
農家でいうならば俵を積み上げるという文字。
神の前に蓄積されたるものが「福」である。
『知命と立命』 安岡正篤著

運とは
蓄積のあるところに
偶然にチャンスが訪れること。
セネカ
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