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関連原本:日英協約ヲ改訂ス http://www.archives.go.jp/ayumi/kobetsu/m38_1905_01.html 明治38年(1905)8月12日、日英同盟協約が改訂・調印されました。適用範囲をインドまで拡大し、韓国に対する日本の保護権を承認するほか、従来の防禦同盟から攻守同盟に改め、イギリスのインド領有と防衛権を承認するなど、同盟の強化が図られました。掲載資料は、日英同盟を改訂する際の裁可書です。 データベース『世界と日本』 日本政治・国際関係データベース 東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室 [文書名] 第二回日英同盟協約 http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/pw/19020130.T1J.html [場所] ロンドン [年月日] 1905年8月12日 [出典] 日本外交年表竝主要文書上巻,外務省,241-242頁. [備考] [全文] 明治三十八年八月十二日倫敦ニ於テ調印(英文) 同年九月二十七日官報彙報欄(種類別に分類し纏めた報告)掲載 (訳文) 日本国政府及び大不列顛国(グレートブリテン/大英帝国)政府は、1902年1月30日両国政府間に締結セル協約に代わる新約款を以ってせんことを希望し、 (イ)東亜(東アジア)及びインドの地域における、全局の平和を確保すること (ロ)清帝国の独立及び、領土保全、並びに清国における列国の商工業に対する機会均等主義を確実にし、以って清国における列国の共通利益を維持すること。 (ハ)東アジア及びインドの地域における、両締盟国の領土権を保持し、並びに該当地域における両締盟国の特殊利益を防護すること。 を目的とする左の各条を約定せり 第一条 日本国または大英帝国において、本協約前文に記述せる権利、及び利益の中のいずれか危殆に迫るものあるを認めるときは、両国政府は相互に十分に、且つ隔意なく通告し、その侵迫せられたる権利または、利益を擁護せんが為に取るべき措置を共同に考慮すべし。 第二条 両締盟国の一方が挑発することなくして、一国もしくは数カ国より攻撃を受けたるに因り、または一国もしくは数カ国の侵略的行動に因り、該締盟国において本協約前文に記述せるその領土権または、特殊利益を防護せんが為、交戦するに至りたる時は、前期の攻撃または侵略的行動が、いずれの地において発生するを問わず、他の一方の締盟国はすぐに来たりてその同盟国に援助を与え、共同戦闘にあたり講和もまた、双方合意の上に置いてこれを為すべし。 第三条 日本国は韓国において政治上、軍事上及び経済上の卓絶なる利益を有するを以って、大英帝国は日本国が該当利益を擁護増進せんが為、正当且つ必要と認める指導、管理及び保護の措置を韓国において執る権利を承認す。ただし、該措置は常に列国の商工業に対する機会均等主義に反せざることを要す。 第四条 大英帝国はインド国境の安全に繋がる一切の事項に関し、特殊利益を有するを以って日本国は前記国境の付近において大英帝国がそのインド領地を擁護せんが為、必要と認める措置を執る権利を承認す。 第五条 両締盟国はいずれも他の一方との協議を経ずして、他国と本協約前文に記述せる目的を害すべき別約を為さざるべきことを約定す。 第六条 現時の日露戦争に対しては大英帝国は引き続き厳正中立を維持し、もし他の一国、もしくは数カ国が日本国に対し交戦に加わるときは大英帝国は来たりて日本国に援助を与え、共同戦闘に当たり、講和もまた双方同意の上においてこれを為すべし。 第七条 両締盟国の一方が本協約中に規定する場合に際し、他の一方に兵力的援助を与えるべき条件及び、援助の実行方法は、両締盟国陸海軍当局者において協定すべく、また該当局者は相互利害の問題に関し、相互に充分に隔意なく随時協議すべし。 第八条 本協約は、第六条の規定と抵触せざる限り、調印の日よりすぐに実施し十カ年間効力を有す。右十カ年終了に至る十二カ月前に両締盟国のいずれよりも本協約を廃棄する意思を通告せざる時は、本協約は両締盟国一方が廃棄の意志を表示したる当日より一カ年の終了に至るまで、引き続き効力を有す。然れども、もし右終了記事に至り、同盟国の一方が現に交戦中なるときは、本同盟は講和の成立に至るまで当然継続すべし。 右証拠として、下名は各々その政府の委任を受け、本協約に記名調印するものなり 1905年8月12日ロンドンにおいて本書二通を作る 大英帝国駐在日本国皇帝陛下の特命全権公使 林董 印 大英帝国皇帝陛下の外務大臣 ランスダウン 印 外務本省『外交史料 Q&A 明治期』 Question 1907年(明治40年)、日英同盟に基づいて日英間に軍事協定が結ばれたと聞きました。それはどのようなものだったのですか。 Answer 1905年(明治38年)に調印された第2回日英同盟協約には、軍事的支援の条件及び方法については両国の陸海軍当局者の間で協定するという規定がありました。日本政府は、1907年の伏見宮貞愛(ふしみのみや・さだなる)親王の訪英の機会に、この規定に基づく軍事協定締結を希望する旨英国側に伝え、その同意を得ました。伏見宮に随行した陸海軍の代表団は、同年5月29日より、英国側の陸海軍当局者とそれぞれ協議を開始しました。 陸軍事項については日本側西寛二郎(にし・かんじろう)大将と英国側リットルトン(Sir Neville Gerald Lyttleton)大将らの委員が、海軍事項については山本権兵衛(やまもと・ごんべえ)大将とフィッシャー(Sir John A. Fisher)元帥らが協議を行い、それぞれ議定書・覚書を決議しました。陸軍議定書は運送船や鉄道資材援助についての日本側要求を含む3カ条、海軍覚書は海軍作戦の本旨や保持すべき海軍力の水準の明確化など13項からなっています。 上記軍事協定締結交渉の記録は外務省記録「第二回日英協約締結一件」(松本記録)に収められており、また、関係文書が『日本外交文書』第40巻(明治40年)第一冊に収録されています。 http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/qa/meiji_05.html 第二次日英同盟と国防方針 - 防衛省防衛研究所 http://www.nids.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j5-3_3.pdf |