聖母マリア騎士修道院の始まり
歴史的背景

キリストが生まれそして亡くなった国は、イスラム教徒の手に落ち、第一回十字軍遠征までその手の内に残った。聖地においての一般的な宗教がイスラムであったにもお関わらず、パレスチナの聖域はキリスト教徒に未だ開かれており、赴きやすかった。数多の個別の、あるいは組織化されたグループが、イェルサレムの聖墓への巡礼を行っていた。巡礼のみならず、ほぼすべての西域のキリスト教徒の国々の商人たちも、東の商人たちとの交易を目的として、十字軍遠征の前の時代にパレスチナへと訪れた。
巡礼者と商人の、とりわけ病人にとっての喫緊の問題は、イェルサレムでの宿泊施設を見つけることだった。そのため、彼らの収容のために病院が建設された。聖母のあるイェルサレムの地域では、複数の宗教の療養院が設立された。特に、1099年に設立された聖ヨハネ騎士団は、こういった病院での奉仕に専念した。1099の年のイェルサレムのラテン王国の設立により、キリスト教徒は一層聖地へとくる無数の巡礼者たちを保護しなくてはならなくなった。この目的のため、テンプル騎士団が生まれた。
1099年のイェルサレム征服と同時に、多くのドイツ語話者の巡礼者と商人たちが聖都へとやってきたが、僅かなものたちしかラテン語、もしくはアラビア語をしゃべることができなかった。これこそが、おそらく商人であっただろうドイツ人夫婦が、1118年に自身の意図により病院を設立した理由であり、そこでドイツ語話者の国々から訪れた巡礼者たちは宿泊施設を見つけることができた。彼らはまた、聖母たるマリアへと捧げる礼拝堂も建設している。1187年のイェルサレムの陥落により、この病院は失われた。

ドイツ騎士団公式サイト 英語版ページ"Our Roots_Historical Background"

最終アクセス 2016/5/22
ブリタニカのアーネスト・バーカー(2011)だと、1118年ではなくて1143年のドイツ人による病院について、起源の中で触れられている。以下、引用ラフ訳。
チュートン騎士団、もしくはイェルサレムの聖母マリア病院騎士団は、十字軍から生じた三大軍事・宗教騎士団の一つである。テンプル騎士団と病院騎士団の後に生まれた、チュートン騎士団の始まりは第三次十字軍に遡る。実際の処、既に1143年にはイェルサレムのドイツの病院について私たちは聞き及んでいる(ケレスティヌス二世の認定はされなかった?)。しかし、アッコン包囲戦の物資欠乏と伝染病の最中の第三次十字軍遠征中に、最初の確かな騎士団の起源が表出する。 数年のうちにこの施設は、イェルサレムのドイツ人の為の聖母マリア教会と結びつくようになったと見受けられる。 そして、1198年の三月に(ハインリッヒ六世の十字軍計画の遺産として、この聖地には数多くのドイツ人が存在した)ドイツ人の為の聖母マリア施療院の同胞として立った軍と王国の偉人たちは、騎士団の将兵となった。

Teutonic Knights (English Edition) Ernest Baker
2003年初版のウィリアム・アーバンの著書、以下ラフ訳
最初の軍事騎士団はテンプル騎士団で、おそらく1118年に、熱狂的な信仰心に導かれて安全な故国から教会に奉仕するために集った一握りのフランス騎士たちによって創設された。彼らは修道院的というより同胞団に近く、自分たちのコミュニティに有益な奉仕を行っていた」
聖ヨハネ騎士団は、施療院としてより知られているが、これが二つ目の軍事騎士団である。彼らの設立はテンプル騎士団よりも早く、1080年ごろではあり、教皇の承認もすぐ後の1113年に為されたが、軍事的機能を持ち合わせるのは1130年代からと想定される。 その名が暗示する通り、彼らの元々の目的は十字軍と巡礼者に医療的な奉仕をもたらすことである。

”Teutonic Knights” William Urban

2007年出版「オスプレイ・メン・アット・アームズ・シリーズ」
12世紀初頭に、十字軍支配下のエルサレムにおいてドイツ人の病院は存在していた、しかしこれと第三次十字軍遠征時に設立されたドイツ人の病院とは繋がりはない。1198年の三月に新しい病院は、独立軍事騎士団として教皇の承認を得て、聖マリアのドイツ病院騎士修道院、チュートン騎士団の名でより知られる組織となった。
Teutonic Knight 1190–1561" WARRIOR 124<
Author: David Nicolle

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