日清戦争時のドイツの大衆
Rolf-Harald Wippich; In “Japanese-German Relations, 1895-1945

日清戦争後独仏露三国干渉で、日本が清国から得た旅順口含む遼東半島を返還させられた。
①自身が極東に進出する野望があった。
②露仏の接近を妨害したかった。
③南下政策でいずれ満州(遼東半島含む)を征服したかったロシアを、極東紛争に釘付けにすることで、ドイツの東側の国境にロシアが侵略を仕掛けてこないようにしたかった。

ビスマルクの消極的域外(欧州外)政策→ヴィルヘルム二世の積極的植民地主義の転換+清という西欧列強の獲物を初めてカラードの日本人が横取りしたという危機感+ロシアをアジア紛争で手いっぱいにしたい。そこで、日清戦争が対日政策のターニングポイントになり、皇帝は執拗に黄禍論を唱え始めるが、庶民は日本の勝利に興奮して戦勝の祝辞を多く寄せてきたり(アジアの真珠)、新聞で賞賛されたり(東アジアのプロイセン)で、必ずしも皇帝の意図と庶民感情は一致していなかった。

日本の勝利はドイツの大衆を興奮させただけではなく、彼らの意見を共感から、熱のこもった賞賛へとシフトさせていた。それはあたかも、最近の三国干渉への参加は、ただのヴィルヘルム二世の統治下のドイツの政治的な蛇行の新しい証明に過ぎないようだった。戦争の始めから終わりまで、政府のすべての人間はベルリンで皇帝その人をはじめとして、日本の側にいることをひけらかしていた。「日本の勝利をあたかもドイツの物であるかのごとく」
アルフレート・フォン・ヴァルダーゼーが明示したようによく知られた典拠によれば、日本の軍事遂行能力の魅力は「彼の幸運を願わないものは、愚か者か、意地の悪いものだけ」という確信をもたらすほどだった。
ドイツ社会民主党の帝国議員アウグスト・ベーベルは、1896年に国会でのスピーチで親日的な感傷を裏付けている。

中国と日本の間に戦端が開かれた時、報道機関の共感とそれに伴う全ての民意は日本と共にあったことは、何者にも否定できないだろう。日本に対する熱狂は、この小さな国の能力が、巨大な中国を排除し、一つ、また一つと戦闘に勝利するにつれて、昂揚した。いくつかのドイツの新聞は、こう寓喩を用いることを好みさえした。
『日本は、東アジアのプロイセンである』と。

日清戦争勝利への賞賛は、勿論、自分が教え込んだ「ゲルマンの美徳」を体現したことへの賞賛、自己投影を含んでいるものだった。
日本、或いは『東のプロイセン』を歓呼で迎えた。とりわけ彼の、自分によく似た尚武を愛する気質は、ドイツの眼前に自分自身の波乱に満ちた歴史の縮図として現れた。 ドイツは、プロイセンの軍事体系の卓越性の反映として日本を評価し、好意を持った部分もあったが、日本の達成したものへの正真正銘の賞賛もそこには存在していた。 ドイツは、強壮で大胆な日本を自分自身と同一視した。彼は、プロイセンの栄光ある過去に、再び生を吹き込む存在でもあったのだ。
帝を、「中国を打倒したもの」と見做すある書き手は、帝に読まれることを期待した詩を託した。縦読みをするとJAPANとなる。

Japanese Empire!
Asian's pearl you are!
Prussia says Hail to you!
All the world leans and supports your glory!
Now accept Germany's conglatulations!

大日本帝国!
まさにお前は、アジアの真珠。
プロイセンから万歳を送る。
世界のすべては、お前の栄光に惹かれ、支えるだろう。
今こそ、ドイツの賞賛を受け取れ。

陸軍省に寄せられた日清戦争処理への祝辞の内訳が、ドイツ‐161、オーストリア=ハンガリー-33、アメリカ-6、スイス-4、ルーマニア-2、ジャワ(オランダ領東インド)、1通が以下の通り、イングランド、フランス、ロシア、スウェーデン、デンマーク。

ドイツ人たちは、自分達(プロイセン)の教えを受けた日本が中国を打倒すことを、西洋文明による未開な中国への勝利と受け止めているものが多く、ドイツは自分自身の成果として誇りに思っていた。(教授した)ゲルマンの長所が日本に東アジアの伝統的な政治の中心である中国を打倒すことを可能にしたと考えた。

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