津波

1、TSUNAMI

1-1、津波の国

 つなみ“TSUNAMI”は国際語となっているほど日本では津波災害は多く、歴史上大きな災害を幾度となく、こうむっています。

 684年白鳳大地震は、記録にのこる最古の南海トラフでの巨大地震で、地震とともに津波でも大きな被害があったとされています。それから幾度となく津波は日本各地を襲いました。

周囲を海で囲まれた日本では、海岸に住む人が多く、地震による直接の被害に加えて、津波の被害が加わると最も恐ろしいものになります。津波は最大の殺人魔だとも言われます。津波研究家の山下文男氏によれば、記録に残っている歴史上の地震災害で、一万人以上の犠牲者を出した地震は八回あり、そのうち火災により大きな被害を出した地震は二回です。一つは、関東大震災で、もう一つは1847年(弘化4年)善光寺地震です。どちらも火災により大きな被害を出しました。その他の六回はすべて地震にともない大きな津波により一万人以上の犠牲者が出ています。
   
「津波」山下文男著 あゆみ出版1997年

 三陸地方はしばしば津波に襲われています。三陸海岸は、海溝型地震のおきる日本海溝に面し、リアス式の海岸は湾が深く狭くなっているため、その地形が津波を大きくする性質を持っています。そのため、地震学者今村明恒博士により、津波がおきやすく集まりやすい海岸として、津波常習地帯とよばれるほどです。

湾の奥が深くなるリアス式海岸は他にもあり、そのような津波常習地帯では津波をいつも警戒しなければなりません。

 あまり三陸津波が有名になったので、津波は太平洋側だけであり、日本海側には津波がないといった迷信がありますが、決してそうではありません。いまから20年前1983年日本海中部地震は、秋田県を中心に津波が襲い、遠足の小学生や観光客など、100人が津波の犠牲者となりました。

 海溝型地震の最大の地震だった宝永地震(1707年)による津波は、伊豆半島から九州の太平洋沿岸までに及び、大阪湾から、瀬戸内海各地も襲ったといわれます。この地震津波による被害は、2万人に上るともいわれます。

1-2、明治三陸大津波

1896年(明治29年)明治三陸地震津波は、大変珍しく、厄介な地震津波でした。地震による被害はほとんど無かったにもかかわらず、津波史上最悪の死者2万2000人以上という大惨事となりました。
 このとき沿岸での震度は3程度で、地震による被害どころか、ほとんどの人はまったく地震に気が付きませんでした。地震に気がついた人も、まさか津波がやってくると思った人はほとんどなかったようです。地震よりも、沖のほうから雷鳴とどろくような大きな音が鳴り響き人々を驚かせました。

 人々の判断を誤らせたのは、ちょうど40年前の1856年(安政3年)に大きな地震とともに津波が襲ってきた、安政津波があったからです。
 三陸沖でマグニチュードおよそ七・五の地震があり、震度5の強い地震が三陸地方でも感じられ、その後3メートルから6メートルの津波が襲ってきました。

 40年前の安政津波のことを記憶している人が、大きな物音に気づいて逃げようとする周囲の人に、「慌てることはない地震のまえにはかならず強い地震がある。この音は、海が荒れているに過ぎないと」言って押しとどめ、結果として避難が遅れ多くの人が犠牲になった例があったほどです。

 三陸地震津波の当日は旧暦の端午節句にあたり、しかも日清戦争帰還兵の歓迎花火大会で人が集まっていたところもありました。たいした地震でもなかったので、お酒が入って気も緩んでいたことでしょう。

地震の揺れに気づいた人もありました。自宅で祝い酒を飲んでいていつもとは異なる縦揺れを感じた巡査部長が、あたりの様子を見たがとくに変ったことがなかったので、再びお酒をのんでうとうとしたところ、急に10メートルから30メートル前後の津波が突然むくむくと盛り上がり、壁のような波が屋根のうえに押し寄せたといわれています。
  
「大海嘯記録」南閉伊郡海嘯記事より 上飯坂 哲 自費出版

 地震を感じた人は非常に少なかったのですが、海の方から砲撃か雷鳴のような轟音がとどろいたという人は多くいました。しかし、ほとんどの人が、津波だという叫び声や、ただならぬ物音に驚いたのと津波の怒濤をかぶるのが同時だったと証言しています。

遭難者の実話

 綾里村字湊に住んでいた医師木下良斎は遭難者のひとりです。当時の実情を次のように語っています。「午後八時半ごろだったが、大津波だ、という声を聞いて即座に席を立とうとしたがほとんど同時に、潮水は家の中をいっぱいにした。目を閉じ口をふさごうとする間も無く、体は家屋と一緒に山の方に押し寄せられた。2、3分過ぎたと思う頃、体は数回転倒されたと感じでいたが、今にして思うとこのとき潮水の引き際で、家屋は解体したときではなかっただろうか。このとき、自分自身も生きているのか死んでいるのかもわからず、まして、数分前に団欒していた妻や子の安否はまったく頭には浮かばなかった。ようやく気が付いて顔を上げたところ、あたりは真っ暗で自分の手の先もわからない。手を伸ばして周囲を探ったところ、材木と死骸は周囲にいっぱいあり、自分の体は半分泥に埋まっていた。物音がまったく聞こえないので、ためしに耳の穴に指をいれたら泥土がふさいでいたので、これを掻きだしたところ、たちまち周囲から泣き叫び助けを求める声を聞き、初めて万死に一生を得たことを悟った。そのときでも妻子のことは気づかなかった。こうして、無数の明かりが山畑にともり、叫び声はますます聞こえ自分の身はたいした傷も無いことがわかったが、津波が再び襲ってくることの恐ろしさに、他をかえりみる余裕も無く、丘の上に這い上がった。翌朝探したが、かわいい妻や可憐な子どもは家とともに跡形も無かった。」 
  臨時増刊風俗画報第120号 東京堂 明治29年

 2-2、ものすごいスピードと破壊力

津波は水深の深いところは速い速度で伝わります。沖ではジェット機並みのスピードで、沿岸に迫り、次第に新幹線なみのスピードなり、浅くなると海底の抵抗で遅くなり自動車の速さ程度まで遅くなるといわれます。

津波は一波二波と連続して何度も襲ってきます。また、津波は地震と違い、最初の波よりも第二波のほうが大きくなることが珍しくありません。それは、水深が浅くなって速度が遅くなった波の後ろから、追いついてきた次の波が、さらに駆け上るように押し上げて大きくするためです。

 また、湾内の地形により、波がぶつかり合って、急激に高くなることがあり、ますます大きな波になるのです。

 津波の破壊力を軽く見てはいけません。津波は高潮の大きいものがあがってくるのとはまったく違います。明治時代の書物には、「つなみ」を表す漢字が中国にはなかったため、「海嘯(かいしょう)」という字を使っていました。「海嘯」は津波など地形的にありえない中国で、高潮がさざ波のように押し寄せてくる珍しい様子に使われている言葉です。「海嘯」は観光地になるほどおだやかなもので津波とは全く別のものです。

津波の強さは川の急流のようなものだといわれます。日本海中部地震(1983年昭和58年)のとき、秋田県でも12名の釣り人が犠牲になっています。そのうち十三湖では6人が犠牲になりましたが、助かった人の証言によると、「いままで見たことも無いほど潮が引いた海から、盛り上がるように海水が溢れ出してきたのです。・・・・・・すぐ後ろを2メートル余りの大きな波の壁がすごいスピードで迫ってくるのです。もう無我夢中で走りました」
 
「橋まであと7、80メートルの地点まで逃げのびた人も、ついに足を濁流に掬(すく)われて転倒してしまった。」
 「大津波に襲われた」秋田県つり連合会編 1983年 自費出版 

このときの津波の高さはわずか50センチほどだったそうです。津波に襲われ必死に逃げたのですが、大の男が50センチの高さの津波で引き倒され押し流されて、ついには犠牲となってゆくのです。
 

津波は海草や、なぎ倒した家の材木をうちあげるだけでなく、巨大な岩を山の上に押し上げます。
 岩手県田野畑村羅賀(らが)には20トンもある「津波石」があります。明治三陸津波が海底の岩を海抜24メートル、海から360メートルのところまで持ち上げたものです。「津波」山下文男著 あゆみ出版1997年

 3-1 津波について間違った言い伝え

津波は複雑な性質と現れ方をするために、間違った知識や経験が伝わり、いざというときに助かる命も助からない場合があります。

次ぎのような津波に対する考えは誤っており、大変危険な考え方です。

 津波が来るときは必ずその前に強い地震がある。

 津波が来る前は必ず異常な引き潮がある。

 津波は地震のあとゆっくりやってくるので、慌てて逃げることはない。

 津波は、高潮のようなもので、たいした力は無いので泳いでも逃げられる。

これらの考え方はすべて間違っています。

正しい考え方を整理すると以下のようになります。

津波が来るとき必ずその前に強い地震があるとは限らない。

津波が来る前は必ず異常な引き潮があるとは限らない。

津波は早ければ数分でやってくる。

   津波警戒地域では、強い地震を感じたら、何も持たずに急いで高い所へ避難する。

   津波の破壊力は、すさまじいもので濁流に巻き込まれたらほとんどなすすべがない。

津波についての正確な知識と対処する方法は、四方を海に囲まれた日本に住む限り常識にしなければなりません。

しかし、津波はいつも同じように襲ってくるわけではなく、地形や地震のおきかたによって複雑な現れ方をします。そのため、なかなか正確な知識や対処する方法が伝わりにくくなっています。

津波災害の経験が断片的に伝えられたり、不完全に伝わるのは、津波災害が数十年に一度の災害であるため何度も経験することがなく、また誰もが経験するわけではないためです。また、津波を直接経験した人がほとんど全滅するという悲惨な状況が少なくないため、不確かな伝聞が誤って実体験として伝えられることもあるのでしょう。

津波についての不完全な言い伝えが、結果的に惨事をくりかえす原因となっています。

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