超個人的・旅コラム  〜播但線・加古川線

99.3.21

【パート3:ノスタルジック北条鉄道】

  ここ谷川でも、3分の乗りかえで加古川線に乗る。最近の個人的な傾向として、あわただしい乗り換えがホントに嫌になってきた。乗り換え時間が短いということはそれだけ便利であるということだが、しかし今回のような特に急がない旅においては、一つの乗り換えにしてもゆっくりしていたい、と最近よく思う。と、愚痴っていても仕方ないので、おとなしく乗り換える。加古川線のキハ47はワンマン改造のため、車両の端はロングシートになっていたが、運良くボックスシートを確保することができた。

  さて、以前にも加古川線に乗ったことはあるが、確か西脇市を過ぎたあたりで寝てしまっていたので、景色をはっきり見ていなかった。今回は特に眠らないように気をつけていたつもりだったが、日本へそ公園に着いたのを最後にまたしても記憶が跳んでしまった。乗り心地がいいからか、はたまた景色が単調だからかわからないが、また今回も睡眠列車にしてしまった。私にとって加古川線は鬼門であるようだ。

  谷川から約一時間。粟生に到着。ここで一旦降りて、第三セクタ−の北条鉄道に乗り換える。ここ粟生は加古川線の行き違い駅になっており、上りと下りが同じ時刻にやってくる。その時間に北条鉄道があわせて発車するので、乗り換え時間は短い(=便利)。

  ここでアクシデントが発生する。携帯電話の電池がここで切れてしまった。別に電話をするのには困らないが、この日はあいにく時計も忘れており、携帯電話の時計が唯一の頼みの綱だったところでのこの電池切れだ。これ以降の乗り換えの時間はわかっているので不安はなかったが、「時計の無い旅」は初めてなので少しドキドキする。

  加古川線の下り列車を待って、すぐ発車。北条鉄道のレールバス・フラワ1985は粟生を出てすぐ左へカーブし、田園地帯へと入っていく。このあたりは兵庫県小野市から加西市にかかるが、個人的にはなじみが薄く、山陽道があるくらいの認識しかないが、のんびりした車窓が続く。前身の国鉄北条線は、元は大正時代初期の開通であり、そのせいか、途中の駅は全て無人駅だが、よく見てみるとどの駅舎も年代を感じさせるものばかりだ。古めかしい木造駅舎や、駅名板にうっすら右並びの文字が消されているのが分かったり、ノスタルジックな想いに浸れるものが多かった。20分ほどで着いた終着の北条町もこれらにもれず、構内の規模は小さいものの重厚な駅舎が残っていて、思わず写真を撮ってしまった。意外にもこの北条鉄道はオールドファンの穴場なのかもしれない。

  北条鉄道を往復して粟生に戻ったのち、さらに加古川線を南下する。次の列車は混んでおり、立ったままで過ごす。しかし、立っていると車窓が見にくく、景色が良くない。特に古い列車になるとこれが顕著である。毎日乗る路線ならまだしも(あまり良くないけれど)、めったに乗らない路線ならば打撃が大きい。大きい窓の車両を造ってほしいなあ、と切実に思う。そうこう考えているうちに、厄神を過ぎ、加古川が近づいてくる。時間的に余裕があったので、日岡と神野に途中下車してから加古川に降り立った。加古川到着時はかなりの人が乗っているので、しばらくは加古川線も安泰だろう。しかし、加古川口の混雑がデータイムにもかかわらずあったので、ロングシート車が厄神までの区間列車だけに限定して使われてもいいような思いもした。(実際ロングシート車は加古川線に存在する。)

  加古川の中心街を少し散策したのち、そろそろ帰ることにする。新快速に乗ってもどうせ座れないだろうから、時間はかかるが普通(明石から快速)で帰ることにする。221系のクロスシートでのんびりしようか、と思っていたが、姫路からやってきた列車は113系だった。しかもボックスシートは何処も埋まっており、仕方ないので扉の隣のロングシートで落ち着いたら、いつのまにかウトウトしていた。

<パート4へ続く>

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