超個人的・旅コラム

00.5.6

パート1:発見・古都ではない京都

  「スルッとKANSAI・3Daysフリーチケットの旅」2日目である。ゴールデンウィークとはいえ、なかなか3日連続で休みが取りにくい昨今の私にとって、このキップは乗車日を任意の3日が選べる、というのがうれしい。この制度は他にはJRの「青春18きっぷ」くらいしかないのではないか。今後もこのキップが発売されるかどうかわからないが、ぜひこの制度は続けてほしい。

  さて今回は京都から攻めることにする。近鉄京都線(ここはエリア外)で竹田から京都市営地下鉄に乗る。毎日大学がある京都へは来るものの、地下鉄を利用することは滅多になく、この烏丸線も何年ぶりになるのだろうか。車内放送の声や駅の雰囲気などが少し新鮮に感じる。ただ、乗った車両が地下鉄の車両ではなく、普段乗っている近鉄からの乗り入れ車だったのが少しだけ残念だった。

  烏丸御池で烏丸線から東西線に乗りかえ、蹴上へ向かう。山科との間にある東山の中腹にあるこの蹴上は、地表からかなり深いところにホームがあるので、長いエスカレーターを延々と登ってあがってきたコンコース階から更に階段で地上まで出なければならない。近年運動不足の私にはとても階段で上りきる気力はなかった。もともと南禅寺への最寄り駅であり、また折りしも近くの蹴上浄水場のつつじが見頃で、普段は人影もまばらなこの駅も多くの観光客でにぎわっていた。

  しかし今日の私の目的はそこではなく、見に来たのは道を挟んだ反対側のインクラインである。今から約百年前に建設され、近代京都の礎となり、今なお京都の水源として使われている琵琶湖疎水のルートの一部で、東山をトンネルで抜けてきたここ蹴上から、山のふもとの岡崎の間に残った急勾配を、このインクラインと呼ばれるケーブルを使って舟を輸送することで、この勾配を克服した。その施設がここに保存されているのを知り、自分が土木工学を学んでいることもあり、また今学んでいる京都にとって、近代的な発展の中心といって間違いないこの琵琶湖疎水を一度この目で見ておきたかった。今と違い、外国人技師に頼りきりだった明治初期において、日本人のみの手で成し遂げた世紀の大事業を、百年の時を経て今こうして目の当たりにしている。この事業を推進した当時の知事・北垣国道は、半ば強引ともいえる手腕をふるい、多くの非難を浴びながらも、発展に必要不可欠なこの事業を起こした。しかもこの事業を指揮した田辺朔郎は、大学を卒業したての、今の私と大して変わらない年齢だったという。そういった人たちが、近代都市・京都を創生した・・歴史とはこれほどにもドラマティックなものなのか。この山のふもとの岡崎にある「琵琶湖疎水記念館」ともども、近代都市としての京都を知るのには是非おすすめするスポットである。(これに関連して、南禅寺の中の水路閣も私のお気に入りの場所である。)

  さて、せっかくフリーチケットがあるので、先にコマを進める。こういうフリーチケットの旅のとき、どうしてもずっと列車に乗らなければソン、という意識がいつのまにか私の中に芽生えている。結果として沿線の観光が若干おろそかになることもしばしばある。単に私が貧乏性なだけだろうか。

  東西線をさらに先に進み、終点の醍醐まで行く。駅はバスターミナルとともに駅ビル「パセオダイゴロー」の中にあり、店も多数入っている(郵便局もあった)。駅前に大規模なマンションがあり、さらに現在も追加建設中であるらしい。駅と直結したマンションは何箇所か見られるが、確かに利便性の視点から見れば最高のロケーションではある。しかし行動範囲が駅まで、あるいは駅周辺しか広がらなくなる可能性もはらんでいる。日常の行動として、駅までのある程度の距離を歩くだけでも、気分がよくなったり、何かを発見したり、思いがけないことがいろいろあることは誰でも認めるところだろう。もちろん単純に遠い、時間がかかる、しんどい、等の理由もあるし、毎日何か刺激を受けるというわけでもないが、このような機会が利便性の追求のもとに消されてしまうのもどうかと思う。便利さを追求するあまり、かえってゆとりを失ってしまうのではないか。駅直結のマンションを見るたびに、私はそう感じてしまう。

<パート2へつづく>

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