遠い記憶 著者:chingtang
もうずっと昔の事だから、暑かった日か寒かった日か、朝だったか昼だったか夜だったか。 ワスレタ・・・。
自宅の電話が鳴った、あの頃、積極的に受話器を取る事は無かったはずだから家族に呼ばれたのだろう
「辻君から電話だよ」
またろくでもない事だろう・・・それだけは確かだが、慌てて受話器を取る。
「おぉ・・・暇?」 「そうでもないよ」 「そうか・・・あははは、ドラムやんない?」
彼の電話はいつも単刀直入だった、気を使っているようでそんな事は微塵もない。
要するに暇かどうかはどうでもいい事で、僕は「どうしても」ドラムをやらねばならないのだ。
旧知の仲とはいえいささか失礼な奴ではある・・・が、決して腹立たしくもなく「いいよ」と答えるのである。
音楽で繋がるなんて事は、本来これでいいのだと思う。
理屈をこねるからややこしくなる、人間関係でどうのこうのは、ここにだけは無しでいて欲しい!
当時そもそもLIVEが目標とかではなかったような、最初からスケジュールに有ったような・・・。
とにかく彼の意思によりメンバーは集められた。
主だったメンバーは当時彼の在籍する大学の仲間達、そしてベーシストに抜擢されたのは
なんと旧友、吉田正義だった!(彼が楽器を手にしていたのは初耳だった)
ううむ、これは強力な布陣だ!はっきりいって「参りました!」
辻と吉田は僕にROCKを教えた男と、ビートルズを 知らしめた男だ。
それま僕は、南沙織が大好きだった(爆)
結成当時はみんな学生、僕だけ社会人だったな。
まあ、今考えても有り得ないメンバー構成だが、僕には解っているのさ。
まわりにドラマーがいないんだろ? なんでだろうね、みんなギタリストだったね当時。
ドラムは残った者がやりなさい!みたいな感じ?でも、 僕は喜んでやるよ。そもそも僕の原点がそこにあるからね。
ともあれ、こうして「もりもり」の活動が始った訳だ。
しかし、彼の友人長尾氏、高野嬢と初顔合わせのスタジオでやったのはROCKとは程遠い、当時流行の曲であった。
まだデビュー間もないサザンオールスターズとかPRISMとか・・・。
なんか納得いかなかったのだが、高校時代をピークに、ああ、こうやってバンドとか青春とかって失ってゆくのか・・・
と、物思いにふける社会人1年生には、既に回帰に近いものがあった訳だから、PLAY出来るならそれで良しである。
(後にこの時の体験が仕事をしながらBAND活動をする事を当り前に出来る僕を作ってくれたとも言うが)
バンドはなぜか、六本木のS−KENスタジオでリハーサルを重ねる。
あの「東京ロッカーズ」伝説のS−KENでサザンである・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
それはともかくバンドは既に決まっているライブに向かってリハーサルを続けた。
そして都下ひばりが丘のレンタルホールで初ライブ(ここは「ジュンスカ」も一時拠点にしていた場所)
しかしどうしてだろう、そのライブを限りにバンドは活動を停止してしまった。
いや・・・それは多分簡単な事、辻が飽きて連絡してこなくなっただけ。
そんな辻が25年振りに連絡をよこした。
「おぉ・・・暇?・・・そうか・・・ドラムやんない?」
誘い文句は当時と同じ(爆)
四半世紀振りにスタジオに集ったメンバー達。
当時の思い出やそれぞれのそれからをなぞるように演奏されたのは「いとしのエリー」
それは当時の演奏をはるかに上回る物で(笑)完璧の出来だった!
それに気を良くした訳ではないが、4つの歯車は油を注しながらゆっくり噛み合い、回り始めた・・・。
「いとしのエリー」を封印して・・・・(笑)
どうせやるならLIVEしようよと発案!
過去の経験をフルに生かして出演者もお客さんも対等でアットホームな企画を立てた。
With My Old Friends & Music Night がスタート!
それぞれの友人が一堂に会す素敵な場になった
が・・・
Vol.6を最後にリズム隊員、吉田正義脱退! 嫌なものは嫌なんだから、俺は止めない。
楽しめないなら音楽じゃない!
現在、Vo.Gの長尾がベースにコンバート!トラブルにもめげず走り続けている!
Keyにドクタートシを迎え入れ再び4人編成となったのも束の間、辻の欠場で最新のLIVEでは
ピアノトリオな編成でちょっと大人っぽくジャズっぽく演奏してみせた(笑)
ここを繰り返し読んでくれてる人もいないだろうが、次回節目の第10回のLIVEで、スクエアスツール
は再び活動を停止する事を決めた、一言ではじまったBANDは、一言で終るのだな。
つまり第10回にしてラストライブと言う事になり、イベントも今回限りで終了となる。
こんな事はこんな場所にひっそりと知らせておくのがいいだろう・・・。 2009.8.6.