気候と人間模様
1 はじめに
昔の気候はどうなっていたのでしょうか。地球が誕生して約45億年,その間地球の
大気環境,気候は大きな変化と変動を繰り返してきたことがいくつかの科学的方法
により分かっています。
気候変動のメカニズムについて「新生代の気候変動」のところで話したように,
かなり解明されましたが,まだ分からないこともあります。気候変動はどのぐらい
の時間スケールの変動を考えているかで話は違ってきます。
例えば,恐竜が生息していた中生代の気候変動については数千万年から1億年ぐらい
の時間スケールで変動のメカニズムを考えねばなりません。
図1を見て分かるように,約1万8000年前に最後の氷期がピークを迎えた。
そして,1万4000年前ごろから気候は温暖化に向かっていったことが分かります。
最後の氷期が過ぎた後,現在までを後氷期と呼ばれている。
しかし,図1をよく見ると一様に温暖になったのではないことが分かります。
変動幅は小さくなるが,温暖な気候と寒冷な気候をくりかえしてきています。
その時間スケールは千年から数百年であり,気温は現在より1〜3℃高かったり,低かっ
たりしました。
しかし,その変動の原因やメカニズムはよく分かっておりません。海洋の深層循環は
約2000年ですので,海洋の変動と多いに関係があるのかもしれません。
「新生代の気候変動」で述べたことですが,特に1万2000年前の寒の戻り(これを
ヤンガードリアス期という)は,深層循環の異変と関係があると考えられています。
9000年前ぐらいになりますと,北半球での太陽放射量は極大値に達し,夏季に大陸
の日射が強まり,海洋との温度差が大きくなって,モンスーン活動を強めた。
(「新生代の気候変動」の図6と9)
ここでは過去6000年の気候について,気候変動のメカニズムを考えると言うよりはそこに生きてきた人間と気候の関わりに
ポイントを置いて話しを進めたいと思う。
2 ヒプシサーマル
サハラ砂漠は緑豊かだった!
紀元前6000〜3000年の間は最も温暖で,気温は現在よりも2〜3℃も高く,この期間を気候最適期またはヒプシサーマル
と呼んでいる。この時期には
熱帯収束帯が北上していたこと,
モンスーン活動が活発であったこと
などが古気候再現モデル(「新生代の気候変動」を参照)などによって確かめられています。
このためアフリカからアラビア半島,中近東および中国大陸は,現在よりずっと湿潤で降雨量も多く,エジプト,オリエント,インダス
などの古代文明が繁栄した。また,サハラは草原で覆われていたらしく,サハラ砂漠に狩猟の壁画の遺跡が残されている。
古代エジプトにおいてはナイル河が氾濫を繰り返すほど多雨であった。そのため天文や土地の測量術が発達した。
反対にヨーロッパの中緯度帯などは,亜熱帯高気圧が北偏したため,乾燥していた。
その後,熱帯収束帯の南下により,これらの地域のほとんどが亜熱帯高気圧帯になり,現在乾燥もしくはそれに近い気候に変わっている。
気候最適期では氷河は最も後退し,雪氷も融解したので世界の海面水位は,現在より数メートルも高くなった。
一方,氷床のあったスカンジナビアやカナダ北部は氷の荷重で氷期の間は地殻が沈下していたが,氷がなくなると,反対に隆起した。
これらの地域は6000年前以後最大で120mくらい隆起している。現在でも年に1cm 以上隆起しているところがある。
2 縄文海進時の気候
今の陸地は当時海だった!
日本の縄文時代は,約1万5000年前最後の氷期が去り,1万2000年前
ぐらいから始まった間氷期に合わせるように,開花していった。
ヒプシサーマル期は最も温暖で,今より2〜3℃気温が高くなっていたと
推定されている。
日本列島では,世界の氷床が融けたことにより
海面が上昇し,海水が内陸部まで侵入していった。
関東地方では海岸線が現在よりもはるかに内陸まで侵入していたし,
富山湾にみられる埋没林などのように,大陸棚が海に水没したところ
があった。
日本ではこの温暖な時期を縄文海進とよんでいる。図2に大森貝塚
などの貝塚分布から推定された関東平野の海岸線(東木 1926年)が
描かれている。
最近の発掘調査(北海道恵庭市のカリンバ3遺跡)により,ホオジロザメの
歯を用いた装飾品が発見された。約3000年前の北海道の海にはホオジロ
ザメが生息していたとすると,この当時,北海道太平洋側の海は温かく,黒潮が
北海道まで北上していたものと推定できる。
ヒプシサーマル期の日本の気候を調べたものがある。
図3は,日本国内の花粉分析から得られたデータをもとに,この期間の乾湿状況を図示したものである。
この図からヒプシサーマル期には,
北海道から東北地方の太平洋側は温暖・乾燥化していた
近畿地方以西の西日本では,瀬戸内海を除いて温暖・湿潤であった
ことが分かる。
また,東北地方の日本海側および関東地方と中部地方の乾湿状況は現在
とあまり変わらなかったと推定されている
この気候の違いは同じ縄文人でも食文化や生活習慣に日本の北と南西で
どのような違いになって現れていたのであろうか。
気候が人間に影響を与える意味で興味のわくところである。
関東以西の縄文人は主にコメ,ムギ,木の実を食料にしていたことが,
一方,北海道の縄文人は海産大型動物を食料にしていたことが,
人骨のコラーゲンの炭素・窒素同対比の分析により推定されている。
また,遺跡の発掘調査から
西日本には照葉樹林が発達し,
東日本は落葉広葉樹林が発達していた。
上に述べたことと関連して,
西日本では大規模な環状集落は存在した形跡はないが,
東日本には大規模な集落が各地に出現した。
これは落葉広葉樹林は木の実の採集量は照葉樹林よりも多く,生産性が高く,大規模な集落が可能であったからだと
推定されている。
ところで縄文時代の日本は,均一化した文化圏ではなかったと考えている。その根拠は気候風土の違いは,生活習慣や文化の違いに
反映されるからである。
今後の研究に期待したい。
3 ヒプシサーマル後の気候
大陸育ちの弥生人
紀元前2000年ころから少しずつ世界の気候は寒冷化に向かい始める。
この頃地中海にミケーネ文化が栄えた。おそらく穏やかな海洋性の気候にめぐまれたからであろう。
日本の弥生時代初期(紀元前500〜紀元後のはじめ)は寒冷であり,特に日本海側は降雪量が多かった。
気候の寒冷化とともに稲作・青銅器・鉄器を中心とする弥生文化が,縄文文化にとって代わることになる。
これを気候の観点からみると,
温暖な気候に慣れた縄文人は寒さに弱く,ある程度の寒さに順応で
きた大陸系の弥生人に負けてしまったといえるのではないか。
と言うのは大陸性の気候は海洋性の気候に比べて気温の変化が大
きく,それだけ大陸から渡ってきた弥生人は,寒さに慣れていたと
考えられるからである。
弥生人が大挙して渡ってきたのか,少しずつ移住してきたのか見解の分かれるところである。
歴史の教えるところによれば,民族の移動,文化の盛衰の背後には気候の変動がキッカケになっていることがたびたびあった。
それはともかく,どうして弥生人がこの時期に日本へ渡ってきたのであろうか。次のような推察ができるのではないか。
紀元前2000年前後から気候の寒冷化とともに大陸は乾燥化が
進行してくると稲作の収穫量が大幅に減少した。食料を確保する
ために,より湿潤温暖な地域をめざして,大陸の南方へいった集団
があり,東へいった集団があった。これらの集団のあるものが海を
渡って日本へきた。それが弥生人であったというわけである。
この点について,もっとはっきりした状況証拠がほしいところである。いずれにせよ縄文文化から弥生文化の移行
は比較的ゆっくり西から東へ浸透していったようだ。
民族大移動は気候変動がキッカケか
紀元前900〜西暦300年は湿潤・寒冷で,世界の氷河は前進し,海面も現在より,2〜3m低くなった。
紀元前1500年ころアーリヤ人がインドに侵入した。
中部ヨーロッパの大陸内部の気候が寒冷化し,食料が十分確保で
きなくなったため,温暖な地域をめざして移動していった。それ
がインドであった。
紀元前1200年ころ中部ヨーロッパにいたドーリア人も温暖な気候の地域をめざして南の地中海に侵入した。
これも豊富な食料を求めた結果であろう。
西暦400年前後ゲルマン民族が南に大移動したのは,
食料事情が大きな原因だったと考えられる。多分,ヨーロッパの
北部は寒冷・乾燥化が大きく進行したものと思われる。
人間は気候のみで行動するものではないが,気候に影響されるのは確かである。気候が変動すると,先ず植物が敏感に反応する。
次に植物に頼って生きている草食動物に影響が現れる。そしてその動物・植物に生活基盤をもつ肉食動物や人間に必ず影響
が及んでくるからです。
地球上の生命体は生物連鎖の関係にあり,頂点に人間がいると言っていいでしょう。
歴史の教えるところによれば,この大移動でヨーロッパの国々の原型が作られたということになっているわけです。
この期間日本ではどうだったでしょうか。
寒冷な気候のなかで(と言うより何百年も経過するとその気候に順応してしまう)稲作文化が日本に定着していった。
狩猟・採集文化から水稲文化の変遷は,日本人がそれまでの日本人であるところのものを根底から変えてしまった
ように思えるのです。
邪馬台国と言う国家らしき形態ができ,やがて本格的な国家形態を有する大和朝廷に代わっていきました。
国家が変わるわけですから当然その過程で集団間の争いがあったはずです。
気候の観点から見ると,
おそらく本州と北の蝦夷(北海道)とでは相当食料基盤が違って
いたと思われる。大和朝廷の影響力は稲作文化の浸透した地域ま
でであった
と推察できる。
水稲文化と狩猟文化の境界はどうであったか気候の違いの関係から探るのも興味のわくところである。
4 小最適期の気候
陽気に誘われてバイキングは西へ
図4に過去1400年の気温の変動が示されている。西暦600年ころ
から再び気候温暖になり始めます。700年〜1300年の間は世界的に
比較的温暖であったらしく,気候小最適期とよばれており,ヨーロッパでは,
気温は今より1〜2℃高くなっていた。
1000年ころノルマン人のバイキングたちは南ではなく西の海をめざし
ました。かれらはアイスランドの他に緑豊かな大きな島をみつけたのです。
グリーンランド(多分英名?),その名の通り当時は緑の草原だったので
しょう。氷河はずうっと北に後退していました。かれらはグリーンランド,
アイスランド,カナダの東岸にまで達し,そこに移住した。
グリーンランドとカナダに移住したバイキングは,その後どうなったので
しょうか。
1400年ころ気候が再び寒冷化して,生存力が減退したこと,エスキモー
との戦いなどによりグリーンランドとカナダ東岸のバイキングは絶えたよ
うです。住居地跡や遺骨が発見されています。
インカ文明はどうだったのでしょうか。アメリカ大陸の中央部は当時,緑豊
かで,水資源は便利な状態になっていたのでしょうか
宮廷文化は穏やかな気候のもとで
日本では気候小最適期にあたるのは平安時代といえます。藤原氏全盛時代に
源氏物語に代表される平安文化が開花しました。
気候が温暖で桜の開花は今日と比べてどうだったのでしょうか。「枕草子」や「源氏物語」などを検討してみると
おもしろいと思う。
その後,気候は冷涼になっていったようです。平安末期から鎌倉時代の文献にどんなかたちで,表現されているのか
興味が沸いてきます。
5 小氷期の気候
寒くなったヨーロッパ
西暦1400年〜1850年ぐらいまでは,比較的寒冷な気候で,世界的に気温が低く,この期間は小氷期とよばれている。
しかし,地域によって小氷期の時期に多少のずれがあるようです。北大西洋では気温が現在より1〜2℃ 低かったと推定
されております。そう考える証拠があるのです。
その当時,現在では一年中凍結しないバルト海やイギリスのテムズ川,
スペインのタホ川などの河川が毎年凍結し,数インチの厚さの氷で覆
われたことです。
また,ピーター・ブリューゲル作の冬景色(1601年)に現在ではふつ
う一年中凍らないオランダの運河が凍結している様子が描かれています。
その他,17世紀のヨーロッパの画家たちの絵にも、凍りついたような冬の景色が描かれている。
この小氷期の原因を太陽表面の磁気活動の減少と結びつける説
が提唱されてきた。
それは,太陽黒点数がこの期間,ほとんど存在しなかったからである。
図5には1300年以降における年平均太陽黒点数が示されている。
1700年以前のものは樹木の年輪中の炭素14 測定値やオーロラの
観測頻度などの間接的な資料からの推定値を太い実線で,オーロラ発現
指数を丸印で,年平均太陽黒点数を細い実線で描いてある。
近年注目を浴びたのが,19世紀末にマウンダーが発見し,
エディ(1976)が再確認した1645〜1715年までの70年間
に太陽黒点がほとんどなくなった黒点極少期(マウンダー極少期)であ
る。
エディはこれらの期間が小氷期にほぼ一致することから,太陽活動が
弱まった期間と考えた。
しかし,
なぜ太陽の磁気活動の変化が地球の気候に影響を及ぼすのかを
満足に説明できる仮説は,提唱されていない。
また,小氷期が世界的に同時に起こっていない
ことも指摘された。
ちょっとの気温の変化は社会の大きな変化
小氷期では,毎日が今より1〜2℃ 低いと言うことではないわけです。大事なことは
気温1〜2℃の偏差は,天候不順の頻度が大きくなる可能性が
増すであろうし,降水量や降水分布が時期的にも地域的にも大
きく変動して,異常気象が頻発する可能性が増すことです。
ちょうど小氷期の時期にフランス革命が起きました。革命のきっかけは,
2,3年つずいた異常気象のため穀物相場が高騰して,パンが
値上がりしたのが直接の原因
だと「気象と文明 NHKで放映」で言っております。
日本では江戸時代の
天明(1782〜87),天保(1833〜39)の大凶作などが起きました。
これらの凶作は天候不順や異常気象が原因だったことが分かっております。
いずれも夏涼しく多雨で,冬寒く,両国川や淀川が結氷したといわれている。
6 最近100年間の気候
15世紀から続いた小氷期は19世紀の中ごろに終わりになり,時期的に違いはあるものの世界各地の気候は再び温暖化に向かいます。
1920年代には北極海の氷が減少し,各地の氷河も後退し,シベリアの永久凍土も後退した。また,陸上動物や魚類が北方へ移動した。
図4によると地球の平均気温は,1900年代から1940年代はじめにかけて約0.6℃上昇し,その後下降に転じて1970年
までに約0.3℃下がった。さらに過去20〜30年間気温は明らかに上昇している。
詳しく分析するとこれらの変化は冬季に大きく,また,北半球の高緯度で大きいが,南半球では小さい。
これらの変化の原因は説明できるのか。結論から言うと,はっきりしないのである。
特に過去20〜30年間の温暖化の要因として温室効果ガスの一つである二酸化炭素の急激な増加が指摘されている。
数十年のタイムスケール以下で考えられる要因を並べるてみる。
気候システム内部の自己変動
火山活動
太陽活動
人間活動
最初の三つは自然的要因といってよく,最後のは人為的要因である。
人間活動のなかに温室効果ガス(水蒸気,二酸化炭素,メタン,亜酸化窒素,フロン)の放出が含まれている。
人間活動が太陽活動に影響を与えることはないが,これらの要因は独立に気候に影響を与えているのではなく,相互に関係している。
IPPC(気候変動に関する政府間パネル)の1995年の第2次報告書は
「識別可能な人為的影響が全球の気候に現れていることが示唆される」
と結論している。
追記
最近北極海ではほぼ九州の広さに相当する氷が毎年消えていることが,メリーランド大学など国際調査団による
衛生を使った調査で分かったと新聞に掲載された。
同調査団は1978年から北極海を衛生で観察してきた結果,このような急激な氷の減少は人間活動がもたらした
地球温暖化以外に原因は考えにくいとし,温暖化の原因は「自然現象」との説はほぼ否定されたと結論付けている。
これを編集するにあたって参考にした文献は以下の通りです。ここに掲載した図も
これらの書物から拝借しました。
「気候変動」日経サイエンス社
「気候変動」東京堂出版
「地球温暖化を防ぐ」NHKブックス
「縄文世界の一万年」集英社
ホームページへ