ハコあるいは歌

今まで「一言」に時に触れて書いてきた、山崎ハコやその他の、歌をテーマにした雑文をまとめた。私の趣味に関わる部分である。お口汚しにどうぞ。 新着

山口百恵「コスモス」

車に乗ると必ずラジオをつける。昨日はスイッチを入れたとたんに山口百恵のコスモスが流れてきた。

彼女が引退する寸前の曲だから、もう何年前の唄になるのだろうか。

この曲については、私に恥ずかしい想い出がある。

この曲には、「あなた」という言葉と「母」という言葉がでてくる。私はこの「あなた」を、ずっと父親を意味するものだと思いこんでいた。

それがふとしたきっかけに、この歌が母親と結婚前の娘の会話なのだということに気づいた。

考えてみれば、山口百恵自身が実の父親をほとんど知らずに育っている。そんな彼女の歌に、父親の影を見たのは、私の大いなる勘違いである。でもこれは私ひとりの錯誤ではないように思うのだが。

思い違いをした理由は二つあるように思う。一つはごく個人的なことだが、この曲が生まれたときにはすでに私が父親であったこと。私が父として聞いたのだろう。

もう一つは「母」という言葉と「あなた」という言葉とが、導くものが違うということである。「母」という言葉を口にする娘は、そこでは客観的・記述的個人である。精神的にも自立した個人として母親を見ている。

一方、「あなた」という場合は、母親に依存し庇護を求める幼い子供としての娘である。歌の中で主人公はめまぐるしく大人と子供の立場を入れ替える。だから

こんな小春日和の穏やかな日はもう少しあなたの子供でいさせて

という歌詞が生きてくるのだろう。

彼女には、引退などせずに大人の歌を歌ってもらいたかったと、今でも思う。どこかの監督夫人までライブをやる時代だから、本物の歌を聴きたいと思う。

浅川マキ「少年」

物心ついて以来、酔った父が私に話したことの大半は、昔の想い出話であった。昔の高等学校の話、昔の軍隊の話、昔の……。

よく考えてみると、父は30そこそこから昔話を繰り返す人間であったようだ。自分からすすんで選択した道ではない仕事に、成功も満足も出来ず、昔の甘美な想い出に浸る父。そんな父の悲しみを私は理解できなかった。正直繰り返し飽きずに聞かされる同じ話に辟易して、子供ながらに「昔はよかった式の話ばかりする大人にはなるまい」と思ったものだ。

そんな私でも、思わず昔の古い記憶を引き出して、甘酸っぱい思いに浸る瞬間がある。浅川マキの「少年」は、そんな曲だ。

この歌をはじめて聞いたのは、もう四半世紀以上前、大学病院のすぐ近くのアパートでだった。ここは、当時福岡市内をまだ走っていた、ちんちん電車の線路のすぐ横にあった。同棲中だった妻と二人で暮らしていたところだった。

70年安保に破れ、内ゲバに疲れ、仕事もしなければ大学にも行かない鬱状態の私に、電蓄というほうがぴったりくるレコードプレーヤーから聞こえる浅川マキの歌がぴったりした。

すでに少年ではなかった私だが、

町で一番高いところにかけてく頃はほんとに泣きたいくらいだよ

という歌詞に、思わず涙した。今にして思えば、私がとらわれていた正体のない不安感が、幼年期の終わりを歌いこむマキの声で揺さぶられたのだろうか。

特に昔が懐かしいわけではないが、今でもこの曲を聴くと、目が潤むような感覚が呼び覚まされる。歌ばかりはナツメロ一直線だ。

「白い花」

先日車を運転しながらラジオを聴いていたら、「○○さん(いかん。もう忘れている)の”白い花”です」と曲紹介があった。何気なく聞いていると、聞き慣れたあのイントロだ。

ハコがベストアルバムを出すときに必ずのるのが、「流れ酔い歌」「橋向こうの家」「気分を変えて」「織江の歌」そしてあの「白い花」だ。

私にはこの歌は、研ナオコが歌った「カモメはカモメ」と同じテーマの歌だと思える。

「白い花」に仮託されているのは、作者の友人であり、作者が密かに愛した男の恋人になっている。

お前のように咲きたかった、あの人の心の中で

というのは、悲しい嫉妬心であり、友の幸せを祈りながら、密かに恋に別れを告げる意味なのだろう。

ハコの歌を別の歌手がカバーしているのは、たしか「気分を変えて」ぐらいしか知らない。そのときもどこかのDJがとても失礼なことを口走ったのを聞き、腹を立てたことぐらいしか記憶にない。

ハコの透明感のある歌い方ではないが、とてもゆったりした編曲と歌い方で、こういう解釈もあるのだなと感心して聞き入った。

ただ失礼なことには、歌手の名前が我が灰色の脳味噌(ポアロにあらず)から消えてしまっている。どなたかご存じのたかがいらっしゃればご教示下さい。

nagataさん、Fujitaさん。ありがとうございました。カバーしたのは北原ミレイさんですね。

節操のない歌の好み

昨日は仕事が終わり、車で会議に出かけた。大分県のHIV感染者の支援をしているHIVケアネットワーク大分の月例会である。

車のステレオには都はるみの全集が入ったままになっている。彼女の初期の歌は、出世作=「あんこ椿」からしばらくは、正直言っていい曲がない。ヒット曲にめぐまれない時期、もっぱら「○○音頭」のような盆踊りふうの歌を歌っていたことがわかる。

すばらしい歌唱力だし、うまいのはうまいが、とても何万枚も売れる歌ではない。

このCDに替わって入れたのが、エラ・フィッツジェラルドとサッチモ=ルイ・アームストロングの競演のCDである。

こちらは、ゾクゾクするようないい歌である。エラ・フィッツジェラルドの伸びやかな歌い方と、サッチモのしゃがれた小粋な歌い方が対照的で、文句なしの楽しいアルバムだ。

我ながら歌に節操がないというのか、好きなジャンルがバラバラだと思う。

演歌では都はるみしか聞かないが、あとは浅川マキ、山崎ハコ、古いところではビートルズにアニマルズ、50年代から60年代のアメリカンポップス、最近ブラザース・フォーのアルバムも購入した。ジャズはビリーホリデイ、サッチモ、アートブレイキー……。

個々に思い入れがあるから、あちこち古いアルバムを引っぱり出す形で、新曲などにはとてもたどり着きそうにない。

(1999年6月24日記)

ハコの番組を見た

昨日は午前中がかなり忙しく、看護婦も二人が休んでいる状態で、ばたばたしたが、午後から急にひまになった。

あらかじめ録画するつもりだった番組だが、テレビの前に座ることができた。番組は「電撃黒潮隊」といい、ちょっと聞けば「アカレンジャー」「アオレンジャー」がでる子供向けのヒーローものと思われるだろうが、実は九州の民放が交代で作るドキュメントものである。

昨日は山崎ハコの再起を扱ったものだった。山崎ハコは大分県の北西部に位置する日田市生まれであり、そのためか大分放送が制作していた。

番組冒頭に「白い花」という私の大好きな曲が、「LP版に針を落として聞く」イメージにかぶって流れた。

20年近くハコの歌を聴いてきているが、彼女の顔はジャケットの中の写真(それに先日の「アエラ」のグラビア)でしか見たことがない。だから昨日の番組で、大げさな話だが、私は初めて「動くハコ」を見た。

所属事務所が倒産して無一文で放り出された話、皿洗いして糊口をしのいでいたエピソードなど、中身は「アエラ」の記事で知ったことが主だった。

昨日の話の骨格は、ハコの同級生が、日田で「帰郷コンサート」を企画。そこで彼女が30数年ぶりに日田に帰るということだった。

ハコにはふるさとをモチーフにした歌が多くある。「夢のオロロン」「うわさでは」「てっせん」(題は間違っているかもしれない。そのときはごめんなさい)など。

中でも「望郷」は帰る家を失った彼女の望郷の念がひしひしと伝わってくる歌だ。

いよいよコンサートの当日になり、ハコが高速バスで日田に帰郷する。会場は日田の文化会館である。会場内は満員の観客だ。

「同じ場所!」私はびっくりしてしまった。会場は先日私が高校生相手にエイズの話をしたところだ。私があがったステージでハコが歌っている。ひょっとしてハコが使っているマイクロフォンも私が使ったものかもしれない。

ほんとにただの「ミーハー」だが、なんだかすごくうれしくなってしまった。いつか彼女を呼んでコンサ―トをやれたらいいなと思うのだが、なかなか難しいだろうなと思う。

その昔左ハンドルの車にサングラス、口に葉巻をくわえるという馬鹿な格好で通勤していたこともあるが、そのころも山崎ハコと浅川マキを交代で聞いていた。

番組の中で「時代に取り残された若者のカリスマ」という紹介があったが、さしずめ私などは「時代に取り残された中年」なのだろうか。

おそらく複雑な思いで作ったらしい「望郷」から始まった、日田のコンサートは大成功だったようだ。ふるさとに帰ったハコは、本当にいい顔をしていた。

(1999年6月13日記)

山崎ハコと筑豊の想い出

1980年、二十台最後の年に、私はようやく念願の医師免許証を手に、はじめての勤務地である直方に向かった。

これは同じ福岡県人でないとなかなか理解してもらえないところだが、瀬戸内海沿岸に住む私にとって、海岸沿いである北九州や福岡に行く用事はたびたびあったが、内陸の筑豊地区に出かけるようなことはほとんどなかった。

福岡から特急バスで豊前に向かうと、途中飯塚と田川は通ったが、このルートから外れた直方が、どこにあるのやら知りもしなかったのだ。

はじめて勤めた病院は、遠賀川沿いにあり、抜けるような暖かい春の日には、土手は一面のコスモス畑に変わった。

駅前のロータリーには、炭坑夫の銅像があり、駅前商店街の中に点在する年代物の料亭や、お菓子屋の老舗などに、元産炭地の面影を尋ねることはできたが、よそ者の私の目には町は静かだった。

ここで私は多くのことを学んだ。人から信頼される喜びと、信頼に応える義務を刻みつけた。

時々外来に顔を見せるちんぴらやくざにへどもどし、うわばみのような看護婦さんたちと明け方まで飲み歩いたりした。人の美しさも醜さも、強さももろさも知った。

新人医師としてはいささかとうがたってはいたのだろうが、私にとっての青春だった。

仕事を始めて半年して、車の免許を取った。

車の中で聞くために、産まれてはじめてカセットテープを買った。一つはオフコースで、もう一つが山崎ハコのもの(たしか「飛びます」だったと思う)だった。なぜ買ったのかと問い返しても答えは出ない。ただ何となく、店頭にあったからとしかいいようがない。

オフコースの歌は美しかった。ただそれだけだった。

はじめて聞いたハコの歌に、私は腰を抜かすほど驚いた。私は、たかが三分やそこいらの歌が、あれほど濃密な情念やら、精緻な物語世界を生き生きと描けることに度肝を抜かれた。

ハコの伝説の一つに、彼女の声が、スピーカーを壊したというものがあるが、「飛びます」は確かにそんな破壊的な声の伸びやかさだった。

私の一番のお気に入りは「織江の歌」だ。

お金にゃ勝てんもん

夜の蝶

になりながらも初恋の彼に巡り会うことを夢見る織江の物語は、そのまま、旧産炭地で運命にあがらいながら生きている、私が仕事で知り合った筑豊の男女の姿そのままだった。

もちろん、香春岳、遠賀川、カラス峠と、私が次第に慣れ親しんできた風景が、流れるように歌いこまれてもいた。

好悪入り交じる感情で私は直方時代を振り返るが、医師としての第一歩をあの町で過ごしたかけがえない日々が、ハコの歌声とともに心に生き続けていることを知る。

(1999年4月26日記)

ビリーホリディーを聴く

真夜中に車を走らせるときは、NHKに限る。他の局はしゃべっている人間が独りよがりに面白がっているだけで、聞いている人間を楽しませようと思っていないのが気に入らない。

ラジオ深夜便のない時は仕方なくCDを聴くことにする。

昨日はスイッチを入れたとたんに、あのレディ―・ディー=ビリーホリディーの歌が流れてきた。

ジャズは本当はアナログのLPで聴くのがいい。私が音楽に目覚めたのは30台半ばで、すでにCDの時代だったが、体がふるえるほどの感激はレコード盤で古いジャズの名演を聴いたときに味わったのみだ。

ビリーホリディーのレコードも何枚かもっていたが、引っ越しのどさくさに紛れてなくなった。

今では10枚そこそこのCDをもっているだけだが、時々は引っぱり出して聴きたくなることがある。

有名なのは、南部でリンチされ樹につるされた同胞をうたった「奇妙な果実」だが、他にも「言い訳しないで」とか「レディー・イン・サテン」などほれぼれするようないい曲がたくさんある。最近も北九州に出かけてCDを一枚買ったし、その前も例のAmazon.comで全集をふたつ買った。

趣味にすこしは金を使おうと思う。今は私にとって人生最良の時だが、遊びが足りないように思う。

胆石症もやったし、死にかかったし、すこしはほっとする時間を作ろうと思っている。

今月末にはある有名な画家の版画もくる。その前でビリーホリディーを聴いてみるのもいいかなと思う。

(1999年6月7日記)

「木綿のハンカチーフ」は聴きたくない

以前から「木綿のハンカチーフ」は押しつけがましい愛という感じがして好きになれなかったのだが、改めてなぜ嫌いなのかを考えてみた。

この歌は故郷を離れた男と、その恋人の対話という形を取っている。

このテーマはそれこそ戦後農村の崩壊、若者の流出ということを背景に何度も繰り返し歌われてきたものである。

最近このテーマが歌われなくなったのは、すでに農村は崩壊してしまって、田舎での別離が、大きなテーマにならなくなったためではないだろうか。

この歌の特徴は、それまでの歌が、ふるさとを離れていったものの望郷、あるいは都会へでていったものの安否を気遣う者の心情を、単独で扱っていたものを、はじめて双方の対話という形で表現したことにある。

ただそれはなんていう対話だろうか。男のほうは

恋人よ

と呼びかけているが、女は

いいえ

と、男からの呼びかけを拒絶するところから始まっているのだ。

恋が二人が同じものを見ていることにあるとすれば、この二人には共通の話題、ともに見つめるものはない。

男は女を恋しがるが、女は過去の男との思い出を見ている。

なんてはがゆい奴らだ。恋しければ会いに行けばいいじゃないか。都会を捨てよ。田舎を捨てよ。それをしたくないというのは、もはや二人にとって、互いに恋以上に大事な生活があると判断しているからだ。

だとすれば、二人を結びつけているものは互いへの幻想にすぎない。

しかし私などは、この女は冷たすぎるのではないかと思うのだ。

贈り物をしよう、写真を見てくれという男の呼びかけに、なぜ彼女は心を動かされないのだろうか。なぜ常に

いいえ

なのだろうか。

対話は男が帰れないと言い出すことで終わる。

私には男には破局の原因が見えているが、女には全く見えていないように映る。

だからこそ「捨てられた」と泣き叫ぶしかできないのだ。

冒頭押しつけがましい愛 と言ったが、男からの呼びかけに答えるでもなく、男と同じものを見ようともしないままに、愛していると思いこんでいる姿に、私は押しつけを感じたのだろう。

だからこの歌も聴きたくないのだ。

(1999年4月12日記)

山崎ハコのこと 再び

私には収集癖がある。

ただ、テレビ東京の番組のような骨董品ではない。

一時期はジャズにはまり、アーチストごとにCDを集めたことがある。

いままで集めたものには、浅川マキ、都ハルミ、アートブレイキー、モーツァルトなどなど。

本ではいまではもう売り払ったが、マルエン全集、レーニン全集から、滝沢克己まで。

広くは、なにか気になる問題があると、海外文献を集める癖も収集癖にはいるのだろうか。最近では、インフルエンザの予防接種関連の文献を集めている。

そんな中に、山崎ハコが入る。彼女の歌は聞き始めてもう20年近くなる。

ここしばらくは新曲もでないし、もちろんヒット曲は、ない(力を入れるようなことではないが)。

そんな彼女の消息を最近号の「アエラ」が伝えている。

所属事務所がないことは知っていたが、倒産して、裸同然で追い出されたとは知らなかった。

彼女の話は、10代の田舎娘が、都会にでてダマされていった典型のような話だが、もう40代になって、一から生活と音楽活動を再開しなければならないというのは、彼女の才能を高く買うものとして、胸に詰まるものがある。

彼女は時代に乗り遅れたような音楽活動をしていたが、彼女が自ら選んだというよりは、売り出す力の不足を感じていた。

アルバムでも、プロデュースのうまい人間がバックにいないと思えるものが多かった。

いま自分ひとりで、マネージャーもなしで活動している彼女のために、なにかできることがないだろうか。

(1999年3月2日記)

山崎ハコのこと

昨夜車の中で、ふとラジオをつけたら、生ギターで「みんな夢の中」を歌っている女性がいる。その独特の歌い回しはよく聞いたものだが、誰だったかすぐに思いだせない。

しばらく聞いているうちに、それが山崎ハコだと気づいた。

自己紹介の頁でも書いたが、ハコは私の好きな歌手の一人だ。何かと言えば「暗い」といわれ、時に冗談の種にもされるが、あの透明な声は誰にもまねできないものだ。

ハコの出身は、私の住んでいるところから車で1時間半程度の大分県日田市。林業と温泉、それに鵜飼いで知られる古い町だ。

彼女の全国デビューにはいくつか伝説のような話が残っている。古い家で男が来るのを待っている女を描いた処女作を聞いたある新聞記者が、彼女は年齢を偽っていると断じた。とても未成年の少女が描ける物語世界ではないからだ。

また彼女と同じく九州からでていった海援隊が、彼女の歌に脱帽したという話もある。海援隊は「母に捧げるバラード」がヒットしたが、彼らは博多弁を語りの部分でしか生かせなかった。しかし「流れ酔い歌」は全編方言である。

嘆き、悲しみ、怒りは、標準語では語れない。やはりMother tongue、お国言葉になるはずだ。

彼女のヒット作=「織江の歌」も、私に懐かしい筑豊の言葉でつづられてる。

軽く明るい歌がもてはやされる今、ハコの将来がそれほど明るくはないようだが、ファンにはなくてはならない人だ。応援したい。

(1998年9月28日記)

嫌いな歌と好きな歌の距離

卒業式のシーズンだ。この季節になると、毎年私の一番嫌いな歌が流れる。

題は知らないが、ユーミンの「卒業写真のあの人は〜」というやつだ。ついでにいえば、もう一つ聴きたくない歌は「木綿のハンカチーフ」だ。

いい歌じゃないか。青春を懐かしむ美しい歌だ。

という人もいるだろう。

しかしよく聞けば、作者がこの歌にこめたテーマは、それほど簡単なものでないことがわかる。

この歌で「あの人」が、今どうしているのかを、主人公はなにも知らない。知ろうともしてはいない。

ただ写真の中で昔ながらの表情をしていると懐かしむ。

つまり「あの人」は生身の人間ではなく、「写真」=思いでの中で、昔から変わらないものを象徴するものであることがわかる。

その上で

人混みに流されて変わっていく私

を「あの人」に

叱って

ほしいというのだ。

では叱ってもらったら昔に戻るのだろうか。そうではない。なにしろ昔にかえれないから

ときどき

叱ってもらおうというのだから。

私には、だからこの歌のテーマは転向、あるいは青春の挫折だと思えるのだ。

ではなぜ彼女は挫折したのだろうか。主人公はそれを真剣に振り返っているのか。

聞こえてくるのは、ただのいいわけにすぎない。彼女の頭の中にあるのは

人混みに流されて変わっていく

あくまで受動的な自己でしかない。

ケッ!なめたらいかんぞ〜!まわりに流されるような根性なしに、もともと信念なんざあるわけな〜い。

それこそ「いちご白書をもう一度」の中の主人公が、就職と引き替えに切って捨てた長髪のような、単なるファッションでしかないのだ。

時代に抗するでもなく、時代を切り開くわけでもないままに、昔の写真を見て「昔はよかった」と繰り言をいう人間を私は信じない。

こういうタイプの人間は、時代が回って主流派になれる可能性がでてくれば、とたんに昔話をしなくなるものだからだ。

彼らは非転向なのではない。転向するにはあまりに不遇なだけなのだ。

今の私には、昔のことを懐かしむ気持ちはほとんどない。たとえ若い時代に戻してやるといわれても、ごめん被りたい。

若い肉体と十分な未来があるといっても、恥多き、未熟・愚昧な昔になぞは戻りたくはない。

私の父は、今から考えると30台から、こどもに自分の若かりし時代のことばかりを話していたように思える。

そんな父は、敗戦により目標を失い、開業しても苦労が絶えず、個人的には不遇だったのだと、今になれば思えるが、当時はなんてジジ臭いと思っていた。

どんなにがんばっても「思い出に生きる」なんてことは出来はしない。今のこの時間をどう生きるのか、その目標さえあればいいのだ。

ユーミンのヒット曲とよく似たテーマを扱っているが、こちらはほとんど知る人もない(笑)のが、山崎ハコの「さらばよき時代」である。

青春時代に

小さな堅い果実になろう、醜く腐るのはやめよう

と誓った主人公には、しかし

ブルジョアの時代がきた

とき、

壊されたギターと君の手のぬくもりだけ

が残され、途方に暮れるのだ。

裏切りと挫折を経験した主人公が、このあとどこにいくのかはわからない。ただこういう。

さらばよき時代

と。

少なくともここには、己の堕落を誰か人のせいにしたり、「どうせ私はダメな人間よ」といいながら、少しも自分を変えようとしない、体のいいいなおりはない。

私にはくだらない歌(私にとってという意味だが)を作る人間が億万長者で、片や誠実に一筋の道を進んだ人が皿洗いで糊口をしのいだという話に、割り切れないものを感じるのだが。

(1999年3月25日記)

キャンディ−ズと跳躍の決意

7月24日、思い立って、片道2時間半かけて、知人のお見舞いにいってきた。大病したと聞いたが、思ったより元気そうだったので一安心した。病室のKさんはとてもいい顔をしていた。

帰る途中、高速道路のサービスエリアに立ち寄った。そこでキャンディーズのテープを見つけて、つい買ってしまった。

音楽にはあまりいい趣味をもっているとは言い難い。昔はそれでもクラシックのCDを集めたり、ジャズにこったりしたのだが、最近では都はるみぐらい。

「なぜ都はるみなんですか」と、川田悦子さんに詰問されたことまであった。

キャンディーズも、特別思い出があるわけではないのだが、ミーハーの血が騒いだというのだろうか。

何となく聴くとはなく聞いていたが、ある曲の一節にどきりとした。

人は誰でも一度だけ 全てを燃やす夜が来る 今がその時ためらわないで

 (「アン・ドゥ・トロワ」より)

最愛の娘を医療事故で失ったKさんは、たしかに一生に一度の大跳躍を、あるときに、ためらわずにしたのだった。

以後まっしぐらに走りとおしたKさん。おかげで、どれだけの人が助けられ、励まされたかわからない。その中に、もちろん私もはいる。

しかしとうのKさんにとって、その跳躍がどれだけ大変なものだったか、おそらく本人以外にはわからないことだろう。

しばらく休めということですよ。それだけの飛躍をしたのだから。

偶然といいながら、キャンディーズの歌に驚かされ、決意ということの意味を思い知らされた。いいドライブになった。 

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