本多勝一論


以下に明らかにする「カンボジア大虐殺」は、“まぼろし”?!という佐佐木嘉則氏の論文は、硬派の進歩的文化人であり、ベトナム戦争の真実を日本に紹介した真のジャーナリストと受け取られている本多勝一氏の評価を根本的に見直す必要性を私達に突きつけています。

すでに私は 「週刊金曜日」による、エイズ問題での反動的な対応などで、現在の本多勝一氏には、なんの幻想も抱けなくなりましたが、それはあくまで、功成り名を遂げた一流ジャーナリストの晩節を汚す行為、「横綱化、家元化」であっても、1960年代末、ベトナムに飛び最前線から戦争の真実を伝えた彼の過去、その仕事を支えたジャーナリスト魂の再評価まで必要だとは考えもしなかったのです。

しかし今回明らかになった資料は、私たちがもっとも避けなければならないこと、すなわち特定の勢力の不利になる事実を覆い隠し、結果として過ちを犯したその特定の勢力に、不公正に肩入れするものです。

本多氏がさかんに攻撃してきた「南京大虐殺の幻」を主張する勢力=「まぼろし」派と同じ過ちを彼が犯したとすれば、事は重大です。

私はこの機会に本多氏が、一連の問題に対する見解を、公式の場で明らかにされることを切望します。

今ここで必要なことは、過ちを認める勇気です。

反米愛国の闘いをした人も過ちを犯します。主観的には<人類の幸福と恒久平和のために>と活動した人が、あとに累々たる犠牲者の山を築いたことは、大は毛沢東の百万単位の犠牲を伴った二度の過ち(「大躍進運動」と「文化大革命」)から、小は連合赤軍事件に至るまで、いくらでもあります。

未だに「自分たちは一度も誤ったことがない、無謬である」と主張する勢力など、ほとんどありません。

たしかに世の中の一部には、本多氏を批判するものは、事の理非を問わず、ことごとく「右翼反動」であると、頑固に思いこむ人々がいます。

まるで一昔前のスターリン崇拝、毛沢東神格化を彷彿とさせる、精神の未熟な人々だけを本多氏が相手にされるのならば、それもけっこうでしょう。オウム真理教を幾分ソフトにしたような、外部と会話の出来ないミニ共和国の大統領にでもおなりになるのも、ひとつの生き方ではあると思います。

しかし真剣に文筆で世論を動かし、正義を実現し、不正と戦われるおつもりなら、虚飾に満ちた強がりもはったりも必要ありません。うそつきに世の中は一度は騙されるとしても、いつまでも騙され続けることはあり得ないからです。


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